詩集「兵隊」のラッパ 尾形亀之助
私には大鹿君の「兵隊」を批評することはとうてい出来まい。私に言はせると、大鹿君の詩は私が批評しやうとして使ふ言葉よりもはつきりしてゐるし、うがつてゐる。銃口につまつたラムネ玉はころがして遊ぶより他に私には出来ない。銃身の西洋錐のやうにねぢれた光にそうて、魂を吸ひ込まれてしまふばかりである。
しかし、「しかし」と云つては大げさ過ぎて、何か一言これから批評めいたことを言ひ出すやうではあるが、そんなことではなく、「批評が出来なければしなければいゝではないか ――誰も君にたのんでは居ないよ」と、言はれたくないのだ。私には友情がある。この意味で大方の読者並びに大鹿君にも許してもらはなければならない。
大鹿君はおそろしい眼と耳と触角のやうな不思議な鼻をもつてゐる。そして、水晶のやうな脳をもつてゐるに違ひない。「兵隊」「漁師」「猟師」「潜水夫」「線路工夫」「公園」……そこには、にじみ出てゐる親しみがあり、唇を青くするやうな苦しみがある。そして又、何んといふ淋みしさだらう。泣かされるやうなところがあるではないか。この彼の熱情を私は拒めない。
爽やかな秋の空気を圧縮した空気銃で
私は雀のやうな木葉を打落した。
(空気銃)
私は大鹿君をたゞもううらやましいと言はふ。彼は銃口から青空をのぞいてラムネ玉を見つけてゐる。目の前で馬の尻が笑つてゐると言つてゐるではないか。
「兵隊」編の1の第一番に
兄弟! 何を考へてゐるんだ。
と、書き出してゐる。
「兵隊」123は実によく分けてある。こんなによく分けるには何年かゝつても出来ないでしまふ。私はこゝにその全部を書き写そう。
兄弟! 背囊のやうに草の中へ転がらう。
からだの垂味で草汁が背中へ浸み移つてきても
草から砲丸のやうな頭をもたげるのは嫌だ。
兄弟! お互が傍の呼吸と体臭を忘れてゐよう
空が余り青いから顔の色も染つただらう。
頭脳の中の(故郷)へ土の冷えが浸みこんでくる……。
はつと持上げた首がポプラの影を草に見る
其処に草を喰ふ馬の首はなかつた。もつとも今日は安息日
俺は彼の馬へ愛着を発見した。
俺に生れたこの悲しい習性に呪あれ!
銃銃銃……靴靴靴……みんな呪はれてあれ!
兄弟! お前のよく寝てゐる頰をなぐらしてくれないか!
「漁師」私は又すくなくともその一編を書き写さなければならない。だが、紙面をそう取ることは許されないことであるし、それではあまりくどすぎることになるだらう。
この漁師は女のことばかりを妙に思ひこんでゐた。魚はあまり取らないやうであつた。
「嬶は今頃海へ潜つてゐるだらう。二本の足が油雲へ突きさゝり……青い水の中を尻が空を向いて落ちてゆく……」そして舟に乗つてからも、そして「指の股の鱗は煙草入の中へしまつて置かう」と「夜明けだ! 夜明けだ! 夜明けだ!」と三つかさねて、黒いインキの水の中へ漬けて置いた錨と心を引上げた。「兵隊の会」のときの都こしまきの貴族といふのを思ひ出して、「漁師」をこんな風に書いてしまつたけれども、得難い名編であることは言ふまでもないのである。
「猟師」123。1も2もそうではあるが、3まで読んでいつて、私はしーん……としてしまつた。このま暗になれ! と言へば、黒薔薇の花束が何処からともなく集つてきて、この頁を埋づめてしまふやうな変事が起るであらう。
大鹿君はこゝにも女精を巧みに使つてゐる。白犬!
私は何度も読み返した。私は大鹿君の詩集を初めて読んだ次の日自分の詩集の返本を一行李縁側へ運んで虫乾した。よく晴れた秋空であつた。黄色い表紙の色を縁側から座敷まではみ出させて、ひととほり列べ終へてから座蒲団を枕にして、私は又「兵隊」のところから読んでゐた。私は十年前の昔、啄木歌集に赤線を引いたことを思ひ出す。
私は赤いアンダーラインを引きすぎてはならない。思つてゐることがみな文学になるだけに充分注意しなければならない。が、「潜水夫」には水のやうなところがあり「線路工夫」には砂利のくづれるやうなところがある。この二編に比べれば比べるほど前者は海の詩となり、後者は陸の詩となつてしまふ。
私は先に「漁師」と「猟師」を読み、こゝに「潜水夫」と「線路工夫」を読んだ。そして次は「公園」になつてゐるが、その間にはさんで「飛行師」といふ一編があつたとすれは、やはり私をうならせたことだらうと思ふ。私は前の節までを前夜書きつけて、この節から次の日の昼から書き初めてゐる。昨夜のところを未だ読みかへしてみないが、今日は何んといふ書きにくさだらう。私は「公園」に入る前に「準水夫」と「線路工夫」に、彼のために歓声をあげやう。
「公園」編……「浴場」
銅の湯槽が私のものになつた。
タイルの白い床にざあざあと溢れる湯が
ガラスのせゝらぎを作つて朝を流す。
女の児がゴム人形になつて坐り
桶に被せたタオルを風船玉の頰が吹いてゐる。
トンボの眼玉のやうな石鹸玉がもり上り
天井の色硝子を映して女の児の瞳へ近づく。
幼い頃は自分の夢を作るのが上手だな!
