ひとりでゐると…… イワン・ツルゲーネフ
ひとりでゐると……
分身
ひとりでゐると、永いこと全くひとりでゐると、急に誰かもうー人ほかの人間が同じ部屋にゐて、竝んで坐つてゐるやうな、または背後(うしろ)に佇(た)つてゐるやうな氣がして來る。
ふり向いたり、或は不意にゐる氣はひのするあたりへ眼を遣つても誰も眼につかふ筈がない。そこで人が身近にゐるといふ感じは消えてしまふ……、けれどしばらくするとまた還つてくる。
時をり私は兩手で頭を押さへながら、その人間のことを考へて見る。
抑々何人(なんびと)であらう? 何者であらう?……彼はわたしに無縁のものではない、……彼は私を知つてゐる、……私も彼を知つてゐる、……彼は私と血を分けたもののやうである、……しかも兩人(ふたり)の間には深淵が横たはつて居る。
私は彼から物音や言葉を期待してゐない、……彼は口をきくことも、動くこともできない、……しかもなほ彼はわたしに語る、……何かしらぼんやりした、わけのわからないこと、……わかつてゐることを語る。彼は私の秘密をすつかり知つてゐる。
私は決して怖れはしない、……が、一緒に居るのは不安であり、また私の心の奥まで見拔いて居るやうな人間を有(も)つてゐたくはない、……それにしても私に全く縁のない獨立した存在であるとは考へられない。お前は私の分身ではないか? 私の過去の自我ではないか? たしかにそれに相違ない、私のよく識つてゐる過去の自分と――今の自分との間には、こんな深淵が横たはつてゐるのか?
彼はわたしの命令によつてやつて來るのではない、自分で勝手にやつて來らしい。
厭はしい獨り居の佗しさに包まれてゐるのは、兄弟よ、お前にも私にも決して愉しいことではない。
しかし、待つてゐるがいい、……私が死んだなら、過去の私よ、今の私よ――私たちは一しよにならう。さうして永遠に歸らぬ幽魂(たましひ)の世界に向つてひたすらに歩みを運んで行かう。
一八七九年十一月
[やぶちゃん注:本誌はサブタイトルを持つが、これは本篇の「この世の終末(おはり)」に「夢」のサブタイトルが附く以外には見られない形式で、もしかすると複数の他篇が「ひとりでゐると……」のタイトルのもとに存在した可能性を窺わせる。なお、第六段目末尾の「私の過去の自我ではないか?」は、私の底本では「ないか」の部分が「か」の植字からかすれて、以下は句読点も記号も見えない。前後の中山氏の訳の表現法から判断して「?」を配した。]