《垂翅PC余命連禱》芥川龍之介 野人生計事
瀕死のパソコンから、芥川龍之介「野人生計事」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。やり残していた二つの芥川龍之介のアフォリズムをとりあえず、オリジナルにし遂げたつもりである。
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瀕死のパソコンから、芥川龍之介「野人生計事」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。やり残していた二つの芥川龍之介のアフォリズムをとりあえず、オリジナルにし遂げたつもりである。
瀕死のパソコンから、芥川龍之介「侏儒の言葉――病牀雜記――」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。一般には「病牀雜記」の題で知れれるものであるが、初出に従った。あんまり「侏儒の言葉」と名うって欲しくなかった一篇ではある。「侏儒の言葉」とある以上、僕のテクストとしては欠かせないものではあるが。
「コーリン・ムアーとほくろ」と言ふと、コーリン・ムアーの何処に黒子があるのだらうといふことになります。勿論入れぼくろではないのです。黒いといふよりは褐色にちかい色をした直径一分――厚みが半分のすてきに可愛いゝ奴なのです。しかし考へやうによつては、憎いほど幸福さうな奴です。何故と言つて、その黒子はコーリン・ムアーと一緒に生れて一緒に暮してゐるのだし、例へ彼女が死んだとしても彼女から離れないのだし綺麗な一つの墓になつてしまふのにきまつてゐるのです。こんなことを考へると、私は当然黒子がうらやましいし憎い奴だと思はずにはゐれなくなる。
――と、私はその黒子がコーリン・ムアーの何処についてゐるかを読者に知らさなければならないが、私は最後にそれを言ひたいと思つてゐる。今ここで言つてしまつては何んだつまらないと思はれさうな気がするしそんなことで読むのをやめてしまふ人があつたりしては、私がかねがね研究してやつとまとめたこの話が結局何にもならないことになつてしまふだらう。さうなつては、コーリン・ムア一にも大変すまないし私もみじめなものになつてしまはなければならない。だが、私はこんな心配をしながらも早く読者に黒子のありかを知らせたくつてしようがない。
そして、又困ることにはいざ黒子のありかを読者に知らせることになると、黒子のある場所が場所だけに私はそんなことを読者に知らしてもいゝのだらうか――と、ちよつとはコーリン・ムアーの身にもなつて考へなければならない。つまらないことを言つてしまつて、コーリン・ムア一にいやな顔をされては悲観してしまふ。
注意深くコーリン・ムアーの顔を見れば、何処に黒子があるのかわかるのだけれども、顔に黒子があるのではないのだから顔のどこを探してもないのにきまつてゐる。何処にあるか顔を見ればわかる……のです。あゝ、妙なところにあるので私は少し言ひにくい。
オ…へ…ソ……ノ…ミ…ギ…ウ…ヘ……にあるのです。と、私がこんなことを言つて誰かほんとにする人があるだらうか。――私は誰もほん気にする人がゐない方がいゝと思ふ。こんなつまらないことを言つて、もしコーリン・ムアーに「あなたはひどい人だ」と言はれるやうなことがあつても、「でたらめだと思つてゐるから、誰れもほんとにしてはゐません」といくらか彼女の心を慰めることが出来るし、コーリン・ムアーの好きな人達に叱られても誰れもほんとうにさへしてゐなければ「あれはうそだ」と言つても誰れにも迷惑をかけずにすむから!
例へコーリン・ムアーのお臍のところに黒子があるといふ……私の話がうそであつても、私達のコーリン・ムアーとして何のさしつかえもないし又彼女がスクリンの中で踊りを踊つたりするのに是非なくては困るといふわけでもない。
兎に角、うそならうそでいゝといふことにして話をつゞけても(もう――こゝまで話して来てゐればうそかうそでないかといふことは重大なことではなくなつてゐる)私はこの話をつづけるのにちつとも困らないしむしろ気楽にこの後をつゞけてゆけるだらうと思ふのです。勿論私はコーリン・ムアーの悪口を言ふつもりでこんなことを読者に言ひふらさうとするのではない。私にしてはすばらしい愛嬌ものとして「黒子」といふことになつたのです。黒子――黒子……しかし、どうしたわけで私はこんなことに興味をもつてしまつたのだらう。お臍のところに黒子があるといふやうなコーリン・ムアーの顔を見てゐるとそんな気がするといふやうなことを――。確かにあるのを見たわけでもないのに。こんなことを話してしまつて、もしわるかつたら私は困つたことを言つてしまつたものだ。
「コーリン・ムアーと黒子」実に妙なことが私の頭の中に入つてしまつた。何か悲しくつてコーリン・ムアーがめそく泣いてゐるやうな場面でも、彼女が地に墜ちてべそをかいてほえ出るときも、今では私は黒子のことが何よりも先に頭に浮かんできてしまふ。
私はコーリン・ムアーが黒子を彼女の頰に植ゑかへてゐる夢を見て声を出してしまつたことがある。――彼女がお臍のとこから取つた黒子を頰に植ゑやうとしてゐるのを見てゐると、いつの間にか黒子が一匹のちひさい鼠になつてゐるのであつた。おゝどんなに私とコーリン・ムアーが逃げて、あのスクリンに出て来る並木の路を馳せたことか! そして、眼がさめるとき誰かの笑ふ声を聞いた。私は、コーリン・ムアーの笑ひ声のやうな気がした。が、そんなことまで言つては読者に笑はれさうな気がする。
私はこんなことも考へた。
コーリン・ムアーのあの黒子の価がいくらぐらゐするだらうか――と。なか/\売るやうなことはあるまいが――私が毎月いくらかづゝ貯金したつてお話にはならないけれども、もし売るといふやうな事を耳にしたら私も小さい財布を握つて堂々と買手の一人にならなけれはならないと思つてゐる。
そして、もしも私のものになつたら…………どうだらう。
私はパイプの飾りにしようと思ふ。だが、煙草の煙で色の変るやうなことはあるまいが私は今年になつてから三つもパイプを落したりなくしたりしてゐる。パイプに飾つて一緒に落したりなくなしたりしてしまつては、私は一生そのことを悔なければならない。指輪ではどうだらう。それも危険でないわけではない。石がとれて、気がついたときは輪だけになつてゐたといふ話を私は幾度も聞いてゐる。
私は三面鏡を買つてその黒子を三つにふやしてみたりして遊びたいが、うつかりして盗まれてしまつてはそれこそ大変だ。だから、私は黒子をそつと何処かの地べたに深く埋づめてかくさう。――黒子を埋づめた次の日に黒子の木が生えるといふやうなことは、あまり私の思ひつきが妙だらうか。そして、銀色の花が咲いて黒子の実がいつぱいになつたといふやうなことは――。
しかし、私はそれで終ひになるのではない。私は黒子の実の未だ青いうちから数をしらべて、盗まれるやうなことのないやうに番小屋を建てたり、番人には用心のために短銃位は持たせやう。そして、黒く熟すまでにはどんな病気によくきくかといふことやフランスやアメリカの美容院と取引をする準備をしなければならない。
お臍のところに黒子を入れるといふ流行が何時頃東京に入つて来るかわからないけれども、その頃は私の黒子の木も「黒子園」といふやうな立派なものになつて、温室の中にも幾本か植ゑて季節以外には不足のしないやうになつてゐるだらう。型や大きさなども十分皆さんの満足するやうになつてゐるだらう。
そして――ニセモノ続出。「コーリン・ムアーと黒子」の商標に御注意あれ。
――といふ広告を雑誌や新聞に見かけることになるでせう。
*
