カルルス煎餅 尾形亀之助
「交友」といふもの、私にはあると言へばあるないと言へばない。めつたなことに人を訪ねても行かない。たまに、酒なんかの勢ひで夜遅くなんかに出むくこともあるが、そんな折りはたいていは留守なのだし、たまたま留守でなかつたとしても半年か一年時には三年四年ぶりで一寸話して帰つたところが、それが交友と一般に目されるべきものかどうかはつきりしない。訪ねて来る友人があれば夜中であらうとうれしくなつてしまふのだが、それも、その人が訪ねて呉れゝばのこと。
こゝに一筋、二十数年以前の小さな「話」を記する。現在私は私の彼女と一緒にぼんやり暮してゐる。彼女は私を「お坊ちやん」と称ぶ。そこで私は「お嬢ちやんーはあい」と答へることになつてゐる。それらに因むわけでもあるのです。
何のわけもなく、たゞ女の子がそこにゐたので喧嘩になつたのです。最初男の子が一人でゐるところへ女の子が出て来て、女の子が来て間もなくもう一人のその男の子が通りかゝつて、男同志がお互に気まりのわるい妙な顔をしたのと、不意に男の子が出て来たので女の子がすねたやうにほんのちよつと後向になつたことの他は何の原因もないのです。
通りすがりに、何時も一緒に遊んでゐる気安さで相手の肩をたゝかうとしたのが、手もとがくるつて頭にあたつたのです。たゝかれた方も、肩だつたなら「やあ」とその返事をしたのでせうが、女の子の見てゐる前で頭を調子よくぽかりとやられたのですから黙つてはゐられなかつたのです。どつちも八つになつたばかり、女の子は五つか六つなのです。とつさに、うつかりなぐつてしまつた方が逃げ足になつたのですけれども、ひきかへして相手の竹の棒に肘をつつぱつて向つたのです。女の子はたゞ立つてゐたのです。
棒を持つた方は相手の正面からでなく後ろか横の方から殴りかゝらうとするので、肘をつき出した方ではそれにしたがつて少しづつ向をかへて廻らなければなりませんでした。棒は相手の肩をかすめて二三度ふり降されましたが棒が五尺近くもあつたし少々太くもあつたのでわきの下にたぐりこんでふりまはしてゐるのですから、さう思ふやうにはならないのです。肘を顔の前につつぱつた方はかなりけはしい眼つきをして、その棒で殴るんなら殴つてみろといふいくぶんすてばちな意気ごみでだんだん棒の手もとへ肘と肩で押しこんで来るのです。そこで、さう押されてみると何んだか棒なんかを持つてゐるためにうつかり相手をそれで殴れば相手がひどくむ気になつてしまひさうなので棒の方は押されて後へ退るのです。
どつちも一言も口をきかずに固くなつてゐるのですが、時折り二人共何か悪口を言つて馳け出しさうなそぶりになるのでした。だから手の方は留守になつて眼と眼の喧嘩といふわけです。でも、棒の方はゆるんだわきの方を時々しめたり、肘の方はその度に肩を張つたりはしてゐるのです。この際、捨てぜりふに何か変なことを言はれるのが三人が三人共、致命的なことになつてゐるのでした。肘をはつた方を中心にして、棒の方は棒の長さだけの大きさに七八度もぐるぐる廻つてゐました。場所は女の子の家のちよつとくぼんだ裏門のところで、前がすぐ長い土堤になつてゐて大きな河が流れてゐるのです。そこはすぐ警察の裏のとこにもなつてゐて留置所があつたりしたのでふだんは近よらないところでした。女の子は最近新らしく来た署長さんの娘さんなのです。と、そのうちに、とうとう肘の方が小石を拾はふとしたとき前こゞみになつた頭を棒の重さで一つぽこんとやられました。
それで、早く逃げ出してしまへばよいものを、相手が泣くかどうかをみやうとしたのか、それとも殴つたために動けなくなつてしまつたのかじっとそのまゝ立つてゐたので、相手は拾つた石を棒の方の膝の辺にけんとうをつけて四尺ばかりの距離から投げつけたのです。石を投げた方も、石を投げたときの手を肩に背つたまゝの恰好で棒立ちになつてゐるのです。そして、ひどく間の抜けた様子をしてゐたわけなのです。ふとみると、女の子は裏門から中へ入つてゐなくなつてゐました。棒の方が棒をそのまゝ小わきにはさんで唾の出ない唾をすると、相手もいそいで唾の出ない唇だけの唾をつゞけて三度ばかりしました。
一人が頭をさすつて、一人が土のついた着物の膝を俺はこんなにひどくやられたのだといふやうにたゝいてゐると、そこへ女の子は自分に二枚あとは一枚づつの割合でカルルス煎餅を持つて来たのです。まるくつて、どこもかけ損じてゐないカルルス煎餅には、中にまるく唐草の模様とその困りに「英語」が浮んで出てゐました。裏のその河は夏になると出水して、その裏門のところまで水が来るのでした。そして人参のやうな柳の根などが出水のあとの河原や橋の杭にひつかゝつて残るのです。一人が、この辺まで水が来るんだと言つて地べたに線を引いたのですが、女の子がそれをほんとうにしないので、二人は一緒になつて黙つて聞いてゐる女の子の前で互に合槌をうちながら、嘘でないといふことを言ふために一生懸命になつてしまつてゐるのでした。
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(詩神第六巻第九号 昭和5(1930)年9月発行)
[やぶちゃん注:尾形亀之助30歳。私はこの二人の男の子と一人の女の子の話が、無性に好きでたまらない。]
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