足のない馬 尾形亀之助
それは見たところ、けだものといふよりは魚類の何かに似ているのだ。足のあるあたりは、なでてみたいやうな腹部からの丸味がのびてそのまゝ背につゞいてゐるので、水の上なら首のつけねの辺のところをはげしくうづつかせて泳ぐのではあるまいかと思はれるが、地面の上ではいつたいどんな風にして歩くのであるか。考へてみれば、腹を地面につけてゞは、子供のぎつこんばつたんのやうにしかならぬであらうし、何かでこぼこしたものに咬みついて首を締めてみたところがそれで十分前進するものとは思はれぬ第一それでは腹の皮がすり切れるだらうし痛いではないか後になつて、つり上げられてゐたのでもないのに、不思議に腹のところは何にも触れてゐなかつたやうなおぼろげな記憶は、腹の下に赤いふとんか何かを敷いてゐたのではなく、又たいして腰をかゞめずに腹を見たのだから、馬は、腹を上にして寝かされてゐたのだつたらう。さすがにそれは翼などが生えてはゐなかつたのだ。
(獣帯2号 昭和8年1月発行)
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こんな馬を果たして当時飼育していたであろうか。いや、その馬を愛する者ならば当然、安楽死させていたであろう。されば、これはフリークスとしての見世物か。いや、そうではあるまい。これは尾形亀之助自身の表象であることは言うまでもない。昨日アップした亀之助の遺品、「大キナ戦 (1 蠅と角笛)」の末尾を見よ。
……「角笛を吹け」いまこそ角笛は明るく透いた西空のかなたから響いて来なければならぬのだ。が、胸を張つて佇む私のために角笛は鳴らず、帯もしめないでゐる私には羽の生えた馬の迎ひは来ぬのであった。
彼は、この馬=自身をペガサスにしたかった。そうして、それは見果てぬ夢であることを、彼自身が重々知っていたということである……この詩は、尾形の詩の中で、すこぶる哀しいものに、僕には見えるのだ――
追伸:この詩誌(と思われる)の題名は、あの連続殺人鬼のゾデイアックだろうが(Zodiac:占星術の黄道十二宮の謂い)、この尾形の詩を載せた瞬間、その名はまさに「足なき獣の腹帯」という慄然とする響きを僕に与えるのだ……