(若草第三巻第四号 昭和2(1927)年4月発行)
* *
この一篇、楽しいね――
残すところの尾形亀之助の評論は十数篇――僕の「尾形亀之助拾遺」の完成もそう遠くない――
この詩集の表紙の装幀が素敵によかつた。渡辺君はこの詩集を小野君からキタナラシクつくつて呉れとたのまれたと私に話して聞かした。そして、出来上りがキクナ過ぎたと小野君が言つた……と。
私は小野君の心持がわかるような気がする。私はこんなに紙のわるい詩集はめつたにないと思ふ。私は小野君に君の詩集は素敵です。――と言ひたい。詩集出版の際に、その装幀をどうしようかと思案しない詩人はゐないだらうと思ふ。立派に気のきいたものをと望むであらう。しかし、立派すぎることはちよつとをかしいし、気のきいたといふことは詩集の装幀にはあまりうれしくない。だが、著者が詩集を出版する際に立派でなく、気がきかないやうにとは中々さう思へないことにきまつてゐる。
きのきいた装幀は、けつきよくアクのぬけきらぬことを思はせるだらう。あまり綺麗すぎ立派すぎるのは、詩を飾り菓子のやうなものにしてしまふきらひがある。私は、詩集の装幀はどつちかと言ふと間のぬけたものをうれしく思ふ。(そして又、特別の場合以外は著者自身で装幀する方がよいと思ふ)――こんな意味ばかりではないが、詩集「半分開いた窓」の表紙装幀は私は非常に好ましく思つた。くどくどと言ふやうではあるが、私は詩集の装幀は著者が胸にかゝげてゐる花であると言つてもいゝと思つてゐる。世の全部の詩人にくれぐれも装幀に注意していたゞきたいと思ふ。私にもどうすれば装幀に失敗しないのかははつきりわかつてゐるのではない。いたづらに失敗した装幀を見ては痛歎する阿呆であるが、私は如何にも苦心したらしい……如何にもこちて印刷したものと思はせる多くの表紙にくらべて、この詩集の表紙は紙の裏からしみ出してゐるやうに少しの無理もひそんでゐないことを実にすばらしいと思ふ。小野君がキタナラシクと言つてたのんだことに、私はこの意をはつきり知ることが出来る。私はこの詩集を読む前に小野君は実によいものを持つてゐる詩人であると言ふことが出来る。この詩集は経費を多くかけてゐない。と思ふ前に諸君は以上私の述べたことを知らなければなるまい。すくなくもそれだけの観察をしなけれはなるまいと思ふ。
私は先に大鹿君の「兵隊」と北川君の「検温器と花」の愚評をして恥かしい思ひをした。私は又ここで小野君の「半分開いた窓」で恥かしい思ひをするのか。
批評といふことを、ほんたうに知つてゐない私には当然の結果であらう。そして、だいそれたそんなまねの出来るだけの自分ではないこともよく知つてゐる。けれども、喜びを述べ私だけの意見を述べ、又、かうした機会を得て注意深く著書を読むこともよいことであらう。
諸君よ。どうも私はくどく言ふくせがある。くどく言はないと不安心でたまらない。幸に私のあはれなくせを許して、私の言はふ言はふとして言ひあらはし得ない中から、私の言はふとするものをつかみ取つてもらひたい。
『小野君は小学校の五年生で、成績はよい方でずつと優等をもらつてゐる。昨日綴方の時間に詩を書いて一緒に列らんでゐる私に見せたので、私はそれを大に批評した』……と、こんなやうな邪気の無い態度で批評することを、小野君あなたは喜こんで呉れるか。何ごとかを言はふとする素人の批評を――。
×
『この秋』
女の悲鳴がする
枯蘆の中から
――さうかしら
静かだ
×
小野君はこんな詩を書いてゐる。だが、この一篇で小野君の詩を代表してゐると言へない。唯、このやうな心境をもつてゐる詩人といふことを知ることが出来る。
×
『盗む』
街道沿の畑の中で
葉鶏頭を盗もうと思つた
葉鶏頭はたやすくへし折られた
ばきりとまことに気持のいゝ音とともに
――そしてしづかな貞淑な秋の陽がみちてゐた
盗人奴! とどなるものがない
ぼくはむしろその声が聞きたかつたのだ
もしもそのとき誰かが呼んでくれたら
ぼくはどんなに滑稽に愉快に
頭に葉鶏頭をふりかざして
晩秋の一条街道をかけ出すことが出来ただらう
しかしあまりにたやすく平凡に暢気に
当然すぎる位ゐつまらなく盗んだ葉鶏頭を
ぼくはいま無雑作に
この橋の上からなげすてるだらう
×
「街道沿の畑の中で葉鶏頭を盗もうと思つた」詩である。実際は、葉鶏頭を折り取つたのか取らなかつたのかを知らうとするとひどい目に逢ふことでせう。
「半分開いた窓」を通読して小野君は詩が下手だと思つた。うまいといふ感じは受けなかつた。
(私は詩が上手なのを別に尊ぶことではないと思つてゐるが、詩は洗練されていゝものだと思つてゐる)しかし、いゝ詩を見つけることはたやすく出来た。私はみんないゝ詩だと思つた。詩そのものがいゝのであつた。たゞ感じたもの見えたものをそのまゝ詩に書き入れてゐるために、小野君のそのときの錯綜した色々の空想や幻想をそのまゝ読者に強ひるので、かなり無理なことになつて自然その間の説明の不足などのために、或部分を駄足と思はせる結果となるのであらふと思ふ。(小野君はわざとさうしてゐるのであらう。面白いことと思ひますが、このまゝではいけないと思ひます)こんなことで、詩の多くはわざはひされてゐるやうであつた。
私は短い詩にいゝ詩がうまく作られてゐるのを読むことが出来た。又、詩の多くは奇妙なユーモアをもつてゐた。私を好きがらせた。詩の一部分だけをどうかう言ふのはわるいことだが「十一月」「急止」「白昼」……等の終りの数行がその奇妙なユーモアで終つてゐる。活動写真の場面で、歩いてゐる人や自動車が急にそのまゝ静止した恰好になつたときの面白味、不思議味、不安定でゐて安定なといふやうなことに興味をもつてゐる――或ひはそこをねらつてゐるところが、「街道」 にも「無蓋貨車」にも「風船と機関車」にも「中空断層」にも「十一月」「急止」「白昼」……にもある。そしてこれ等の諸篇はたいてい同じやうな型で書かれてゐる。困難とする所以であらうと思ふ。
私は言葉の節約といふことをずゐ分以前から考へてゐる。節約といふ言葉にうまくあてはまらない点もあるが、今の短詩型の詩の中には詩をあやまるものもある。自分は残念なことだと思つてゐる。これとは関係がないが、十二月の太平洋詩人の三瀬雄二郎氏の「詩月評」に小野君のところに節約といふ言葉を見つけた。私は小野君の詩に三瀬雄二郎氏と同じやうな考へを持つことが出来るが、小野君の詩の多くが説明の不足からさうした感じを読者に思はせるのであるとすれば、そのむだと見なされる箇所は作者にとつて大切なものであらう。小野君に一考を煩はすべきである。私は詩を丁寧に書くやうにと小野君にたのみたい。
「野の楽隊」「或る恐怖」「産」は好きであつたが、三瀬雄二郎氏はこゝでも言葉の節約を望むであらう。私もさうだ。
×
『野鴨』
僕はあの蘆間から
水上の野鴨を覗ふ眼が好きだ
きやつの眼が大好きだ
片方の眼をほとんどとぢて
右の腕をウンとつゝぱつて
引金にからみついた白い指をかすかにふるはして
それから蘆の葉にそつと触れる
斜につき出した細い銃身
あいつの黒い眼も好きだ
僕はあの赤い野鴨も好きだ
やつの眼ときてはすてきだもの
そして僕は空の眼が好きだ
あの冷たい凝視が
野鴨を悲しむのか
僕は僕の眼を憎む
この涙ぐんだ僕の眼だけを憎む
覗ふ眼 銃口の眼 鴨の眼 空の眼
静かに集ひ
鴨を打つ
×
カンガールは極めて迅く走つた●然しながら私は尚一層迅く走つた●カンガールは肥つてゐた●私は彼を喰べた●カンガルーカンガルー……といふ土人の歌を小野君は知つてゐる。そして、この歌が大好だと書いてある。読者はどんなふしなのか聞きたいと思ひませんか。
「3」の無題が、面白かつた。「爆破作業」に不思議な力を感じて陶酔した。「断崖」も好であつた。「夕暮」も好であつた。「食欲の日」も「快晴」も好であつた。
