青狐の夢 尾形亀之助
ぼんやりとした月が出て、動物園の中はひつそり静寂につゝまれてゐた。
しかし、彼は秋晴れの美しい空に三日月の銀箔を見、そよ風に眼をほそくして自動車に乗るところであつた。彼は水色の軍服を着た青年士官になつてゐるので、心もち反身になつて小脇に細いステツキを抱へ煙草に火をつけてゐた。
そして、彼の瀟洒な散歩は事もなく捗どつて、自動車が門を走り出ると彼ははつとした。はつとして狐にかへつてゐるのであつた。
又、或るときは街のペーブメントを歩いてゐて、あまり小さすぎる靴をはいてゐるのに気がついて姿をかくさなければならなかつた。
彼は青年士官になり紳士にもなつて、幾度となく催した企てが何時も煙のやうにふき消された。動物園の昼の雑踏に、彼は首をたれ眼をつむつてゐた。青い空が眼にしみた。さみしかつた。
あるとき彼の檻の前に立つてラツパを吹きならす子供があつた。そのとき彼は頭にふる草鞋を載せる芸当を思ひ出して苦しい笑ひを浮べた。人間になりたい希望はもはや見はてぬ夢となつて、彼の親も死ぬまでその希望をすてなかつた。彼もその禁断の血をひいてゐるのであつた。
日暮れになつて、今までどよめいてゐた園内がひつそりすると、彼はぽつねんとした。そしてつむってゐた眼をあけた。夕やみの奥から鶴の啼き声などが聞えてくる。外燈の瓦斯が蒼白に燃え初める。彼はペタペタと冷めたい水を嘗めると背筋まで冷めたくしみるので藁床に入つて尾に包まれるのだつた。眠らうとしても眠れない。あはれな記憶が浮ぶ。呼ぶ。悪血が彼の尾を二倍も大きくするだらう。彼はふらふらと立ちあがる。
「女に化けやう――」
そして、彼は喰ひ残りの雞の骨を頭に載せる。
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(青きつね二の巻 卯のとし睦月一日 昭和2(1927)年1月発行)
[やぶちゃん注:「青きつね」は、底本編注に『編集人天江富弥、仙台郷土趣味の会』とあり、この天江富弥は郷土史研究家と思われ、特に伝統こけし研究では先駆者とされ、秋元潔「評伝 尾形亀之助」には『亀之助の友人』(同書77p)という記載がある(後掲する尾形亀之助の「こけし人形」の注も参照)。]