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2008/12/06

ユン・ドンジュ(尹東柱) ツルゲーネフの丘


 윤동주
(ユン・ドンジュ 尹東柱)の詩に「ツルゲーネフの丘」という詩がある。윤동주とは誰か?


尹東柱(
一九一七年十二月三十日~一九四五年二月十六日)は、朝鮮の詩人。日本の植民地支配下にあった朝鮮の「暗黒時代における民族の声」を詠じ、現在、大韓民国では国民的詩人として有名である。北朝鮮でも一定の評価を受けている。号は海煥(ヘファン 해환)。本貫は坡平尹氏。朝鮮独立運動(友人に朝鮮語・朝鮮史の勉強を勧めたり、朝鮮独立の必要性を訴え、また朝鮮文化の尊重、朝鮮文学における民族的幸福の追求などを主張するなど)の嫌疑により一九四三年に治安維持法違反とされ、逮捕され、一九四五年に九州で獄死した。(以上はウィキ「尹東柱」に拠る



 イワン・ツルゲーネフの「散文詩」のテクスト化の中で、僕は本詩「ツルゲーネフの丘」の存在を知り、その윤동주という『虐殺された詩人』を知り、そのように彼を死に至らしめた日本人に繋がる一人として、今の僕がなすべきこと、今の僕になしうることは何だろうというを、僕はこの数箇月、ずっとどこかで考え続けてきた。

 何よりまず윤동주に心からの敬意を表して、その原詩を掲げねばならない。

 出版物の複写は著作権に抵触する可能性があるのであるが、僕は正確にブラウザ上でハングルを転写する自信がない。韓国で出版された彼の選集から取り込んだ原詩の画像を以下に転載する。




Turugenefnooka_2  



 本詩は、朝鮮語が分かり、そうして既にイワン・ツルゲーネフの「散文詩」をお読みになった方には、一目瞭然であろう。あの「散文詩」の「乞食」をインスパイアした詩なのである。中山省三郎氏の訳を掲げる。


 

  乞食   イワン・ツルゲーネフ

 