私は詩に好き嫌ひが多い。それはわるいことだと思つてゐるが直せないものだ。私以外の人はこの詩集から私よりも沢山のよい詩を見出すであらうと思ふ。
「巨人と死神」其他七篇――私はこのやうな詩篇を読むと非常に疲れる。一つにはもつと散文化して書いてある方が読みやすいのかも知れない。
*備考……表紙装帳を大変ながながとほめたのはけなすかはりにほめ
たのではありません。この次に野村君の「三角形の太陽」を日本英
傑伝抄を中心にして何か書いてみたいと思つてゐますが、私のを読
んでも面白くないと思つたら注意して下さればたゞちにやめます。
*
(太平洋詩人第二巻第二号 昭和2(1927)年2月発行)
[やぶちゃん注:これは小野十三郎(おのとうざぶろう 明治36(1903)年~平成8(1996)年)の第一詩集『半分開いた窓』(大正15(1926)年ミスマル社刊)の評である。『大鹿君の「兵隊」と北川君の「検温器と花」の愚評』の前者は『詩集「兵隊」のラッパ』(大正15(1926)年12月発行の「詩神」に掲載)を指し、後者は『「検温器と花」私評』(昭和2(1927)1月発行の「太平洋詩人」に掲載)を指す(どちらも前掲)。「駄足」はママ。最後の「*備考」は底本では全文がポイント落ち。『野村君の「三角形の太陽」』は構成派詩人を自称した野村芳哉がミスマル社から大正15・昭和元(1926)年に出版した詩集。「日本英傑伝抄」は同詩集中の詩篇名かと思われる。]
《垂翅PC余命連禱》瀕死のパソコンから岩波新全集の縦覧により、「やぶちゃん版芥川龍之介句集三 書簡俳句」に新発見句「裏山の竹伐る音や春寒し」及び注追加及びミス・タイプ訂正を行った。
*
今日は、一発で蘇生した。機嫌がいいようだ。どちらにせよ、ターミナル・ケアである――
《垂翅PC余命連禱》こいつ、なかなか、死なない。主人と同じである――
瀕死のパソコンから「やぶちゃん版芥川龍之介句集五 手帳及びノート・断片・日録・遺漏」にに新全集縦覧による新発見句「凧三角、四角、六角、空、硝子」一句の追加他、「発句」ページへの注記を追加した。
この句と注を是非読んで戴きたいので、以下に転載する。
*
凧三角、四角、六角、空、硝子
[やぶちゃん注:芥川龍之介は、大正五(1916)年8月17日から9月2日にかけて、千葉県一宮町の一宮館に久米正雄と滞在した(この滞在は後の芥川の小説「海のほとり」や、その間の8月25日に芥川が出した塚本文へのプロポーズの手紙で知られている)。この時の芥川が漱石に出した手紙は有名なものであるが、1997年刊行の岩波版新全集第十八巻では、その大正五(1916)年8月28日附夏目漱石宛書簡(新全集書簡番号245・旧全集書簡番号223)に対して、関口安義氏が注解で、同じ日に久米が認めた漱石宛書簡の全文を掲げている(昭和女子大学図書館蔵になるもの)。その中に表記の、極めて特異にして魅力的な芥川龍之介の句が出現する。著作権上の問題があるので全文は遠慮し、少し前から最後まで引用する。
此頃の海は至って静かです。静かだと云っても泳ぎのうまくない僕は、時々浪に浚はれて死にさうになります。泳ぎの少しできる芥川は、時々遠くへ出て大川で錬った腕を双手ぬきで示し乍ら、僕らを尻目に見渡すのださうです。併し海で死ぬとすれば、芥川の方がきっと早く死ぬでせう。今死ぬと天才になるから死ねと云っても、彼はなか/\死にません。
立体派の俳句を作るのは僕ではなくて芥です。「凧三角、四角、六角、空、硝子」と云ふのが彼の代表作です。僕のには 秋天や崖より落ちて僧微塵 といふ名句があります。これは決して新しくないが僕としては中々自信があります。
長くなりますから今日はこれで止めます。
追伸。僕らの生活は芥ので尽きてゐますから、此辺で充分だと思ひます。それに此前のは長すぎて先生の処で不足税を取られやしなかったと心配して居る仕末ですから。
久米の茶化しが強い文体ではあるが、ここに嘘はない。この句は、確かな芥川龍之介の句である。]
*
平凡な謂いで我ながらまこと情けないが、しかし、文字通り、まさに青春のただ中にいる芥川と久米の姿が髣髴としてくる気がする――そして、この久米の「死」の冗句――彼は図らずも、「芥川龍之介という限られた時間」を、どこかで既に体感していたのではなかったか――
*
現在、やぶちゃん版芥川龍之介句集は新全集書簡縦覧に突入している――もう、余り時間がない――
《垂翅PC余命連禱》瀕死のパソコンから正式に上田秋成著「春雨物語」の「二世の縁」附やぶちゃん訳注(ブログ公開版の現代語訳を更にブラッシュ・アップしてある)を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。
今日、授業で言った以上、何とかこれもアップしたいと思った。数回でパソコンが立ち上がったが、HPに正式にアップするパワーがない。しかし、ほぼ僕の満足のいく段階まで、訳注をブラッシュ・アップ出来たと思っている。永のお別れに(かも知れぬ故)、ここでプレゼントしておく。ぶっとんだ話だ、よ。では、またね――
*
二世の縁 上田秋成
[やぶちゃん注:上田秋成最後の作品集「春雨物語」(文化5(1808)年に現在の十巻十篇の形に纏められた後、翌年の秋成没までの一年をかけて改稿された)の第四篇。底本は昭和34(1959)年岩波書店刊日本古典文學大系56「上田秋成集」の「春雨物語」を用いたが、一部不審な箇所は小学館1995年刊の新編日本古典文学全集78「英草紙 西山物語 雨月物語 春雨物語」と校合した。底本では編者による補足された文字が( )で示されるが、私のテクストでは読みと混同するので省略した。一部、高校生が音読する際に迷うと思われる漢字に読みを施したり、歴史的仮名遣で現行の送り仮名を送ったりしたが、それらについては特に区別して示していない。踊り字「/\」の濁音は正字に直し、漢文に現れるような「こ」の字型の繰り返し記号は「々」に代えるなど、記号の一部に変更を加えてある。表記できない漢字は【 】で示した。該当の字体は以下の通りである。
【※1】=「口」+「旬」
「佛」と「仏」が混用されているが、これは原文ママである。
また、私のオリジナルな注と現代語訳を附したが、訳は私の勝手自在な訳であり、恣意的に改行を多くし、空行も用いた(注では底本及び上記小学館版新編日本古典文学全集の頭注を一部参考にした)。一部に話の展開をスムースにさせるために加えて、純然たる遊びでも原文にない私の挿入句を加えてある。従って、以下の注と現代語訳には私の著作権を主張するものである。
なお、この話のルーツとしての章花堂なる人物の元禄17(1704)年版行になる「金玉ねぢぶくさ」巻一の「讃州雨鐘(あまがね)の事」や、更なるインスパイア作である寛保2(1742)年版行になる三坂春編(はるよし)の「老媼茶話」の「入定の執念」、そして上田秋成の先行作品、天明5(1785)年頃版行の「雨月物語」の「青頭巾」も以上の通り、用意してある。御興味のある方はお読み頂きたい。また、この作品を読んで、円谷プロの1973年放映開始の「恐怖劇場アンバランス」の、あのヌーヴェル・ヴァーグ風の第一作「木乃伊(ミイラ)の恋」(原作・円地文子『二世の縁拾遺』/脚本・田中陽造/監督・鈴木清順)を連想される方は、2008年10月19日附の僕のブログ『「入定の執念」と「木乃伊(ミイラ)の恋」』等の呟きをも御笑覧あれ。]
二世(にせ)の縁(えにし)
