私は何を考へることであらう? イワン・ツルゲーネフ
私は何を考へることであらう?
私が死ななければならない時に、若しそのときに考へることができたとしたならば、私は何を考へることであらう?
一生を徒(あだ)に過ごしてしまつたこと、寝て暮してしまつたこと、まどろみ通したこと、人生の賜物を翫昧し得なかつたことなどを考へるであらうか?
「どうしたといふんだ? もう死ななければならないのか? こんなに早く? さういふ譯(わけ)があるものか? おれには未だ何一つ爲し遂げられなかつたぢやないか……おれは、やつと何かしようと目論んだばかりなんだ!」
私は過ぎ去つたことを思ひ起すであらうか? 自分の過ごして來た、僅かばかりの耀かしい刹那を、貴い面影や面貌(かほだち)を思ひ浮べるであらうか?
自分の惡行を憶ひかへすであらうか、――さうしてあまりにも遅い後悔の念の燃えるやうな苦しみが私の胸におし寄せて來るであらうか?
あの世で私を待ちうけてゐるものについて考へるであらうか、……さうして事實、何ものかが其處で待つて居るのであらうか?
いや、……私は考へまいとするであらう、――行く手を暗くしてゐる怖ろしい闇から自分自身の注意を外らしたいばかりに、強いひて何らかの取りとめのないことに専念することであらう、……さういふ氣がする。
私の眼の前で、曾て或る瀕死の男は乾胡桃(ほしぐるみ)を嚙ましてくれないといつて、泣言をいつてゐた、……しかもそこには、彼の陰つた眼の底には、傷ついて將に死なうとしてゐる鳥のちぎれた翼のやうに、何ものかが苦しげに慄へてゐるばかりであつた。
一八七九牛八月
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