迎春失題 尾形亀之助
今日も、昼前のうす陽のさす軒先にちらちら雪が降り初め、冷えた昼の飯は塩鮭の匂ひがする。箸からなのか、それとも冷えてたよりなくなつた飯に、どこかで焼いてゐる塩鮭の匂ひが来てつくのであるか。つゝましく座つて、茶をかけて口に流しこめば、茶にうるけた飯はいくど目かの茶をかけても茶わんの底には残る。ただ寒いばかりの冬。ほんに来年は俺にはどんな年なのであるか。天罰といふものがあり、暦に嘘があつて、気づかずに自分が幾年も同じ年月をくりかへしてゐるのであれば、俺は面白がつてわれとわが身に抱きつくこともしよう。
低い陽は早くから暮れ、街の上の雲はそのまゝ動かずに消える。そして、どうして又俺は火鉢のそばにばかり寄りたがるのか。隣家の明るく電燈のつく窓は、黄色や赤や紫色の恥しいやうな模様の着物を着た人達がラヂオや蓄音機にあはせて立つたり歩いたりしてゐるやうな、壁なども綿のやうなもので出来てゐて、鶴のやうな鳥などが三々五々人達の間に交つてゐるのではあるまいか、とふとそんな風に思ひ、そしてなぜ隣家はにぎやかなのかと不思議になるのだ。やがて、俺は鼻緒のゆるんだ下駄を履き、寒むい手をふところに入れて、風に吹かれて街へ出て、熱いそばにむせつて涙をにじませながら食ひ、食つてしまへばあとは帰るばかりなのだから又来た路をひきかへすのだが、暗いなと思ひながら家に入り、それでもいくぶん安心した気持になつて床に入れば、何時の間にかは眠つてしまふのだ。
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(新詩論第二冊 昭和8年2月発行)
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『ほんに来年は俺にはどんな年なのであるか。天罰といふものがあり、暦に嘘があつて、気づかずに自分が幾年も同じ年月をくりかへしてゐるのであれば、俺は面白がつてわれとわが身に抱きつくこともしよう。』
言ヒ得テ妙ト謂フ言葉ガ在ルトスレバ――ソレハコノコトダ――
僕ハ僕ヲ――僕獨リヲ――抱キシメル――全テノ安息ノ代ハリニ……