山城の高槻(たかつき)の樹(き)の葉(は)散りはてゝ、山里いとさむく、いとさうざうし。古曾部と云ふ所に、年を久しく住みふりたる農家あり。山田あまたぬしづきて、年の豐凶にもなげかず、家ゆたかにて、常に文よむ事をつとめ、友をもとめず、夜に窓のともし火かゝげて遊ぶ。母なる人の、「いざ寢よや。鐘はとく鳴りたり。夜中過ぎてふみ見れば、心つかれて、遂には病する由(ゆゑ)に、我が父ののたまへりしを聞き知たり。好みたる事には、みづからは思ひたらぬぞ」と、諫められて、いとかたじけなく、亥(ゐ)過ぎては枕によるを、大事としけり。
雨ふりてよひの間も物の音せず。こよひは御いさめあやまちて、丑(うし)にや成りぬらん。雨止みて風ふかず、月出でて窓あかし。一言(ひとこと)もあらでやと、墨すり、筆とりて、こよひの哀れ、やゝ一二句思ひよりて、打ちかたぶき居るに、虫の音とのみ聞きつるに、時々かねの音、夜毎(よごと)よと、今やう/\思ひなりて、あやし。庭におり、遠近(をちこち)見めぐるに、こゝぞとおもふ所は、常に草も刈りはらはぬ隈(くま)の、石の下にと聞きさだめたり。あした、男ども呼びて、「こゝ掘れ」とて掘らす。三尺ばかり過ぎて、大なる石にあたりて、是をほれば、又石ぶたしたる棺(かん)あり。蓋(ふた)取りやらせて、内を見たれば、物有りて、夫(それ)が手に鉦を時々打つ也と見る。人のやうにもあらず。から鮭と云ふ魚のやうに、猶瘦々(やせ/\)としたり。髮は膝まで生(お)ひ過ぐるを、取り出ださするに、「たゞかろくてきたなげにも思はず」と、男等云ふ。かくとりあつかふ間(あひ)だにも、鉦打つ手ばかりは變らず。「是は佛の教へに禪定(ぜんぢやう)と云ふ事して、後の世たうとからんと思ひ入たる行ひ也。吾こゝにすむ事、凡(およ)そ十代、かれより昔にこそあらめ。魂(こん)は願(ねがひ)のまゝにやどりて、魄のかくてあるか。手動きたるいと執(しふ)ねし。とまれかうまれ、よみぢがへらせてん」とて、内にかき入れさせ、「物の隅に喰ひつかすな」とて、あたゝかに物打ちかづかせ、唇【※1】(くちびる)にときどき湯水すはす。やう/\是を吸ふやう也。爰(ここ)にいたりて、女わらべはおそろしがりて立ちよらず。みづから是を大事とすれば、母刀自(とじ)も水そゝぐ度(たび)に、念佛して怠らず。五十日ばかり在りて、こゝかしこうるほひ、あたゝかにさへ成りたる。「さればよ」とて、いよゝ心とせしに、目を開きたり。されど、物さだ/\とは見えぬ成るべし。飯(いひ)の湯、うすき粥などそゝぎ入るれば、舌吐きて味はふほどに、何の事もあらぬ人也。肌肉(ひにく)とゝのひて、手足はたらき、耳に聞ゆるにや、風さむきにや、赤はだかを患ふと見ゆる。古き綿子(ぬのこ)打きせれられて、手にて戴く。嬉しげ也。物にもくひつきたり。法師なりとて、魚はくはせず。かれは却(かへ)りてほしげにすと見て、あたへつれば、骨まで喰ひ尽す。扨(さて)、よみぢがへりしたれば、事問(こととひ)すれど、「何事も覺へず」と云ふ。「此の土の下に入りたるばかりはおぼえつらめ。名は何と云ひし法師ぞ」と問へど、「ふつにしらず」といふ。今はかいなげなる者なれば、庭はかせ、水まかせなどさして養ふに、是はおのがわざとして怠らず。
扨も、仏のをしへはあだ/\しき事のみぞかし。かく土の下に入りて、鉦打ならす事、凡そ百余年なるべし。何のしるしもなくて、骨のみ留まりしは、あさましき有樣也。母刀自はかへりて覺悟あらためて、「年月大事と、子の財寶をぬすみて、三施(さんぜ)怠らじとつとめしは、狐(きつね)狸(たぬき)に道まどはされしよ」とて、子の物しりに問ひて、日がらの墓まうでの外は、野山の遊びして、嫁孫子に手ひかれ、よろこぶ/\。一族の人々にもよく交はり、召し仕ふ者等(ら)に心つけて、物折々あたへつれば、「貴(たふと)しと聞し事を忘れて、心靜かに暮す事の嬉しさ」と、時々人にかたり出でて、うれしげ也。
此のほり出だせし男は、時々腹だゝしく、目怒らせ物いふ。「定(ぢやう)に入たる者ぞ」とて、入定(にふぢやう)の定助(ぢやうすけ)と名呼びて、五とせばかりこゝに在りしが、此里の貧しきやもめ住(ずみ)のかたへ、聟(むこ)に入りて行きし也。齡(よはひ)はいくつとて己しらずても、かゝる交はりはするにぞありける。「扨も/\仏因のまのあたりにしるし見ぬは」とて、一里(ひとさと)又隣の里々にもいひさやめくほどに、法師はいかりて、「いつはり事也」といひあさみて説法すれど、聞く人やう/\少なく成りぬ。
又この里の長(をさ)の母の、八十まで生きて、今は重き病にて死なんずるに、くす師にかたりて云ふ。「やう/\思ひ知りたりしかど、いつ死ぬともしれず。御藥(おんくすり)に今まで生きしのみ也。そこには、年月たのもしくていきかひたまひしが、猶御齡(おんよはひ)のかぎりは、ねもごろにて來たらせよ。我が子六十に近けれど、猶稚(をさな)き心だちにて、いとおぼつかなく侍る。時々意見して、『家衰へさすな』と、示したまへ」と云ふ。子なる長は、「白髮(しらが)づきてかしこくこそあらね、我をさなしとて御心に煩はせたまへる、いとかたじけなく、よく/\家の業(わざ)つとめたらん。念佛して靜かに臨終したまはん事をこそ、ねがひ侍る」といへば、「あれ聞きたまへ。あの如くに愚か也。仏いのりてよき所に生れたらんとも願はず。又、畜生道とかに落ちて、苦しむともいかにせん。思ふに、牛も馬もくるしきのみにはあらで、又たのし嬉しと思ふ事も、打ち見るにありげ也。人とても樂地(らくち)にのみはあらで、世をわたるありさま、牛馬よりもあはたゞし。年くるゝとて衣そめ洗ひ、年の貢(みつぎ)大事とするに、我に納むべき者の來たりてなげき云ふ事、いとうたてし。又目を閉ぢて物いはじ」とて、臨終を告げて死にたりとぞ。
かの入定の定助は、竹輿(かご)かき、荷かつぎて、牛馬(むま)におとらず立ち走りて、猶からき世をわたる。「あさまし。仏ねがひて淨土に到らん事、かたくぞ思ゆ。命(みやう)の中(うち)、よくつとめたらんは、家のわたらひ也」と、是等を見聞し人はかたり合ひて、子にもをしへ聞こゆ。「かの入定の定助も、かくて世にとゞまるは、さだまりし二世の縁をむすびしは」とて、人云ふ。其の妻(め)となりし人は、「何に此のかひがひしからぬ男を、又もたる。落穗(おちぼ)ひろひて、獨(ひとり)住めりにて有りし時戀し。又さきの男、今一たび出でかへりこよ。米麥肌(はだへ)かくす物も乏しからじ」とて、人みればうらみ泣きして居るとなん。いといぶかしき世のさまにこそあれ。
○やぶちゃん注(copyright 2009 Yabtyan)
・高槻:バラ目ニレ科のケヤキZelkova serrataの大木。
・山城の高槻の樹の葉散りはてゝ:「万葉集」巻13の第277番の高市連黒人(たけちのむらじくろひと)の歌に
とく來ても見てましものを山背(やましろ)の高の槻群(つきむら)散りにけるかも
とある。『もっと早くこの里に来て、見ればよかったのに――山城の多賀の社の欅の木々はすっかり葉を落としてしまっていることだ――』。上田秋成は、自身の「万葉集」注釈書「楢の仙」(寛政12(1800)年成立)で「群」は「樹」の誤りととり、
とく來ても見てましものを山背の高槻の樹は散りにけるかも
と訓じて、本作の典拠としている。この場合は、欅の大木の謂いであろう。但し、この歌で詠まれている場所は、現在の京都府綴喜(つづき)郡井手町多賀で、次に示される摂津国の「古曾部」とは異なる。大欅の謂いの高槻から摂津の地名の高槻を引き出すための序詞的導入であろう。
・古曾部:現在の大阪府高槻市古曽部町。先に述べた通り、ここは摂津国である。古曽部は能因法師や伊勢の隠棲の地として知られる。特に「扶桑隠逸伝」の能因伝の末尾には『遂に老を古曽部に終ふ。将に死せんとするとき自ら多年の吟稿を取りて深く土中に埋む』という記載があり、これが本話や秋成自身のプライベートなエピソードと重層するという論考の一端を山口大学助教授飯倉洋一氏の「ひとつの解釈から」という頁で読むことが出来る。
