犬の化けもの、躑躅、雀、燕 尾形亀之助
世田ケ谷へ引越して来てからは、訪ねて来る友人も少くなり手紙なども来なくなつて、毎日風ばかり吹いてゐる。引越して来たと言つても、私が二週間ばかりの旅をしてゐる間に家族のものだけで先に引越して来てゐたので、私は旅から帰つて来た夜、かなり遅くなつてから友人に案内してもらつて、藪の中のま暗な細い路を通りぬけたり畑の中を通つたりして、門の脇に赤い躑躅の咲いてゐる家の前へ来た。部屋へ入ると自分の机やベツドや本が置いてあつたので淋しい気がした。暗くつてよく解らないが、私の部屋は月山の上のやうな所にあるのであつた。
旅から帰つて毎日私は月山の上のやうな所にある部屋で暮してゐる。飛行機が来ると、今までうるさいほど騒いでゐた雀が這ふやうに低い松の木の枝にすれすれに飛んだりするのを見てゐた。それから、青い葉のかげに梅の実のなつてゐるのを見つけた。近所に白い猫がゐて時々庭を通つてゆく。風が吹けばアンテナも欅の林も揺れる。松の花粉が飛ぶ。写真を写すときのやうな恰好をして燕が電線にとまつてゐる。向ひ隣りの家の犬はよく吠えるが鎖でしばつてある。湯屋の煙突から煙が出る。家の前が八幡宮の森なので風は少しもあたらない。椽の下に大きい蛇が二匹ゐるといふ話は誰かに聞かされたのか、それとも聞かされたやうな気がするだけなのか。庭から森へ入れるやうに垣が破れて路がついてゐる。八ツ手の若葉に陽があたつてゐる。昼近くなる頃から家には陽があたらなくなるが、それでも庭へは日没まで陽がさしてゐて、昼は赤や肉色や紫や白の躑躅が美しい。時には郵便配達夫が寄つてゆくのだが、転居の知らせを見た――といふやうな葉書を一枚か二枚投げ込んでゆくだけで、それも二枚来た日の次の日は休みになる。郵便配達夫が素通りしてゆくのを見かけると、いくらぼんやり青い空の雲の動きを見てゐたり煙草が苦くなつてゐるときでも、行き過ぎて隣りへ寄つてから来るのではあるまいかと思はずにはゐられないし、郵便配達夫がうつむいてゐたり、私の家を見やうとしないでまつすぐ前の方を見てゐたりするときは淋しい予感がある。わけもなく郵便配達夫を憎いものに思はれる。私のところへ寄るのを忘れてゐるのではないかといふ気がする。郵便は、朝九時頃と午後は三時頃と二度来るのを私は二三日して知つた。郵便配達夫の姿を見かけても、家の前を通つて近所へ一二軒寄つて路を曲つてしまふほんの一分間位ひの間のことであるが、私はその後二三時間は失望してあはれな気持になつてゐる。私には、十日余も待つてゐる女の人からの手紙が一ぽんあるのだ。
私は旅行から帰つて来て二週間余にはなるだらう。が、まだ一度も風呂に入らないでゐる。朝起きて、窓に机を持ち出して坐るとそのまゝ夜になるのだから、入るひまがないと言ふのが当つてゐると思ふ。昼寝をして首のない犬をつれて散歩をしてゐる夢を見たりするのだが、風呂に入る機会がなかつた。旅先が温泉場であつたから、一年分入つて来たなと言訳してゐた。時に風呂に入らうと思つてゐることがあつても「ご飯を先にしますか……風呂を先にしますか」と言はれると、着物をぬいだりするよりは「風呂は入らない」と言ふより他はしかたがない。近所にゐる友人が来て、鏡を見ながら頤髯がのびたと言つて撫でてゐるので私の方がのびてゐると言ふと、何時すつたと言ふから何時だつたらう私が下駄を買つた日だと言ふと、その友人は、俺が下駄を買つた二三日後だつたね、と言つた。そしてわりあひにあんたはのびないと言つた。友人が帰つてから私は何時間もかゝつて丹念に鋏で頤髯を摘んだ。
夜になると蛙が鳴く。月が出る。毎日暑くも寒くもない日がつゞいてゐる。ぼんやりしてゐると、知らないうちに頭が痛くなつてゐたりする。かはいさうな妻は、体が方々痛むといつてひどく痩せて眼がくぼんでしまつた。ま顔になつてヒステリーかも知れないと、飯の給仕をしながら言つたりするので、私はもう少し喰べやうと思つてゐてもいそいで箸を置てしまう。この頃妻にそばへ寄られるのが気味がわるくなつてしまつた。妻には大変すまないと思つてゐるので、大きい声をたてたり子供を叱つたりするのを注意してゐるが、妻以外の人を愛してゐる罪はなかなか許されないことを私は悲しんでゐる。そんなことで旅へ出たのであつた。夏になればお宮の森では蝉が鳴くだらう。妻が骨と皮ばかりに痩せてしまふ日も近いのだ……と、私は真面目に考へてゐる。私は何かの瓦斯体に包まれてゐるやうに庭や隣りのアンテナを見てゐる。が、骨と皮ばかりになりさうになつてゐる妻のことを思ふと、心を痛めずにはゐれない。ぼんやりしてゐるが、あくびはちつともやらない。そして頭の髪をむしるやうなくせがついた。夕方になると何処からか木魚を叩く音が聞えて来る。蓄音器の安来節やマンドリンも遠くの方でやつてゐる。隣りの子供がうちの子供と同じやうな泣き方をする。庭の植込が暗くなる。世の中がさう面白くないわけではないと思はふとしたり心をこめて月を見たりするやうなことは、躑躅の花の上で喧嘩をしてゐる蜂と蜂が、見てゐるうちにどつちがどつちだかわからなくなつてしまふやうに果敢ない。毎日天気つゞきだ。忘れものをして引き返して来た向ひの細君へ隣りの細君が「私は不精だから忘れものがあつても知らないふりをして行つてしまふんですよ」と言つた。木の枝が少しゆれたり、部屋に蠅が静かに飛んでゐる昼は森の中が青い。一日窓にもたれてゐると、ちらちら光る若葉や通りの角まで来る広告屋の馬鹿囃子や黒い蝶にも何時までも心をひかれてゐる。毎日のやうに午後になると風が出る。近くの野砲隊で大砲をさかんに打つやうな昼は、私の灰皿はのみさしの煙草でいつぱいになる。驚ろいて飛び上つた雀が燕と列らんで電線にとまつた。
夕陽がかげると黒ガラスの幕が降りる。部屋に電燈をつける頃は、もうすつかり煙草に厭きてしまつてゐる。三時過ぎの昼飯であつたが、私は夕飯をいそぐのだ。
(一九二七・五・一二……未完のまゝ稿を止む)
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(文学祭六月号 昭和2(1927)年6月発行)
[やぶちゃん注:傍点「ヽ」は下線に代えた。]
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