尾形亀之助「羽子板」「毒薬」について
秋元潔「評伝 尾形亀之助」に、その衝撃的なページは用意されていた。数少ない全巻読破した個人全集であったはずの梶井基次郎の書簡に尾形亀之助が登場していた。僕が梶井旧全集を読んだのは19の時、尾形亀之助に出会う直前で、その名前に注視し得なかったのは仕方あるまい。しかし、そこには、ある亀之助の一つの拾遺詩の全体像が明らかになる鍵があった。
昭和41(1966)年刊筑摩書房版梶井基次郎全集二一五書簡を全文引用する(正字正仮名である)。
昭和2(1927)年2月2日附、発信先は伊豆湯ケ島温泉世古ノ瀧湯川屋内より。京都市上京區吉田近衛町二四番地中村方北川冬彦宛の封書である。
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拝啓
此の間はお手紙有難う ぼんやりしてゐて返事出すのを怠つてゐた あしからず
此の間御承知かも知れないが小山田夫婦がびよつこりやつて來て四日間一緒に暮した 隨分淋しさを忘れた 小山田の奥さんはなかなかいいお孃さんだ 小山田はナンジ[やぶちゃん注:ママ表記。「汝」か? ここ、小山田ある男とが奥方を「汝」と呼んでいるということか?]なんか云つてゐる 小山田らしくて面白いだらう なかなか君のうはさもした、東京へ來ることを小山田は望んでゐたが會社ばかりで面白い友人に餓ゑてゐるだらうと思ふ
小山田は池谷氏と新式テニスをした これは碁石でやるので僕がここでは開祖だつたがたうとう小山田がレコードを作つてしまつた
その池谷氏との戰は池谷氏ハンドルンクがうまくゆかず途中で放棄してしまつて戰にはならなかつた、池谷氏は碁で僕を敗し、小山田も川端氏の面前で僕を敗した どうも碁は難しい 頭や眼がどうも集中しない 僕はそれで敗けるのだ、それもここへ來てからはじめたばかり、小山田はそれも僕が教へてやつたのだ
彼等が去つて再び空山、人聲を絶つた 毎夜默々と村の人の湯のなかへ入つて裸男裸婦を見て眼を喜ばせてゐる
青空が來た
君のもの 馬 非常にいいと思つた これこそ最近の最も強力な收獲だらうと思つた 馬といふ初號の活字は見てゐると漢字が象形文字的な效果で迫つて來る 變な氣持だ 君はそれを意識的にやつてゐるのかどうか知らないが檢温器と花に於て女と雲といふやうな字はその效果が非常に、僕には、出る
これは推測だが、村山知義はこの漢字の象形文字的效果を知つてゐる一人ではないかと思ふ 葵館の緞帳がそれだ
君の大活字の使用はとにかく君の詩の效果を強めてゐる それで見る度氣になるのだが犀ではどうして並みの活字にしてゐるのだらう
次には 坂 この構圖は僕にはまだはつきり冩つて來ない 水兵が背を向いてゐるのか坂を上るのか下るのか 然しそれもまもなく一定の構圖が讀む度に出て來て僕の好きなものになるに違ひない、然し濡れた甍。海といふのはその效果は徹底的に考へられたものかどうか。それまでこめてゐた力を濡れた甍。海。で抜かなかつたらうか 僕はそんなことを考へた、それは僕には少し列擧的に見える。つめもののやうに見える。
それから最後の、蟹が屋根に登つてゐる風景は非常に好きでそれが蚊帳と猫との風景と心のなかで組合はない。少くとも僕には蚊帳と猫との情景が浮いて來ないのだ。
然しこれは寫實的なものととつてよからうから眺めてゐるうちによくなつてくるだらうと思ふ
妄評多謝 どうも讀み返して見ると海。濡れた甍。などはあれでよさそうに思へて來るがこれが最後の批評ぢやないからこのまゝ出します、然し馬は僕の驚異だつたことは特記しておきたい
東京では今度新同人が一人入つたそうだね 皆贊成とのこと勿論僕も贊成した 君は知つてゐる人といふがどういふ人?