・山田:「詞花和歌集」巻9の能因法師が古曽部に在って詠んだ第334番の和歌に、
津の國に古曾部と云ふ所に篭りて前大納言公任の許へ言ひ遣はしける
ひたぶるに山田もる身となりぬれば我のみ人を驚かす哉
(やぶちゃん訳):ただ一途にこの奥深い山里の山辺の田を守るばかりの隠棲の身となってしまった故、まれまれ逢うた人を驚かすばかりの野人の如き我となってしまったことよ――
がある。
・ぬしづく:「主付く」で、領有・所有する、の意。
・亥:午後十時頃。
・丑:午前二時頃。
・鉦:鐘鼓(しょうご)。念仏に用いる楽器。皿に似た青銅製の鉦。丁字型の撞木で打ち鳴らす。
・禅定:広義には、精神を集中させ、宗教的な三昧の境地に入ることを言うが、ここでは所謂、即身成仏(現世の身体のままで仏となること。一般には真言密教の奥義)を指している。
・凡そ十代:普通に考えると二百から三百年前に相当する。本話の場合は現在時制が示されないので、明確な推定が出来ないが、後に「百余年」ともあり、一先ず、上田秋成の書き上げた文化5(1808)年辺りを基準点に大きく取れば、上限が1500年頃の室町幕府・朝廷権力の衰退期、中程に関が原の戦い(1600年)を挟んで、下限は徳川綱吉没年(1709)年辺りとなる。種本の存在や本作自体の話の性質から、この比定は殆ど無意味ではある。ちなみに、本話と同じ典拠によると思われる三坂春編の「入定の執念」の入定僧は、慶安五・承応元(1652)年の入定、土中からの出現は宝永三(1706)年で、どちらもこの比定内に収まる。知的遊戯としてはこの1700年前後を入定の年と比定すると、『執念の入定僧』の系譜が出来て面白い。
・「物の隅に喰ひつかすな」とて:底本は「物の隅に喰ひつかすなどして」であるが、小学館版で改めた。底本は注で『器物の一すみにしっかりとすがりつかせ。』と訳すが、如何にも苦しい。小学館版では注して『執念を持つ者は、物の隅に食い付くと離さぬという俗信による。』とあって、これは多くの怪異譚でもしばしば見られる現象であり、私もこちらを採る。
・母刀自:「刀自」は一般的な女性の尊称。一説に「戸主」(とぬし)の転訛と言う。
・【※1】(くちびる):【※1】=「口」+「旬」。「※1」は飲むの意であるが、このままでは意味が通じない。底本注に従い、「唇吻」の誤植と判断し、二字で「くちびる」と訓じた。
・布子:木綿で出来た綿入れ。
・日がらの墓まうで:「日がら」はその日の吉凶を占うことであるが、卜占してまで参るのは親の墓参りであることから、先祖の命日を言う。
・かたくぞ思ゆ:破格。係り結びで「思ゆる」となるべきところ。江戸期には既に係り結びは崩れていた。
・子にもおしへ聞ゆ:この「聞ゆ」は一見、謙譲の補助動詞に見えるが、文脈上おかしい。本来、そのような用法はないが、言い聞かせるといった意味で用いている。
・落穗ひろひて:底本注に柳田国男著「木綿以前の事」を典拠として『古い村落で後家は落穂を拾って生活を助けることが許されていた』と記す。
・獨住めり:動詞として文を終止させたつもりが、以下「にて」と綴って名詞として続けてしまった誤り、若しくは名詞+動詞を強引に名詞化したものか。
○やぶちゃん現代語訳(copyright 2009 Yabtyan)
二世(にせ)の縁(えにし)
「万葉集」にも歌われた山城の国の方で有名な高槻、ここに生い立つ同じような大樹の欅の葉もすっかり散り果てて、奥深いその山里は一際寒く、如何にも物寂しい景とはなった。さて、この摂津国(せっつのくに)高槻の古曾部という所に、何代にも亙って永く住み古した農家がある。山の斜面や谷間のそこかしこに沢山の田を持っており、その持分は年々の米の出来不出来を嘆く必要もないほどに多く、暮らし向きは至って豊か、主(あるじ)は山家(やまが)なれども常に勉学に勤(いそ)しみ、煩わしい世俗の友も求めず、夜ともなれば書斎に燈火(ともしび)を掲げて書見をするのを唯一の楽しみとしていた。常々母親には、
「さあ、早う寝なされや。夜半を告げる鐘はとっくに鳴りましたぞ。昔、夜中過ぎてまで本を読むと、心がひどく疲れて、仕舞いには病いを得るとの戒め、私の父がおっしゃられたのを今も、覚えておりまする。好事のことには、自分からここまでと制する気持ちが働かぬものですぞ。」
と諌められること度々、その都度、そが母の言葉を有り難く思いつつ、亥の刻を過ぎれば床に就くことを常としていた。
さて、そうしたある雨の静かな宵のことであった。今宵は図らずもいつもの母の言葉に背いて、書を読み耽るうち、丑の刻にもなったであろうか。先前からの雨はやっと降り已(や)み、風も止んだ。折から月も出でて窓辺も明るい夜となった。こうなって参れば、詩歌の一つもものさずにあるは如何にも無風流と、墨を磨り、筆を執っては、今宵の風趣をほんの一、二句なりと思い浮かべては、思案致していたところ……
……そんな黙考する主の耳に、何だか少し変わった虫の声(ね)が混じるな――とばかり思っていた――
――が、時々耳に入るそれを、注意して聴いてみれば――小さくはあるものの、人の打つ鉦(かね)の音に相違ない――
――いやいや、思い返せば、この音(ね)は、それこそ毎晩聴こえておったではないか――
――如何にも妖しいこと――
主は徐(おもむろ)に庭に降りると、あちらこちらと探し巡る。巡る内に、音の出ずるはここぞと見当を付けたは、普段は草刈をしたこともない葎の生い茂った隅の暗がりで、その石くれの下からと聴き定めたのであった。
翌朝、そこに下男の者どもを呼び寄せ、
「ここを掘れ。」
と命じて掘らせた。
はや深さ三尺を過ぎた辺りで、大きな石に掘り当たった。その石を掘り返すと、その下にまた、石で蓋をした柩(ひつぎ)があった――
――その蓋を取り去らせて中を覗くと――
――何やら得体の知れないものが――そこには在った――
――そのものの――手のようなものが――時々、前に置いた鉦を、打っておるように見える――
――そのものは、強いて人の形と言えば人の形――いやいや、人のようでも、ない――言うならば――乾鮭(からざけ)という魚の干物のようで、いや、それ以上に干乾びてがりがりに痩せ枯れて――髪が膝までおどろに伸びている――
その「もの」を下男どもに取り出させた。その際、
「軽いばかりで、汚ねえという感じはしねえな」
素手で抱えた彼らが言う。
――しかし、驚くべし! このように地面から引き出さんとする間(あいだ)も、ひっきりなしに、もはやない鉦を打とうとする手付きだけは変わらぬ――
主は、
「これは、仏法に説くところの禅定という生きながらに葬られる即身成仏の行を成し、後世(ごぜ)、極楽往生を願わんとした修行の様を示しておる。……我が一族がここに住むようになって、凡そ十代、この僧の入定は、我らの先祖がこの地に居ついたそれよりも、遙か昔のことに違いない。……しかし、この有様は……魂は願い通り極楽往生しながら、肉体だけがこうして現世に残って在(あ)るということか……いや、それにしては、このように手を動かしておる……これは逆に、実に恐るべくも忌まわしき、この世への深き執念じゃ……ともかくも、試みに蘇らせてみようぞ。」
と言って、下男どもに家の内に担ぎ込ませると、
「執念の深いもの故、器物の隅に喰らいつかせぬように。」
と家内の者に注意を与えて、暖めてやるために、衣や布団を着せかけてやり、刷毛(はけ)を用いて唇に時々湯水を吸わせようとすると、どうやら、それを吸おうとする如くに見える。
こうなると、家の女子供は恐ろしがって一向に近づこうとしない。それでも、主自らが万事世話をするようになったので、それを見た母御前(ははごぜ)も、息子が湯水で唇を湿らす度に、念仏を怠らぬようにはなった。
