尾形亀之助作品集『短編集』復元について
秋元潔「評伝 尾形亀之助」によれば、尾形亀之助は当初、現在知られる第三番目にして最後の詩集『障子のある家』のような本を作るつもりはなかったと記す。
《引用開始》
『雨になる朝』のつぎに考えていたのは、『短編集』である。『短編集』は、昭和四年九月刊行のはずだった。(亀之助は『雨になる朝』刊行案内の文章の中で、「自分としては、九月に出版する短編集のために読んでおいて欲しいと思ふ」(「さびしい人生興奮」『詩と詩論』第四冊・昭和四年六月)と書いている。)
『短編集』の刊行は実現しなかった。『電燈装飾』という表題まで用意して、昭和二~三年頃刊行するつもりでいた第二詩集の場合と同じである。それは『雨になる朝』になった。今度は『短編集』が『障子のある家』になった。『雨になる朝』と『障子のある家』が、亀之助の一つの顔ならば、未刊の『電燈装飾』と『短編集』はもうひとつの顔である。[やぶちゃん注:中略。]
これらの作品[やぶちゃん注:『短編集』に所収された可能性のある作品群を指す。]『障子のある家』の散文詩とは異質である。『短編集』が刊行されていたら、亀之助の詩人像、作品評価は今と変わっていたろう。『短編集』に収められるはずの作品は、ロマンチックな雰囲気につつまれ、明るく、才能のひらめきを感じさせる。
《引用終了》
この中略部には秋元氏が推定する作品が、初出掲載誌とともに細かく掲げられている。[以下、友人が雑誌「尾形亀之助」を調べてくれている中で一部、僕が勘違いをしていた部分があったことに本日【2009年1月31日】気づいたので、記載を訂正してある。]
その殆んどは、現在の思潮社増補改訂版尾形亀之助全集の「物語(夢譚・無声映画シナリオ・戯曲・小品)1926-1930」に纏められている作品群である(先にブログでも問題にした「毒薬」は拾遺詩に、「不思議な喫煙者」「少女」の二篇は「評論(映画評・詩集評・詩評/雑感・エッセイ)1922-1939」パートの「A Corner Shop」の中に含まれている)。
僕は、次の尾形亀之助の電子テクスト化で、その復元を試みてみたいと思う。
« 「評伝 尾形亀之助」についての対話 | トップページ | 芥川龍之介「骨董羹―寿陵余子の仮名のもとに筆を執れる戯文―」に基づくやぶちゃんという仮名のもとに勝手自在に現代語に翻案した「骨董羹(中華風ごった煮)―寿陵余子という仮名のもと筆を執った戯れごと―」という無謀不遜な試み やぶちゃん翻案 »