淀野は五日にまたこちらへ來ると。
こんどは愛人とともに落合樓といふのへ泊る筈 なにか合作して送るから待つてゐて下さい
合作と云へばあの亞といふ雜誌は編輯が實に面白いね。
開けた扉
サンルイグロアの花のやうに
ここ過ぎて「たのしみつくるなき樂園」
そんな句が口癖のやうに僕についてしまつた。
松は摧けて薪となる
シユミネにねむる黑い猫
みんな昔の物語――といふ風にこれは誰かの詩かね 實にいい情緒を持つてゐる あの體温表といふのは羽子板は君の方が優れてゐるが毒藥は尾形亀之助 どうもうまいと思つた そのかはり羽子板はだめ[やぶちゃん注:太字下線やぶちゃん。]
瀧口氏のはなんだか片言みたいで意に滿たぬ 短詩とは片言にあらずてなことを云つて瀧口氏にしつかりしたものを要望したく思ふが合作のところにはかなりいいのを見た 三好は青空語で瀧口氏の以前のものをほめてゐるね 淀野もこの間來てほめてゐた――なにしろ亞といふ雜誌は面白い。趣味的で柄が小さいところがある(君などは柄が大きいからはみ出すと思ふが)が實に愛すべき雜誌だと思ふ ちよつと類なし。
僕の身體は七度一分の熱 痰 それらがまだいけない 今度は割にしつこかつた 飯島の周到なる勸告に從つて散歩入浴を愼しみ神妙にしてゐるが飯島のいふやうに毎日判こをおしたやうに規則的な生活はまだやうしないでゐる
その時刻が來ればその一定のことをするといふ生活だ、なる程かうやれば身體が勞苦に慣れてそのコツを呑みこんでエネルギーの消費がなくなるやうな氣がする 然し看護婦でもゐないと實行が難しい
まだいけないから二月一ぱい位こちらにゐるかと思ふ 一度大阪へ歸つていい醫者に見て貰ふことを思ふがそうなれば實に大變だ、
身體よ愚圖愚圖せず早くよくなつてくれ、そんな気になる
然し病所が固まるのは實に微妙に緩漫[やぶちゃん注:ママ表記有り。]なものだ やきもきしてもはじまらぬ
さらば日よ照れ 小禽よ啼け
のんきにのんきによくなつて行きたい
それから君にお願ひ一つ、この間呉れた手紙はハトロンの少し強いやうな黄色い封筒 非常に氣に入つたからあまりたくさんでなくつて結構。ついでがあれば迭つてくれないか そして値段の程參考にでもきかせてほしい どうも僕の使つてゐる封筒は手輕くなくつていけない 惜しみつつどんな下らない手紙にもこれを使つてゐる始末だ これは醜態で と云つてハトロンは僕嫌ひだし君の封筒非常に氣に入つたままお願ひする次第
まだいろいろ書きたいことあれど今日はこれで卷紙を切る
……(以下便箋缺)
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これは梶井の病の積極的な克服願望と、文学への命を賭けた精進の志向が如実に窺われる心打たれる書信であるのであるが、この、僕が太字下線で示した部分について、秋元氏は以下のように述べておられるのである。
《引用開始》
『なんのことかはっきりしなかったが、安西美佐保氏から送られた『亜』27号(昭和二年一月)の写しによってそれがわかった。『亜』には「体温表」という競作欄がある。「羽子板」「毒薬」は北川冬彦氏と同題二作を競作、『亜』27号に掲載された。こんな作品である。[やぶちゃん注:以下全体の一字下げが行われているが、ブラウザの関係上、無視した。御覧の通り、引用部は正字である。]
●體温表3
羽子板 北川冬彦
少年よ。
天鵞絨のあの柄のところを舐めるときが復きたね。
羽子板 尾形龜之助
黑足袋の男の子が新しい下駄をはいて女の子と追ひ羽子をしていゐる。
毒藥 北川冬彦
何とかして手に入れたいものだ。
毒藥 尾形龜之助
私は毒藥の夢を見たことがある。覺えてゐるのは小さな罎に入つてゐる毒藥を握つてゐるうちになくして、すつかり困つてしまつたのだつた。
手にめりこんでしまつたのではないかといふ心配で、青くなつてゐるのであつたらしい。
×
私は毒藥は見たことがない。(これは飲んだことがないといふ意味かも知れない)食卓の茶わんの底に水が拭きのこされてゐるのを、毒藥のやうな氣味のわるさを感じる。
《引用終わり》
これは、僕にとって大変な新知見であった。即ち、拾遺詩である「羽子板」及び「毒藥」は題詠であったと考えてよいということである。インスピレーションの素材ととるか、拘束された規矩と感じるかは別として、始めに題ありき、それも恐らく編集部の題ありきで作られた詩であることは、これらの詩を鑑賞する上で、情報として必要にして不可欠である。僕は、「羽子板」の如何にも小学生の作文然とした詩に正直、奇異な感覚を持ったのだった――これで亀之助はどのような情調を僕らに示そうとしているのであろうか――深読みしようにも、パリパリした古い初等教科書の稚拙な挿絵を見るように、陳腐なノスタルジー以外を感じ取ることが出来なかったのである。だからこそ、逆に、気になっていた――しかし、こうした事実を知り、北川の対の詩を見た時、いや、梶井の言を待つまでもなく、北川のプエル・エテルヌスの勝利であるな、と思うのである。そうして逆に、「毒藥」は梶井が激賞する如く、尾形の詠が美事に神妙に入っているといってよいではないか。尾形という資質が「毒藥」という願ってもない詠題を貰って、水を得たように自在に毒液の茶碗の中を蠢く様が見える(北川は前作の「羽子板」の妖艶なエロス的転換に溺れたか、はたまた自己抑制を加えてしまったものか、尾形の「羽子板」と実に等量に陳腐化してしまっている。いや、二人が示し合わせて、自己劇化をしたかのようにさえ見受けられるではないか)。ちなみに僕には第二連(×以降の三段落目)で死体累々たる凄惨な帝銀事件の現場がフラッシュ・バックするほどだ。
ちなみに――これはやはり、全集で当然、補注すべき内容であると僕は思うのである。