若いふたりもの 尾形亀之助
私達は
×
二人が
夫婦であることをたまらないほどうれしく思つてゐる
×
妻は私が大切で
私は妻が大切で
二人は
いつまでもいつまでも仲が良い
×
私はいつもへたな画をかくが
私も妻も
近い中に良い画がかけると思つてゐる
私達の仕事は楽しい
×
二人は
まだ若いからなかなか死なない
×
その中に
可愛いい子が生れる
×
私達二人は
良い父と
良い母とになる
*
(玄土第三巻第四号 大正11(1922)年4月発行)
[やぶちゃん注:尾形亀之助はこの前年、大正10(1921)年5月に福島県伊達郡保原町の開業医の長女森タケ(18歳)と結婚している。この大正11(1922)年1月には仙台からタケを伴い上京し本郷白山上に転居。日本未来派美術協会会員となり(前年十月の第二回未来派美術協会展で既に会友とはなっていた)、同協会の第三回展の準備運営に当っていた。本詩以降の三篇はそうした密月の最後の名残のように思われる(特にこれと次の詩篇は亀之助らしからぬ優良児的健康さを帯びている)。しかし、この詩の発表直後の五月に早くもタケと不和となり、家出するように旅に出ている。長女泉は大正13(1924)年4月の、長男猟は大正15(1926)年12月の誕生であり、その間、吉行あぐりへの恋慕といった女性関係が生じ、タケとは昭和3(1928)年3月別居、同年5月に協議離婚している。僅か7年の結婚生活であった。そして7箇月後の同年十二月には11歳年下の芳本優(17歳)と同棲を始めている。]