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2008/10/09

私の樹 イワン・ツルゲーネフ(「私の」に傍点)

 私の

 むかしの大學の友達で、今は富裕な地主の貴族である男から手紙が來た。彼は自分の領地に私を招いたのであつた。

 私は、彼が永いこと病氣で、失明し、中風に罹つて歩くことさへもできないやうになつて居ることを知つてゐた、……私は直ぐに出かけて行つた。

 廣い庭園の或る竝木路で私は彼に逢つた。夏だといふのに、毛皮の外套にくるまつて、瘦せこけて、猫背になつた彼は、眼のうへに緑色の光線除(ひかりよ)けをかけて、小さな手押車に乘つてゐた。華やかな仕著(しきせ)を着た二人の召使が車を押してゐた。

 「この私の承け繼いだ土地(ところ)、私の何千年を經た樹のかげに、あんたはよく來てくれましたね!」と彼は死人のやうな聲でいふのであつた。

 彼のうへには天幕のやうに、幾千年を経た檞の老樹(おいき)が枝をさし擴げてゐた。

 そこで私は考へた、「ああ、何千年を経た巨人よ、聴いてゐるかね? おまへの根もとに蠢いてゐる死にかけた蛆蟲は、おまへを私の樹と呼んでゐる!」

 するうちに、そよ風が重なり合つた巨人の葉のかげを、音爽(さは)やかに馳けぬけて行つた。年老いた檞の樹が、ものやさしい、静かな微笑(ほほゑみ)をもつて、私の情懷(こころ)に――そしてまた病めるものの矜誇(ほこり)に應へたかのやうに思はれた。

   一八八二年十一月

[やぶちゃん注:傍点「ヽ」は下線に代えた。本篇は「散文詩」の「拾遺」(遺稿)の掉尾を飾る作品である。]

字体が明朝体なのは何故というメールを頂戴した。毎回読んでいていてくれる人がいることが、心から嬉しい。「散文詩」を打ち込んでいるのがワードの明朝体であり、普段はメモ帳に一度移して張り付けるという作業をしているのであるが、今回は下線が存在し、酔っていたため(即ち面倒だったから)、下線部を落とすのがいやだったからに過ぎない。特に意味はありません。【2008年10月9日PM10:04】

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