無形国へ 尾形亀之助
降りつゞいた雨があがると、晴れるよりは他にはしかたがないので晴れました。春らしい風が吹いて、明るい陽ざしが一日中縁側にあたつた。私は不飲不食に依る自殺の正しさ、餓死に就て考へこんでしまつてゐた。
(最も小額の費用で生活して、それ以上に労役せぬこと――。このことは、正しくないと君の言ふ現在の社会は、君が余分に費ひやした労力がそのまゝ君達から彼等と称ばれる者のためになることにもあてはまる筈だ。日給を二三円も取つてゐる独身者が、三度の飯がやつとだなどと思ひこまぬがいい。そのためには過飲過食を思想的にも避けることだ。そして、だんだんには一日二食以下ですませ得れば、この方法のため働く人のないための人不足などからの賃銀高は一週二三日の労役で一週間の出費に十分にさへなるだらう。世の中の景気だつて、むだをする人が多いからの景気、さうでないからの不景気などは笑つてやるがいゝのだ。君がむだのある出費をするために景気がよい方がいゝなどと思ふことは、その足もとから彼等に利用されることだけでしかないではないか。働かなければ食へないなどとそんなことばかり言つてゐる石頭があつたら、その男の前で「それはこのことか」と餓死をしてしまつてみせることもよいではないか。又、絹糸が安くて百姓が困るといつても、なければないですむ絹糸などにかゝり合ふからなのだ。第三者の需要に左右されるやうなことから手を離すがいい、勿論、賃銀の増加などで何時ものやうにだまされて「円満解決」などのやうなことはせぬことだ。貯金などのある人は皆全部返してもらつて、あるうちは寝食ひときめこむことだ。金利などといふことにひつかゝらぬことだ。「××世界」や「××之友」などのやうに「三十円収入」に病気や不時のための貯金は全く不用だ。細かいことは書きゝれぬが、やがて諸君は国勢減退などといふことを耳にして、きつと何んだかお可笑しくなつて苦笑するだらう。くどくどとなつたが、私の考へこんでゐたのは餓死に就てなのだ。餓死自殺を少しでも早くすることではなく出来得ることなのだ。
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(詩神第六巻第五号 昭和5年5月発行)