五十日程経った頃、その干物の人形(ひとがた)は、あちらこちらが水気(すいき)を帯びて潤い、何と、皮膚に人のような温かみさえ戻ってきた。主は、
「さればこそ、これは蘇生せんか!」
と、いよいよひたすら熱心に世話するうちに――遂に目を開いた――
――しかし未だ、ものははっきりとは見えぬらしい――
――それでも、重湯に始めて薄い粥などを口に注ぎ入れてやると、ぺろりと舌を出しては味わう様子――
――しかし、それだけのことであった――何のことはない、ただの人でしか、ないのであった――。
――さて、それでも、次第に肌も生気を持って、身に肉も付いて、手足さえ動くようになり、耳さえも聞こえるらしく、吹き当たる風が寒いのか、赤裸でいることを厭うかにさえ見えるようになる。そこで古い布子(ぬのこ)を着せてやろうと持ってくれば、一人前に手で押し戴く。如何にも嬉しげである――。
――暫くすると、普通の食い物も口にするようになった。
僧であればこそと、初め、魚は食わせなかった。ところが、「彼」は、既に眼もはっきりと見えるらしく、かえって主が食膳で魚を食うのを見て、如何にももの欲しげな様子をする。主はそれに気付いて、試みに与えてみたところ、貪るようにあっと言う間に骨まで喰らい尽くしてしまった――。
さても、かく蘇ったので、主もいろいろと質してはみた。
しかし、彼は
「何事も覚えておらぬ。」
と言うばかり。
「何らかの由緒あって此処の土の下に入ったこと、入定したことは、覚えておろうが? 名は何という僧であった?」
と問えども、
「全く知らぬ。」
と言うばかり。
さてもまあ、嘗ては名僧ともて囃された者でもあったに違いないが、最早、今となっては如何なる甲斐も何もあったものではない。仕方なく、庭を掃かせたり、水撒きなんどをさせて下男として養うことと致した。与えられた仕事には、まめに執着して怠ることはなかった。
はてさて、この男の様(ざま)を見れば、仏の教えは出鱈目ばかりである。だいたいが、この男、このように入定と称して土の下に入り、鉦を打ち鳴らすこと、実に百数十年になろう。されど、何の効験もなく、ただ肉身のみ土中に留まっておったとは、浅ましいという外はない。
さても主の母御前はこれを見、仏法帰依の心をすっかり翻し、
「長年、後世の大事と思いてお布施を怠ることなく、子の財貨を無駄遣いしてきたは、全くもって狐か狸に馬鹿されていたようなものよ!」
と、勉学に志して来た息子たる主に相談の上、先祖の命日の墓参り以外は取り止めて、その他の折は、嫁やら孫やらに手を引かれての物見遊山、日々是好日と、享楽に徹すること頻り、一族の人々とも快楽交遊の限りを尽くして、家で召し使う者どもにもよく気を遣って、時に心附けの物をも授けた。さすれば、
「かねて後生の安楽を祈るが大事と聞いて、勤めていらぬ気を労して来たこともすっかり忘れて、心静かに気楽に暮らせることの、ああ、何と嬉しいことか!」
と、しばしば人に語っては、実際に嬉しそうにしている。
さて、この掘り出された男はといえば、凡俗と全く変わらず、しばしば腹を立て、目を怒らせては文句ばかり言うておる。
禅定入定した者の蘇りだということで「入定の定助」と渾名されて、五年ほど、この主の家にいたが、同じ古曽部の里の貧しい後家(ごけ)の住む方へ、婿に入ったということであった。己れの年の幾つかさえ分からぬ者であっても、『あの男と女の交わり』はする――という訳である。されば、
「いやはや、仏法で説く善根功徳の因果なるもの正体見たり!」
と、この古曽部の里ばかりではなく隣の里にあっても格好の噂話の種となったために、近在の寺の僧どもは怒り心頭に発し、「入定の僧の蘇りなど、以ての外の偽りごとじゃ!」と口汚く罵り、件(くだん)の事件を執拗に説教の材としたが、それに耳を傾ける者は次第に少なくなっていったのであった――。
さて、この「入定の定助」の存在がもたらしたものとは何であったか――では一つ、例えば、この里に知られた名主の母親の話を致そう。
彼女は、八十まで長生きして、重い病で今は死なんとする折、世話をしてくれた医者に語って言った。
「いよいよ寿命が尽きるものと覚悟致しておりましたが、いつ死ぬとも思われませぬ。これも御処方頂いたお薬あればこその命で御座いまする。先生様には、まっこと長年、親身に私めを御世話頂きましたが、私めなき後も、どうか、懇ろにこの家と交わりを絶やさず、ご来駕下され。我が子はもう六十に近いというに、相も変らぬ幼き性質(たち)、とても心もとなく御座りますれば。どうか、時々は意見し、『家督を衰えさすな』と、御鞭撻下さいませ。」
すると、息子の名主が母に向かって、
「私めは白髪の混じる年ごろとなり、それこそしっかりとするのが当たり前なのですが、一向にふがいなく、『私めが幼い』と、このような折でさえも、母上にご心配をお懸けしておりますこと、ただただありがたくも情けなく、重々、家業に勤めますれば、母上におかれましては、念仏して、心お静かに御臨終なされんことを、切に願い上げ申し上げ奉りまする。」
と言う。ところが、それを聞いた母親は大いに怒り、
「先生、聞かれましたかね! かくの如くに、息子は愚か者じゃ!――私は仏に祈って極楽へ生まれ変わろうなんぞとは、さらさら願うてはいぬ――また、畜生道とやらに落ちて、苦しむとしても、どうということは、ない――思うに、牛も馬も苦しいばかりではなく、また、楽しいやら嬉しいやらと思うところも、ちょっと見たところは、あるようじゃ――逆に人間じゃとて、楽しい所ばかりでは、ない――見られい、この世を生きてゆく人々の有様を!――如何にも牛や馬よりも酷く慌しいではないか!――年が暮れる、新年が来ると言うては、衣を染め、洗わねばならぬ――年貢を払わねばならぬのに、それがないと言うては、小作の者どもが泣き言を言うて来るのを聞かねばならぬ――これは、如何にも嫌なことじゃ!――もう私は、目を閉じて、ものを言うまい。」
と、自ずから死期を示す言葉を口にすると、そのまま、あっけなく死んだということである――。
では最後に。かの「入定の定助」のその後である。
彼は、駕籠かきやら、荷担ぎやらと、まさに牛馬に劣らず、それこそ馬車馬のように働きながら、数百年に続く、なおなお辛き、この世を生きているのであった――あなたと同じように――
「あさましいことじゃ。仏なんぞに祈願しても極楽浄土に辿り着くなんぞは、とんでもなく難しいことじゃて。さすれば、生きているうちは後生願いなど以ての外、勤行するは――勤めるに本当によいは――この世の生業(なりわい)じゃ。」
と、この話を見聞きした人々は語り合って、その子にもこのように教え聞かしている――
また、
「あの入定の定助がこの世に留まったは、定めし、あの婿入りした先の妻との間に『二世(にせ)の縁(えにし)』が結ばれておったからに違いない。」
と噂するものもおる――
されど、その妻となった女はといえば、
「どうして、あんな、まるで役立たずの男を、後添えに貰ったのかしら! あたいだって、分かんないわよ! 落穂を拾って独り暮らししてた寡婦(やもめ)の頃がなんぼか懐かしい! ああ! 亡夫(あんた)! もう一度、あたいの元に帰って来ておくれな! そうすれば、こんな、食う米も麦も、身を包むほどの粗末な衣服にもこと欠く貧乏なんぞはするまいに!」
と、人に会うては恨み言を言って、眼を泣き腫らしているということである――
――いやはや、何とも奇々怪々、不可思議千万なのは、他でもない、この世の中の姿ではある――
パソコンが昨日から数回に一度しか立ち上がらない。やっとここに辿り着く。また、暫くはおさらばかも知れない。
では、また随分ごきげんよう!