からだ中を真白な石鹸にしたので
私も南洋土人になつた。
皮膚には生毛の感情が甘へてゐる
ぷすぷす不平を云つて消えるものがある。
感触を失つた思ひは洗ひ流して了はふ
(中略)
私は小鼠のやうな自分の……を見る。
まことによい巫山戯方ではないか。珍らしい健康さではないか。浴場を平らにして、陽に透して見るやうである。これは大鹿君のあの鼻のするしわざなのであらう。もし、そんなことではないといふやうなことだつたら、私は黙つて大鹿君の鼻をぬすみ見るばかりである。
「穴」のパイプを私は非常に好んだ。
「時計」「紅茶」「唾」「帰路」「雨」「旅」「軽い熱病」「げんごろう」「W・C」。……
「空気銃」編……「日曜日」
投上げたゴム鞠は瓦の階段をころがり
息もつかず飛下りてくる雀……
少年の両手は日曜日を摑へた。
この他、「夏」「森の中」などの好編がある。
「焚火」編「焚火」「鞦韆」「杉林」「夕暮」など十数編が又私を喜ばした。
「夕霧」
緋の空に火竜(ドラゴン)の息は衰へる。
岩々の城壁に夕霧が懸つてゆく……。
遠か奈落の浪打際で
柩の蓋の響が轟々と鳴る。
(一行略)
星はこの夜の黒檀の柩に、一つ一つ釘を打つ。
又夜が来て、今夜は雨が降つてゐる。私は昼から二枚と少ししか書けなかつた。一つには私はかつてこの種のものを一度も書いたことがなかつたからだらう。だが、初めから終りまでたゞほめて書いてゐるのに云々……と思ふ人があるならば、それは間違つてゐる。よいものをよいと言ふのに私は何の不思議もないと思つてゐる。私には、今まで私がこの種のものにぜんぜん手を触れないで来てゐるその為の臆病さの真面目がある。幸にして、私は大鹿君の詩集に初めての筆をおろしてゐる。こゝに書いてきた中にいやらしい言葉を一つも使はずにすんでゐるのである。拙なさは自分ながらも恥じ白らけて、筆をとめやうとさへする。しかし私はこゝでもラッパを吹こう。
筆をとつて第三日目である。私はだいぶ疲れてしまつた。「拾遺」の「隅田川」と「島の画家」に就いては、機会を待つことにしよう。「隅田川」は私のやりかけてゐることに似かよつてゐるため、「島の画家」は私が過去一年間小説に手をつけてきてゐるために、又異つた興味から書くことが出来る大鹿君の輝やかしい将来を祝し、よい詩人を持つわれわれの喜悦を述べた。この二編は次へ割愛する。
(一九二六、一〇、六)
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(詩神第二巻第十二号 大正15(1926)年12月発行)
[やぶちゃん注:傍点「ヽ」は下線に代えた。これは文芸社大正15(1926)年8月刊の、友人大鹿卓の詩集『兵隊』の評である。詩の題や引用を示す( )書きの詩の題は、底本ではポイント落ちである。大鹿卓(明治31(1898)年~昭和34(1959)年)は、金子光晴の弟で、草野心平の紹介で亀之助と出逢った。亀之助が信頼していた友人の一人で、後の全詩人聯合結成にも尽力したが、その後、亀之助の妻シゲが尾形に愛想をつかし、彼の元へと走ることとなる、尾形亀之助にとってエポック・メーキングな詩人でもある。私は大鹿卓の詩をこれ以外に読んだことがないが、残念ながらここに示された大鹿氏の詩には亀之助のように打たれるものが全くない。「油雲」「女精」といった語彙は私には不審、識者の御教授を願いたい。「自分の詩集の返本」は前年11月に出版した第一詩集『色ガラスの街』を指す。限定500部であった。「この二編は次へ割愛する」とあるが、その二編を語った評論は底本の尾形亀之助全集にはない。恐らく書かれていないと思われる。そうして、次に全集に載る雑誌『詩神』への寄稿は、昭和4(1029)年1月までなく、それは「跡」である。『妻と別れた経験は生れて初めてゞあつた。』と思わず記した、そうして『書くことを書いてしまつたような気がする、読みかへしてみたが、これが私の書かうとしたことなのかどうかわからなくなつた。――読みかへしたのがわるい。書くことを書いてしまつたやうな気がしたゞけでいい。』という痛みの中で終わる述懐の「跡」である。そこでは、最早、現実の舞台上の重要な登場人物であるはずの大鹿は、登場しない。]

