通信員 イワン・ツルゲーネフ
通信員
二人の友達がテーブルに凭(よ)つて茶を飲んでゐる。
街に、ふとざわめきが起つた。もの哀しげな呻きごゑや、烈しい罵りごゑや、意地の惡い笑ひごゑが聞える。
「誰かを擲つてるぞ!」と友達の一人が窓から覗きながら注進に及んだ。
「犯人をか? 人殺しをか?」と他の一人が訊いた、「それは誰でもかまはんが、無鐵砲に擲らせちや置けない。さあ行つて庇つてやらう。」
「人殺しを擲つてんぢやないよ。」
「人殺しぢやないつて? ぢや、泥坊かえ? どつちだつていいや。行つて、奴らの手から救ひ出してやらう。」
「泥坊でもないよ。」
「泥坊でもないつて? ぢや、會計係か、鐵道員か、陸軍の御用商人か、ロシヤ文藝の保護者(パトロン)か、辯護士か、お人よしの編輯人か、社會奉仕家か? とにかく、まあ、行つて助けてやらう。」
「いいや、通信員が擲られてるんだよ。」
「通信員? ああ、さうか、そんなら先づお茶を一杯、喫(の)んでからにしようよ。」
一八七九年六月
[やぶちゃん注:「擲」を「打擲」の意から「擲(なぐ)る」と訓読している。]