髑髏 イワン・ツルゲーネフ
髑髏
豪華な、燦爛たる廣間。紳士淑女、大勢。
顏といふ顏は生氣にあふれ談話(はなし)ははずんでゐる……。ある有名な歌姫のことが賑やかな話題に上つてゐる。彼らは神のやうな女、不朽の女だと讚へてゐる……。ああ、昨日は何てすばらしく、最後の顫音(トレモロ)をやつてのけたことであらう!
すると、不意に――魔法使の笏杖(つゑ)の指圖によるかのやうに――誰もの頭から、誰もの顏から、薄い皮膚が滑り落ちて、――忽ちにして蒼白い髑髏があらはれ、あらはになつた歯齦(はぐき)や顴骨(ほほぼね)が青味を帶びた錫のやうにきらめいた。
恐怖の念を懷きながら、私は歯齦(はぐき)や顴骨(ほほぼね)の動くのを見た、――洋燈や蠟燭の光に、節くれだつた骨の球が、かがやきながらぐるぐる廻るのを、またその球のなかに別の一そう小さな球の――譯のわからない眼球の廻るのを見た。
私は敢へて自分の顏に觸れまいとし、鏡の中に自分の姿を覗くまいとしてゐた。
しかも、髑髏は、やはりぐるぐる廻つてゐた……。そして前のやうな騒ぎをし、剥き出された歯の間から、紅い端布(はしぎれ)のやうに、舌をちらちらと覗かせて、早口に、ぼんやりと、あの不朽の……さうだ、あの不朽の歌姫はなんてすばらしく、なんて及びもつかぬばかりに最後の顫音(トレモロ)をやつてのけたのだらうと語つてゐるのであつた。
一八七八年四月
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