風邪 尾形龜之助【二〇二三年五月二十九日正規表現改訂】
風 邪
いつかの夢で見たのかな
それとも噺にあつたのか
不思議となんでもおんなじに
風邪で寢てゐたことがある
丁度このやうに寢かされて
おんなじやうにそのときも
ガラスのくもりも陽のかげも
藥も盆も水飮も
シイツのぬれた形から二時をうつてる時計まで
何から何までそつくりとおんなじことがもう一度
あつたやうだと眼をつむり思ひ出せずにゐたのです
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(暦程7号 昭和14年7月)
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ジョアン・ジルベルトの公演中止で、頭がぼぅーとなったまま、尾形亀之助の詩を眺めている……僕もあの遠い日の、ぼぅーとした孤独な風邪の日を思い出す……枕元の甘ったるいどろりとしたオレンジ色の薬瓶、時々音を立てる魔法瓶の栓、寝かされた普段は母が寝ている布団の母の匂い、鴨居の小さな素焼きの不気味な面、雨だれの音、犬の遠吠え、豆腐屋の喇叭、ハエトリグモの跳躍……「何から何までそつくりとおんなじことがもう一度」……
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【二〇二三年五月二十九日改訂】国立国会図書館デジタルコレクションで、初出の後に載った『歷程詩集 紀元貳千六百年版』昭和一六(一九四一)年二月発行に載る当該詩篇(ここから)を確認して正規表現に改訂した。尾形のパート標題に自筆サインを印刷したものが視認出来る。
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