 私は街を通つてゐた……。老いぼれた乞食がひきとめた。

 血走つて、淚ぐんだ眼、蒼ざめた脣、ひどい襤褸、きたならしい傷……。ああ、この不幸な人間は、貧窮がかくも醜く喰ひまくつたのだ。

 彼は紅い、むくんだ、穢い手を私にさしのべた。

 彼は呻くやうに、唸るやうに、助けてくれといふのであつた。


 私は衣囊(かくし)を殘らず搜しはじめた……。財布もない、時計もない、ハンカチすらもない……。何一つ持ち合はしては來なかつたのだ。

 けれど、乞食はまだ待つてゐる……。さしのべた手は弱々しげにふるへ、をののいてゐる。


 すつかり困つてしまつて、いらいらした私は、このきたない、ふるへる手をしつかりと握つた……。「ねえ、君、堪忍してくれ、僕は何も持ち合はしてゐないんだよ。」


 乞食は私に血走つた眼をむけ、蒼い脣に笑(ゑ)みを含んで、彼の方でもぎゆつと私の冷えてゐる指を握りしめた。


 「まあ、そんなことを、」彼は囁いた、「勿體ねいでさ、これもまた、有難い頂戴物でございますだ。」


 私もまたこの兄弟から施しを享けたことを悟つたのである。


            一八七八年二月



 訳はウェブ上にないことはない。しかし、それには訳者の著作権がある。また、そこにはそれぞれの訳者や評者の附言もある。

 最も素晴らしいと私が感じたものは、でじょん氏という方のサイト内にある『尹東柱を読む  「ツルゲーネフの丘」』である。僕はこの方の詳細な語りに大いに感動した。そこで、でじょん氏は氏の一九九一年筑摩書房刊の宋友惠(ソングヒェ著伊吹郷訳「尹東柱・青春の詩人」から女流作家宋友惠氏の痛烈なツルゲーネフ批判を引用されてもいる。そこで宋友惠氏は『ツルゲーネフの散文詩「乞食」がもたらす感銘や感動はニセの感銘、まがいの感動というほかない。ユンドンヂュはこのようなまがいものの兄弟愛に対して、おそまつな隣人愛に対して反発した。それで、「なんの損もなく感謝と人の心だけを得る」ツルゲーネフの「乞食」のごとき慈善がもっている、自己欺瞞性と不正直さをあばく作品を書き、表題さえも「ツルゲーネフの丘」とつけたのである。』とある。僕はしかし、素朴に思ったのである。ツルゲーネフの感懐は『まがいの感動』『まがいものの兄弟愛』『おそまつな隣人愛』であろうか? そうして、この윤동주尹東柱)の「ツルゲーネフの丘」が、果たして『慈善がもっている、自己欺瞞性と不正直さをあばく作品』であり(私に言わせれば「というだけのもので」である)、さればこそ詩人は確信犯として『表題さえも「ツルゲーネフの丘」とつけた』のであろうか? という疑義を、である。でじょん氏の続く語りは僕のような思いを、まさに心から受け止めてくれているような素晴らしいものである。是非、御一読をお薦めする。

 そこで、しかし僕は朝鮮語もハングルもまるで知らない。ましてやキリスト教徒でもない以上、ここで私の浅薄な感懐や疑問を述べることは控えたい。されど、多くの人に、このツルゲーネフの「乞食」と「ツルゲーネフの丘」を並べて、読んで、そうして考えて、いや、感じてもらいたい、とも思うのである……だが、それでは、このままでは、如何にも僕がなすべきこと、今の僕になしうることとは、転んでも言えないのではないか? そうだやはり和訳が必要だ――


 そうして――僕は教師であることを、この時ぐらい有難く思ったことはない――僕には最初期の教え子に、I君という朝鮮語を自在に使いこなせる人物がいることを思い出したのである。有難い! お願いしたところ、その日の内に、彼は勤務先の韓国から本詩を訳して送ってくれたのであった。


 以下はそのI君の
윤동주作ツルゲーネフの丘」の全訳である(掲載承諾済み)。I君に謝意を表し、ここに掲げる。




 

ツルゲーネフの丘   尹東柱

 私は坂道を越えようとしていた…その時、三人の少年の乞食が私を通り過ぎて行った。


 一番目の子は背中に籠を背負い、籠の中にはサイダー瓶、缶詰の缶、鉄くず、破れた靴下の片割れ等の廃物が一杯だった。


 二番目の子もそうであった。


 三番目の子もそうであった。


 ぼうぼうの髪の毛、真っ黒い顔に涙の溜まった充血した眼、血色無く青ざめた唇、ぼろぼろの着物、ところどころひび割れた素足。


 あぁ、どれほどの恐ろしい貧しさがこの年若い少年達を呑み込んでいるというのか。


 私の中の惻隠の心が動いた。


 私はポケットを探った。分厚い財布、時計、ハンカチ…あるべきものは全てあった。


 しかし訳もなくこれらのものを差し出す勇気はなかった。手でこねくりまわすだけであった。


 優しい言葉でもかけてやろうと「お前達」と呼んでみた。


 一番目の子が充血した眼でじろりと振り返っただけであった。


 二番目の子も同じであった。


 三番目の子も同じであった。


 そして、お前は関係無いとでもいうかのように、自分たちだけでひそひそと話ながら峠を越えていった。


 丘の上には誰もいなかった。


 深まる黄昏が押し寄せるだけ…

 



 僕は僕に、この如何にも惨めな非力な、まさにこの『同時に二つの詩の主人公であるところの僕』に、出来るであろうことを、少しだけ出来た気がしている。それはちっぽけな、取るにたらないことであるにしても――


追伸:本詩は、ツルゲーネフ「散文詩」中山省三郎譯の「乞食」の僕の注にも本日、追加した。



2009年8月16日追記:尹東柱の獄死については脳溢血という公称とは別に、獄中でわけの分からぬ妙な注射を何遍も打たれた事実から、生体実験として食塩注射を受けた結果の死という推定がなされていることをここに付記しておく。

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