私は北川君のこの詩集を気ままに批評をしたい。それに私としても、しなければならない立ち場にゐるやうな気がするのです。私はうまい、うがつた批評とは離れて、むしろうまいうがつた批評にその不足な部分を反省してもらはふとするのです。(又は、私のこれをうまいうがつた批評の一つに数へてもらつてもいゝのです)
この詩集「検温器と花」を大変いゝ又は大変わるいと言ふべきではないと私は思ふ。なぜならば、この詩集は批評されるために出版されたものではなかりさうに私には考へられるからです。初めからこんな自分かつてのことを言つて、この幾分かを諒としてもらつて「批評したつていゝではないか」といふ仲間にも時々少しばかり入るのです。そして、作品一つゞつに私は自分の態度を自分の許すだけ変へてみたいのです。
批評家はこの種の詩集が十も廿も出版されるのを待つてから……といふ気がするだらう。そして、批評家はこんな意味で手かげんしなければならない不幸を感ずるであらうと思ふ。
短詩型の作品が大変多くなつて来ても、私はこれを流行などと言はない方がいゝと思つてゐる。私は流行でもなんでもないと思つてゐるのです。時代的欲求として流行性をもつてゐるとしても、てんでにすましてゐればいいのではないかしら。
この間私は、尾の太いパラソルをそれに実に似やはしくない女がもつてゐるのを見て苦笑したのです。これはあきらかに流行が彼女を恥かしめてゐるのです。私は、ハイカラなパラソルを短詩型に彼女を詩人に例へたくはありません。
「表現の単化的欲求として必然的に詩型を短化する」時代的な傾向はあるとしても、多少でも「対象を消化して、次第にその主宰する独自の世界へつれてゆく」べきものであれば、長くなつても短かくなつても恨みはないわけと思つてゐるのです。
私は、おしやべりさへしなければ詩はさう長くなるものではないと考へることが出来ます。そしてどんなすはらしい形容語でも、詩そのものが受けつけない場合が多いといふやうな考へ方、或るひはその何んとかゞ詩を大変短かくしてしまふだらうと思ふのです。こんなのが「表現の単化的欲求としてかなり自然に詩型が短化された」ことになるのでせう。完全に詩が、必然的に短化されたときもほとんどこれに同じだと云つてもよいと思ふのです。必然といふやうな意気はあつてもそれが特別にどうなるものとも考へられない。勿論このことは色々議論になる問題であらうし、自分としてももう少しはつきりした言葉を使ふことが出来るが、こゝではそれを必要としない。友人が遊びに来て「検温器と花」を見て「こんな立派な装幀の詩集を出すのは横暴だ。短詩型の殿堂を建てようとする努力はわかるが今はそんな時でない」と言つたのです。私はこの言葉を北川君の耳に入れて置いてもよいと思ふのです。又、後記にも色々非難の声を聞くけれども、私はことさらにいやみに解釈しなくもよいのではないかと思ひます。
×
「昼の月」で北川君は巧みに昼の月を書いてゐる。この種の作品は読んだ後で見なければなるまいと思ふ。この見るといふことは、終始批評的な眼で読まないことです。
×
「秋は豊かなる哉」赤や青や黄の横木細工で門や家をつくつたときの感じを受けた。よい文章であつた。少年と老婆のあやしげなしなが表面に浮び出すぎてゐて、それを見ないふりをするのにすくなからず骨が折れた。私は一つの型として読んだのですから、作者の「秋は豊かなる哉」として十分感銘出来なかつたやうな気がします。
×
「豚」もしも、これは何が書かれてあるかと聞かれたとき「これは北川君の詩だ」と言はふ。これが一番間違ひない。をかしいやうですが、この場合当然なことゝして私は更に恥ぢません。実にうらやましい文章でした。
×
「なめらかな球の変色」いゝ主題だ。詩の方はたゞ眼を通すやうにして読みました。こんな見方も作者に失礼だといふことにならなけれはよいと思ふのです。
×
「椿」
女子八百米リレー。彼女は第三コーナーでほつくり倒れた。
落花。
或る場合一つの詩の中に読者にも相談するやうな意をふくんでゐることも面白いと思ひます。私は「椿」をそれにあてはめることが出来る。つまらない詩ではあるが、結局いゝ詩であることを拒むことは出来ないと思ふのです。
×
「体温表」かうした温みは好きです。簡単に或ひは複雑な意味で作意をどうかう言ふことはいけないと思ふ。作者に対しての礼として好きなら好き嫌ひなら嫌ひ、わからなければわからないと言ふべきだと思ひます。私はこのやうな温みはめつたに見ることが出来ないと思つてゐます。(このやうな詩はある人々にはかなり危険な型であることは云ふまでもないでせう)
×
「落日」落日のもの足りないやうな静寂。ちよつとの間すべての喧騒は消えてしまつてゐる。先の「体温表」のどこかに華かさがあり、これには部屋のすみのやうなうす暗い不安がある。夕暮の川である。好きな詩でした。
×
「平原」三篇の中で最初のが凡ての点すなほであるのが好きでした。このすなほといふ言葉もぶつ議をかもす性質をもつてゐるでせうけれども、出来るだけ了解し易い詩を好んでゐる私の願ひなのです。
×
「花の中の花」「爛れた月」兎に角、批評の言葉を入れるすきがないのです。その意味で面白みのすくない詩でせう。きまりすぎてゐるといふことも出来ると思ひます。然し、私達はこのやうな「面白くない詩」に注意しなければならぬと思ひます。「花の中の花」――港。彼は船のデッキにゐる。彼の女はそれを見送くる。船が動き出す。遠く離れてゆく。ああ――離別。(こんな面白味のないことを北川君は巧みに詩にしてゐる)
×
「春」は二篇ともごくせばめられた春、例へば作者が冬以来胸に何ごとかを蔵して来ての春であらうと思ふ。それだけ強くはあるが何か表現の不足も感ぜられる。作者がこれがいゝんだと言へばそれまでのことで、私がよけいなことを言つたことになるのです。
×
「桜」は好きでした。
「赤いレンガ窓」も好きでした。
×
「楽園」(2)は好きでなく「楽園」(3)が好きでした。が、さう思つた後に私は前者と後者に大変な異ひを知つた。それは後者には匂ひがあるが前者にはそれがない。前者から匂ひをかげばこの作品に対する観照をあやまるものではあるまいか。
×
「爪」はしつかりしてゐる。そして「青ざめたW・C」は清いし、美しい。「検温器」全般にわたつてもさうであるが、殊にこの二つの詩のやうな作品から深みや暗示を受けようとすることはやめたいと思ふ。読む態度からさうしたものを取り去りたいものと思ふのです。
(1)と(2)と(3)の一部とでこんなに長くなりました。あと(4)と(5)が残つてゐます。私は平面を愛してゐる。そして立体といふことをあまり考へてゐないのです。「深刻な立体」の反対の意味で「薄い立体」といふ言葉があれは私はそれを愛してゐるのです。
後、「秋」「海」「煤けた街」「楽器」(4)の二つ目の「朝」「女と雲」「ラッシュ・アワア」「硝子の破片」「庭」「呆けた港」の好篇を読むことが出来ました。
書き終つてぼんやりしました。「検温器と花」は
色々問題にされる詩集 と思ひますが、問題とし
て、取扱はれないでそのまゝにして置かれるので
はないかと思はれます。私もその方がほんたうだ
とも思ひます。気ままに 書いたのでしたが書き
にくかつたやうな気がします。読者の寛大な処置
を願ひます。
*
(太平洋詩人 第二巻第一号 昭和2(1927)年1月発行)
[やぶちゃん注:「検温器と花」は、大正15(1926)年ミスマル社刊の北川冬彦の第二詩集。北川の詩人としての評価を高めた詩集である。]
かくなる上は――あのエピソードを元にした奇談の集成に突入する――先程、上田秋成「春雨物語」の「二世の縁」の原文・注・現代語訳の稿をとりあえず、完成した。近日公開!
