其の夜の印象 尾形亀之助
「部屋を出て路に出た。雪が未だ降つてゐる。一時過ぎた頃だ。
寒いほら穴のような路をつれの男と歩く。
外燈の上にもポストの上にも雪がたまつてゐる穴の中を歩く熊のように。
二人の人間は化けもののようだつた。
演劇、展覧会、音楽会、詩、歌、小説、感想、同人、金、人、表紙、画などと部屋の中で話されたことが外へ出ると頭に浮んで来ない、寒いばかりだ。ほら穴のような路のごとく遠くの方に未来があるような気がする。
『玄土』――こゝで自分は育つか。『玄土』――それも育つか。
それから三年半ほど過ぎた、その間に色々なことが起つたがそんなことはかゝない方がよいと自分は思つてゐる。」
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(玄土第三巻第六号 大正11年6月発行)
[やぶちゃん注:傍点「ヽ」は下線に代えた。『玄土』(くろつち)は仙台芸術倶楽部の同人誌に参加する。この雑誌は、大正9(1920)年8月に歌人にして相対性理論の紹介者である物理学者石原純や原阿佐緒が中心となって創刊された総合文芸雑誌である。ここで尾形亀之助が意味深長に語る「かゝない方がよい」「色々なこと」の大きな一つは、まさにこの石原純と原阿佐緒の道ならぬ恋であった。そうして後の亀之助の詩空間を髣髴とさせる石原の時空間理論と、ファム・ファータルたる原阿佐緒の魅力……その辺りは、私のブログ記事「尾形亀之助 相対性理論 特撮」等も参照されたい。]