明日こそは! 明日こそは! イワン・ツルゲーネフ
明日こそは! 明日こそは!
過ぎてゆく日は、いかばかり空虚(むなし)く、味氣なく、果敢ないもののみであつたらう! それは、いかばかり僅かな痕跡をとどめることであらう! 次から次へと、時はいかばかり無意味に魯(おろ)かしく過ぎ去つて行つたことであらう!
とはいへ、人はなほ生きようとする。人は生(いのち)に執着し、人は生(いのち)に、おのが身に來るべきものに望みをかける……ああ、人はいかなる幸福を未來に期待するのであらう!
しかもまた次に來るべき日もまた、今しがた過ぎて來た日と異らぬとは、どうして考へないのであらう。
人はそれを想ひやつても見ない。およそ考へることを欲しないのである、……それはいいことである。
「明日こそは! 明月こそは」と人は自らを慰める、しかもこの「明日こそは」が墓場へ陷(おと)し入れる。
さて――一たび墓に入つてしまへば――否應なしに考へることをやめてしまふのであらう。
一八七九年五月
[やぶちゃん注:本文中の「明日こそは! 明月こそは」の末尾には、底本は以上のようにエクスクラメンション・マークはない。原文は、“«Вот завтра, завтра!»”。中山氏はまさに、エクスクラメンション・マーク「一つ」にもこだわっているのである。]
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そうである。その通りである――さりながら故にこそ――僕らは「書く」のである――そうでしょう? 「ロシアの大男」!
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本詩を以ってイワン・ツルゲーネフの「散文詩」全篇のブログ公開を終えた。そうして丁度恐らく、本日、僕のブログは、140000アクセスに達する。