漫筆御免 尾形亀之助
食べること飲むことが何よりも楽しみだ。此頃私は安心してさう思つてゐる。そして、私は日一日の経過にあまり不足を感じなくなつた。私の頭が麩のやうにふやけてしまつた。食物の夢を見るやうになつてからは、女や花の夢をちつとも見ないやうになつてしまつた。
このやうな傾向はあまりよいことではなからう。自分でも気がついてゐるけれども、これには止むを得ない事情がある。世の中があまり結構な世の中でないためにこんなことになつてしまつたのだ。私はさう信じてゐる。詩といふものがどれほどに価値のあるものかを疑はずには居れないこの頃ではないか。詩に疑ひをもちながら詩作することや批評したりするのは愚かしいことではなからうか。詩といふものは作るだけのものお互いに批評するだけのものであるなら――唯それだけのものであるのなら、あまりにつまらな過ぎるのではあるまいか。お互に詩作はやめよう。誰がこんなことにしてしまつたのだ。と、言ひたくなるのは無理か。「詩には立派な生命がある。だが、君達の作品はなつてゐないではないか」と言はれながら、私達の詩作は一生無駄働きといふことになるのか。
だが、不幸なことに私達は詩を信じないわけにはいかない。私は詩を捨てて鍬や犂を握ることは、悲しむべきことと思はずには居れない。――こんなことで私の頭は近頃麩のやうにふやけてゐる。
それにしても、詩では食つてゆけないといふことは不思議でないのだらうか。どうしたわけで詩では食つてゆけないのだらう。詩や小説は米ではない。呉服屋や金物屋は米屋ではない。どうして彼等だけが食つてゆけて、詩人ばかりが金にならないのだらう。
私はくそ真面目になつて。このやうな問題に触れてかれこれ言ふのをちよつと恥もする。又、あまり好きではない。又、私がこんなことを書いても誰が読むのだらう。頭がわるいのは頭が麩になつてゐるからだ。
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頭がわるい………で思ひ出すことがある。
今詩壇は実に喧噪をきわめてゐる。小学校の昼休みである。ぼんやり立つてゐて突きあたられるのがある。出会がしらにぶつつかるのがある。じやんけんしてゐるのがある。さうかと思ふと妙に意地わるがゐたり、おとなしいのがゐたり、男の子が女の子を泣かしてゐたり。ナワトビやマリツキをしていたり――しかし、小学校の昼休みは五十分だ。やがて彼等のしんとした教室から本を読む声がもれて来るのだ。おくゆかしいと言はふか、うらやましいと言はふか――。それにひきかへて、詩壇の喧騒は何時になつたら鐘が鳴ることかわからない。私は知つてゐる。ちつとも無理だとは思つてゐない。しかし結構なこととも言へない。
で、私は次のやうなことを案出した。それは、神経衰弱の者とはなるべく議論をさけることである。二人共に神経衰弱であるなら尚のことである。議論に負けさうになつたときも、この方法を用ひてもらいたい。「どうも変んだ変んだと思つたら、君は神経衰弱だ。だからもう議論はやめる」と言へばいいのだから用方は簡単である。
この神経衰弱の者とはなるべく議論をさけることという案出は、決して論客にあてつけてゐるのではない。議論に負けさうになつて「君は神経衰弱だから……」もあまり人を食つた話だ。だから「神経衰弱の者とはなるべく議論をさけること」といふ考案は戯談である。
戯談のついでになつてしかられては損だが――。
大きく出るわけでもあるまいが、日本で詩を作つてゐたつてつまらない。と思つてゐる人はゐないだらうか。実際興味のない昨今、さうした考へをもつてゐる人もゐないこともなからうと思ふ。こんなことは私はよいことだらうと思ふ。それともたはけたことだらうか。誰かがそんなことを口に出したとしたら笑はれることだらうと思ふ。人にもよることだが、笑はなくともよいことだ。桜の国の詩人だ。さうひけめがあらう筈もないと思ふ。当然のこととして多くの詩人が彼地に於て奮闘すべきではなからうか。
季節はまさに春である。実にうらやましいことだ。
何んとかしなけれは詩は余技になつてしまふのだ。この余技といふ言葉をどんな意味に解して呉れてもいい。それでいいことにさへ思つて呉れなければそれで充分だ。勉強さへしてゐればその中によいことがある――と安心してはゐられないのだから困る。佐藤春夫氏は「お前の詩は余技だ」と言はれて「或ひはしからん」と答へてゐる。うらやましいことである。煙草をのむかはりに詩を作るといふやうなことが横行するやうになつたら私達はどうすればいいのだらう。路を歩いてゐる人達が皆、赤や青やの綺麗な小型の手帳をポケツトにしのばせてゐて
今 私とすれちがつた美しい人よ
あなたは薔薇のやうだ
私はあなたを恋する 薔薇の花よ
といふやうなものを手帳に書きつけてこつちを向いてにやりとされたらどうする。
私は眼先が暗くなるやうな気がしてならない。頭の髪ばかりがぼうぼうとよくのびることだ。この頭に生えてくる黒いものに、私達はリボンをかけやう。笑つてはいけない。
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(詩壇消息第一巻第四号 昭和2年4月発行)
[やぶちゃん注:傍点「ヽ」は下線に代えた。]

