エゴイスト イワン・ツルゲーネフ
エゴイスト 彼には、その家族を鞭責するあらゆる資質がそなはつてゐた。彼は生れて健康であり、裕福であつた。また永い生涯を裕福に、健康に暮しつづけて、何一つ罪も犯さず、いささかの過誤(あやまち)もしたこともなく、また一度として言葉の誤りをも、遣りそこなひをもしたことがなかつた。 彼は一點の非の打ちどころもない誠實な人間であつた、……そしてその誠實なことを己惚れて、それによつて身内(みうち)のものであらうが、友達であらうが、知人であらうがあらゆる人々を抑へつけてゐた。 誠實そのものが彼の資本であつた、……彼はこの資本から過分の高利を收めてゐたのである。 誠實そのものが彼に無慈悲なものとなり、また命ぜられない善事は決してしないといふ權利を與へてゐた、そこでは彼は無慈悲であつた……、決して善事をしなかつた…、何故かといふのに、命令されてする善事といふものは、決して善事ではないからである。 彼は自身の――かくも模範的な個我(われ)以外には、何人に對しても心を煩はざず、しかも若し他人が同じやうに彼自身のことを熱心に彼の個我(われ)に對して心を煩はさなかつた場合には、心から怒るのであつた! と同時に、自分のことをエゴイストだとは思つてゐないのであつた。そしてエゴイストやエゴイズムを非難攻撃することは人一倍甚しかつた、それもその筈! 他人のエゴイズムは彼自身のエゴイズムを妨げたからである。 彼は自分にはいささかの弱點も認めず、他人の弱點はまるで理解もしなければ、假借もしなかつた。彼は全く、何人をも何物をも理解しなかつたのである。といふのも彼が四方八方、あらゆる方面から全く自分自身といふものばかりに取りかこまれてゐたからであつた。 彼は恕(ゆる)すといふことがどんな意味なのか、理解すらもしなかつたのである。彼は自分自身を恕さなければならない羽目には立ち到らなかつた……、それにどうして他人を恕すやうな理由(いはれ)があつたであらう。 自身の良心の審判(さばき)の前に、彼自身の神の前に、彼は、この怪物は、この善行の出來そこなひは、眼を空に向けて、しつかりと、はつきりした聲でいふのであつた、「さうだ、おれは立派な、道義にかなつた人間だ!」 彼はこの言葉を臨終の床で繰り返すことであらう……。さうして、その時ですらも、この石のやうな心には――この汚點(しみ)も罅隙(すき)もない心には、何らの動搖をも來たさないであらう。 ああ、自己滿足の、頑強な、安價に購はれた善行の醜惡よ。汝は露骨な不德の醜惡よりも更に醜惡なものではなかつたのか!
□やぶちゃん注
◎これは全くの感触でしかないのだが、この苛烈な断罪を加えている相手はかつての盟友であり、オブローモフ主義で知られる作家ゴンチャローフГончаров, Иван Александрович(1812~1891)ではなかろうか(オブローモフは1960年に刊行された彼の小説「オブローモフ」の主人公の名。一種のスポイルされた高等遊民的存在)。この詩のクレジットの遥か18年前、1860年ことになるが、彼とは「その前夜」盗作論争で致命的な決裂をしている。サイト「ロシア文学」の「ツルゲーネフの伝記」から引用する。『当時ゴンチャローフは多年にわたって執筆中の労作「断崖」(1869)についてツルゲーネフとしばしば議論していたが、「その前夜」の趣向には、「断崖」からの剽窃がいくつかあるとツルゲーネフを非難したのである。3人の作家を判事役として非公式の法廷が開かれ、ツルゲーネフの潔白は証明されたが、激怒した彼はゴンチャローフ(彼のパラノイアはやがて病的なものとなった)に絶交を宣言し、以後2人の親密な関係が回復することはなかった。』。同じサイトの「ゴンチャーロフの伝記」を見ると、裕福なロシアの地方領主の族長的雰囲気の中での成長、モスクワ大学卒業後、官吏となり、『多年にわたって、これといった功績がないまま辛抱強く勤め上げた』点等、本詩の人物を彷彿とさせる。1847年35歳の時、処女作「平凡物語」を発表して、ベリンスキーに激賞されるが、この作品は若い田舎の理想主義者が、世俗的現実的な若者へと変貌する半自伝的小説であるともある。純真にして人生を生きることに下手なオブローモフといい、如何にも私には「エゴイスト」=ゴンチャーロフという気がしてならないのである。識者の御教授を願う。