横浜国大文型前期2007年度入試総合問題文(見田宗介「社会学入門」)中の短歌
ここのところ、尻に火がついた生徒達の小論文や問題添削を20人ばかりこなしている。そんな中で、ある生徒のやってきた横浜国大文型前期の2007年度入試の総合問題の中に印象的な短歌を見出した。問題文は見田宗介「社会学入門」からであるが(岩波新書・勿論僕は未読)、そこに四首の短歌が示され、それを見田氏が社会学的に解説しているのであるが、その四首は以下である(ルビは問題文向けのものと判断し、省略した)。
国境のさびしき村に夕餉とる殺人犯と名乗る男と 今雪史郎
十六歳指紋押捺する前夜針で指紋つぶせき女生徒 山嵜泰正
一人の異端もあらず月明の田に水湛え一村眠る 田附昭二
犇きて海に墜ちゆくペンギンの仲良しとことの無惨さ 大田美和
問題の方は如何にもな、入試問題の「為にする」陳腐な設えものであり(唯一、最後にある、「田毎の月」の姥捨伝説の「我が心なぐさめかねつ更科や姥捨山に照る月を見て」から芭蕉の「このほたる多毎の月とくらべみん」、果ては上田秋成の「更科や姥捨山の風さえて田ごとに氷る冬の世の月」までを縦覧する歌枕の解説を読ませた上で、三句目に短歌が持っている『日本社会論の核心に触れ』(見田氏の言)た新しさ理由を200字以内で説明せよという設問はなかなかホネがあってよいと思うが)、これと言って「問題」としては分析欲をそそるものはない。
更に言えば、問題文での見田氏の四首の社会詠への「社会学的な」短歌解釈(等という限定されたものがあるとは僕には思われないが)にも、必ずしも同意出来るものではない(例えば二首目を現在のリスト・カットの心性に通底させて語る手法は、興味深くはあるものの、それが現象としての社会学的な比喩の管見、その投げかけだけに終わってしまうのだとすれば、僕は寧ろ危険なものを覚えるのである)。但し、僕は原典を読んではいないので、問題文の内容にもこれ以上は立ち入るつもりはない。
何より僕はこの冒頭二首に大いに打たれた。三首目も「一人の異端もあらず」という抉り出しに感服した(四首目は社会学について語る枕としては面白いであろうが、僕にはまさにそうした「社会学」の言わずもがなをCGで描いたような詠には違和感を覚える。前三首に並べるのは残念ながら酷である)。
僕は短歌は苦手であるが、これらはどれも確かに一読、忘れ難い。
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因みに、第一首の作者は、17年前の歌会始で(御題は「風」)「香川県今雪史郎」とあって
寒風のアンデス越えし明治移民その子等ひそとアマゾンに老ゆ
とお詠みになっている方と同一人物であろう。この方は俳句も嗜まれるのか「移民・南米」という句集(日本全国俳人叢書180)と思われるものも出版されている。二首めの山嵜泰正(やまざきやすまさ)氏というのは、経歴からもこのHPの作者と同一人物であろうかと思われる。また、第三首めの田附昭二氏は検索では次の二首を
夕焼けをまはす少女の縄跳びのひらりひらりと堤をゆけり
担架かこみ搬送さるる妻とゐて烈しき揺れにただ耐へてをり
を見出せる。最後の作者はウィキペデイアにも載る中央大学英文学教授かと思われる。
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