高僧 イワン・ツルゲーネフ
高僧
私は隠者あり、聖徒である一人の僧を知つてゐた。彼はただ祈りをのみ愉しみにして暮してゐた、――祈りに専念して、實に久しい間、教會堂の冷たい床(ゆか)の上に佇ちつづけてゐたので、足が膝から下が腫れて、柱かと思はれるほどになつてゐた。彼はそれをも感じないで、佇つたまま、――祈禱しづけてゐた。
私は彼の心をよく識つてゐた。おそらくは彼を羨んでゐたであらう。それはそれとして、彼もまた私の心を識つて、私を非難などせぬがよいのだ、彼の法悦にはな及びがたい私ではあるけれど。
彼は努力によつて彼自身を、自身の恨むべき「自我」を減却することを得たのである。尤も私もまたさうではあつたが、私は自尊心からではなしに、祈りといふものを全くしないのである。
私の「自我」は、私にとつて、おそらく彼が自身の「自我」に對する以上に、重苦しく、忌まはしいものなのである。
彼は自分自身を忘れる方法を見出した、……私もまた見出してほはゐる、……不斷にといふ彼わけではないけれど。
彼はいつはりを言ひはしない、……尤も、私もまたいつはりを言ひはしない。
一八七九年十一月