西暦一九二七年 尾形亀之助
自分は一生懸命に仕事をしたいと思ふのは毎年のことだ。もし、いたづらに月が過ぎ年が経つものとすれば生れて来て、泣いても追ひつかない。
昨年は今年の前の年といふ以外に何のこともない。こんなことではしかたがないとつくづく思ふ。しかし私に何が出来るものかと不遠慮に言つて下さるな。それは私自身で心配するので沢山だと思ふ。むしろおだててもらひたい。少し位わるくともよい意味であれば大変いいと言つてもらひたい。悲観してしまふと中々心をもち直すに骨が折れる。僻みなどは持ちたくない。又、「かつてに何んとでも言へ。俺の仕事がお前にわかつてたまるものか」とは私にはそうは思へない。
親切に見てゐてもらひたい。数十年後こつこつと詩を書いてゐる自分の姿を考へると、私は暗然とするものがある。又、ここで一箇年のケリがついて私はペン先をとりかへるのだ。私にばかりではない皆んなにも今年がよい年であつて欲しい。
*
(〈亜〉27号 昭和2(1927)年1月発行)
[やぶちゃん注:「私にばかりではない皆んなにも今年がよい年であつて欲しい」と最後に亀之助が言う時、しかし、彼は、「私」が破滅へと順調な落下をし、時は悪い時代へと向かい、人々にとって「悪い年」になることを予感していたのではなかったか――この昭和2(1927)年、日本は金融恐慌に揺れ、第一次山東出兵で高らかな軍靴の音が響き始めていた。私的にも、自身の主宰した雑誌『月曜』の廃刊・吉行あぐり他への恋慕から生じた家庭不和、それに起因する抑鬱気分が、年末には一気に躁状態での無謀な「全詩人聨合」立ち上げとなる。正津氏も「小説尾形亀之助」の中で述べるように、この夏の「ぼんやりとした不安」を理由に自殺した芥川龍之介の報知は、少なからずこの詩の尾形亀之助の思いに通底し、亀之助をして激しく揺さぶったであろうことは想像に難くない。]
*
否――
81年後の今日、芥川龍之介と尾形亀之助の「ぼんやりとした不安」は、少しも変わっていないのではないか?
と僕は思えるのである――
*
取り替えるペン先があるならばいっそ取替えたいとは思わないか?――