庭園設計図案 (或る忘備帖) 尾形亀之助
三人の若い男達はてんでにこゝへ梅の木そこへポプラどこへ何の木といふ風に庭を造るので樹を植えてゐました。さう広くはない庭なので、そこのとこへは楓にしやうと思つてゐたのに松を植えられてしまつたとか、こゝに噴水を造つて三角の花壇を置くことにするとか、それではばらを植える所がないからも少しそつちにやれとかやらぬとか、それから、一年に四度花の咲くがいゝとか、それでは池が糸屑のやうな形になつてしまふではないかとか、それなら池は庭の上に釣るして置くがいゝとかいふやうなそんなことになつて、樹や池や山林風の小山などの大部分は垣根の外側へはみ出し、子供のためには是非と言はれたぶらんこは四五軒先のよその家の庭に丁度よいぐあひに置けてしまつたりしてしまひました。又、亭(あづまや)はこんなところに造つて置くよりは四五丁離れた駅前の安カフェーの中に置くことにした方がよからうと男達の意見が一致して、彼等は朝から赤い顔をしてゐるのでした。私は実は、其処へは庭を作る以前からちよいちよい行つてゐたのだし、庭を造る下相談に男達を連れて一ぱい飲みに行つたのもその駅前のカフェーなのであつたのだからそれはいづれ又何んとか遣り直すにしても、垣から庭がはみ出してしまつたのには困つてしまひました。垣の外は路で、朝は早くから牛乳屋や新聞配達や豆腐鼻が通るし小学校へ行く近路でもあるし、後の原つぱがなくなれは袋露地の入口にもなるのだし、自分の家の門をどこへつけたらよいのか、ぶらんこが四五軒先の家の庭へ行つてしまつたことや池は場所がないから庭の上に釣り下げるといふ説明を聞かされた妻は腹を立てゝ私には口をきかない。植える木がなくなつたのか男達の姿が見えないところをみると例の亭へ引きあげて又ビールを飲んで酔つてゐるのだらうか。私はよい智恵もなく、困つたと言へばなるほど困つたことだが、しかしつくづく庭を見れば、三人の男達がかつてかつてに植えこんだ木々や小山の凸凹も新しい味があつて大変面白く垣からはみ出してゐる桜や欅の並木にも愉快になり「すばらしい出来だ、君達にたのんでよいことをしたよ、僕にもーぱい呉れ給へ」と、自分も亭(あづまや)へ出かけずには居れなくなつてくるのであつた。「ぶらんこが四軒目の家の庭へ行つてゐるのなんざあ何んといつても秀逸だ」と、一人々々に握手をして肩を組んで踊つてもみたくなるのだつた。が、「あきれた人だ」と妻に言はれたことを思ひ出し庭の上に釣り下がつた池などを想へば、どうしたものかと思案に粉煙草をふかし火鉢をつゝいて泣いてすむことならばと、そんなことも思つてみたが、自分の家にぶらんこがなく他の家にあるといふことも不思議なことではないし垣の外に桜や欅の並木のあることもさしつかひのないことだつた。庭の上に池を釣るすといふのも未だ仕事にかゝつてゐないからよくはわからぬが金魚鉢でも釣るさうといふのではなからうか。さうだとすれば全くなんのこともないし、庭のまん中ごろに、松、竹、梅と列びその後に梨、粟、李、柿と果のなる木が一列になつてゐるのなどもありふれた風流などでは思ひ付かぬところではないか。私はぽんと膝をたゝいて妻を呼んだ。妻はさつき見たときと同じやうな悲惨な顔をして子供をひとり抱へて、もう二度と詐(だま)しにはかゝらぬといふのであらう、ながながとした説明をてんで聞いてはゐないので私は幾度か垣の外に桜や欅の並木があつたつておかしくはないことぶらんこなども隣家にあつて自分の家にはなかつたこともあつたではないかと、くどくどと説いてやつとなつとくしてもらつたが、あの三人の若い男達を相当の月給で雇ひ入れて「新案庭園設計社」の看板をあげることには頑として聴き入れぬのであつた。そこで、私は尚も言葉をつくして自分の家の庭にはこれ以上彼等が手を入れぬこと桜や欅の並木は垣の外でもよいがぶらんこは自分の庭にないと不便だといふ彼女の申出に賛成するといふ条件付で、亭(あづまや)から彼等を呼寄せる使ひの老を出したが、私は忘れないうちに路々自分の抱負を語るためにいそいで家を出た。
*
(歴程1号 昭和10年5月発行)