NESSUN MAGGIOR DOLORE イワン・ツルゲーネフ
NESSUN MAGGIOR DOLORE
碧の空、柔毛(にこげ)のやうに輕い雲、花の芬香(にほひ)、若人の妙(たへ)なる聲音(こわね)、偉大なる藝術作品の輝かしい美、麗しい女(をんな)の顏に浮ぶ幸福の微笑と魅するばかりの雙の眸、……何のために、何のためにこれらのものはあるのであらう?
二時間おきに忌まはしい、效能(ききめ)のない藥の一匙――いま要るものは、いま要るものは、ただそれだけだ。
一八八二年六月
■訳者中山省三郎氏による「註」
・NESSUN MAGGIOR DOLORE:「これにまさる惱みはあらじ。」ダンテ「神曲」地獄篇、第五歌一二一行以下、ダンテが地獄の第二圏に至つて、フランチェスカ・ダ・リミエに逢ふ條に出てゐる句。この詩は最初「嗟嘆」(STOSZSEUFZER)と題されてゐた。
□やぶちゃん注
◎NESSUN MAGGIOR DOLORE:この題名は実際には“Nessun maggior dolore che ricordarsi del tempo felice nella miseria.”と続き、イタリア語で「逆境にあって幸せな時代を思い出すこと程つらいことはない。」という意味である。
◎中山氏の註にある“STOSZSEUFZER”であるが、これはドイツ語で、正しくはエスツェットを用いて“Stoßseufzer”(シュトース・ゾイフツァ)と綴る。「深いため息」「危急の際の短い祈り」という意味である。