章花堂著「金玉ねじぶくさ」から「讃州雨鐘の事」附やぶちゃん訳注、三坂春編(はるよし)著「老媼茶話」から「入定の執念」附やぶちゃん訳注(こちらは以前のブログ版原文とブログ版現代語訳のリニューアル増補版である)の2種テクストを同時に「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。読んで頂ければ、この2種を同時に公開した意味が理解戴けるものと思う。
日本ペンクラブ「電子文藝館」に14日、尾形亀之助・草野心平の盟友にして夭折した石川 善助の「亜寒帯」(抄)が所収された。掲載詩は以下である。
缶詰工場内景
鰊
亜寒帯小景
団扇
女中
間借者の詩
捕鯨船帰航(金華山風光)
変貌
尾形亀之助が彼に捧げた追悼「石川善助に」も読もう。
九月、十月、それから十一月とはなつた。隣家の門にからんだ蔦が這つて来て庭の一間ほどの竹垣で海老茶に枯れてゐる。雨が降る度に天井と畳と障子がぬれる。引越すつもりであつたが、そのうちには引越すことになつてしまつた。何のことはないのである。
×
こゝに一つの変な文章がある。或る描写論なのである。私はその一部を書き写して「左の一文を解釈せよ」といふやうなことで薄謝を呈することにして何処かの雑誌に掲載するつもりであつた。が、金がなくなつたので中止することになつた。審査は春山行夫君にたのむつもりであつた。で、薄謝を呈することが出来得なくなつたが、せつかく思ひついたことがらであるから、その変な文章の初め二三行を書き写す。興ある読者はひまをつぶされるがよい。
「描写は決定することに成功してそこにそれが結合されるに到つたまで描写することがあるやうにせんがため描写を研究しながら、そして描写のなかにある。研究等描写は建築であるところのものである魅惑によるに到るまで栽培の場合に於て一個として描写された。そしてかく描写の研究はのみならずまた完成されずしかも描写として理解されてゐる。それを全体何もないやうに…………………」
×
「氾濫の再刊の言葉」はすこぶるふるつてゐる。私は「氾濫」の同人の一人であるために、そのふるつてゐるすこぶるさに頭をかゝへてしまつた。
四五日前、月船君が訪れて来たのでそのハンバク文を書くと言つたら「困るよー」といふことであつた。「氾濫」は再刊する最初のモノがなくなつてゐるのだから私はどうでもいゝとは思つてゐたが、私の「鶴」を評する一文を「何故月船君が同誌に掲載させたのだらう」と室生犀星が思つたらうといふ月船君の話に、私は何のことだ機会があつたら同人をやめることだと思つた。
こんなことを書いたのは月船君へのあてつけではない。すみ心地のわるい詩壇であるといふことである。
×
私の詩集「色ガラスの街」が五十部ほど残つてゐる。売つてしまひたい。今度引越のときは焼き捨てゝしまふつもり。贈呈してまで読んでもらうつもりは更にないからである。次に今年の五月に出した「雨になる朝」は七百部も刷つたのでまだ沢山残つてゐることだらうと思ふ。これも売りつくしたいものだと思つてゐる。「色ガラスの街」は五百部刷つて三百五十部ほど売つたのであつた。
秋も末。金が欲しいと思つてゐることなのである。
×
この一年僅七篇の詩作しかなかつた。そんなわけでもあるまいが、詩壇的な交際は一切さけたいと思ふやうになつた。
(一九二九、一一、九)
*
(南方詩人 昭和5(1930)年1月発行)
[やぶちゃん注:傍点「ヽ」は下線に代えた。「贈呈してまで読んでもらう」の「もらう」はママ。「氾濫」及び「月船」は岡山出身の僧職の詩人赤松月船(生田長江門下)、彼が主宰した同人詩誌『朝』が改題した『氾濫』を指す。木山捷平・サトーハチロー・草野心平らもこの同人であった。]
作麼生!
「――僕の右手はチタンの手だ
真空の宇宙空間でもそれは美しいパルスで電磁波を奏でるのさ
僕の右手――あの日の絶望――
僕の罰――僕のスティグマ――僕への死神のキッス――
僕の右手――それは確かに保護観察に回され乍ら忘れられた甘い失意の蜜の味」
……ちりーん(師は鈴を鳴らす)……
彼の話。
彼は私のやうな男である。よく同時に同じことを言ひ出したりして、気味のわるい思ひをするので、私は彼と毎週同じ映画を見てゐることを彼にかくしてゐる。例へば、彼が私に「ブラツド・シツプ」を見たかを聞くやうな場合に、私はきまつて未だ見ないと言ふことにしてゐる。なぜなら、二人共必ず毎週見に行くので時には実につまらない映画を見てしまふ。そんなときに、彼から「××××」見たかと言はれて見たと答へれば、如何につまらない映画を彼が見に行つたかを私が知つてゐることになつて、彼に気の毒な思ひをさせなければならない。又、私が見たと言つてしまへば、彼はにやつと笑つただけで何も話さないにきまつてゐる。彼は又、こんな迷信をもつてゐる。彼の経験によれば、人を誘つて見に行くときまつて映画がわるいのださうである。そして誘つた人に気の毒な思ひをするだけで頭がいつぱいになつてしまふのだと彼が言つてゐる。で、私は一度も彼と一緒に行つたことがない。彼がどんな顔をしてラブシーンなどを見てゐるか知らない。彼の話は「赤ちやん母さん」から始まる。
×
先に「人罠」を見、その次に見た赤ちやん母さん――で、私はクララ・ボーが好きになつてしまつた。彼女の演技が、と、いふ意味ではなく恋心に似た気持になつてしまつた。アメリカはあまり好きではないが、クララ・ボーは好きだ。若し彼女がアメリカ風であるのなら、他の人達から受ける嫌味はほんとのアメリカ風ではないのだ、と思つた。
彼女が毒を飲んで(「赤ちやん母さん」で)死ぬといふやうな筋でなく、テツトといふ良人に簡単に別れて、そして彼女も楽しく彼等も泣き笑ひをしてゐるやうに楽しく、そしてENDになる方が向きであつたらう。私はクララ・ボーのために、「赤ちやん母さん」の筋を自分の好き通りに直しながら、何時ものやうにS駅の上で酒を飲んで、その晩は郊外の家へ帰る電車をなくしてしまつた。
クララ・ボーはただのハネツカヘリではない。ただのと言つては可笑しい。ハネツカヘリならハネツカヘリでいいが、コーリン・ムアーの演技よりもしつかりしてゐる。より性格的である。彼女の芸風がほんとの意味のモダンである。このモダンは、アメリカ以外の国ではあり得ない。そして、そのアメリカでも今のところクララ・ボー一人である。私は、レイモンド・グリヒスとクララ・ボー共演の映画を見たい。二人でふざけるだけふざけて、息のはづんでゐるやうな映画が見たい。
ムサシノ館の喫煙室にクララ・ボー(素顔?)のポスターがある。あのポスターを見て、スクリンの彼女を見ると、如何に苦心してゐるかがわかる。
(このポスターに誰かがチヨコレートで髭を描いてしまつた。)
×
女知事閣下――アデール・フエンウエー夫人――ポーリン・フレデリツク。もと私はポーリン・フレデリックが好きであつた。女知事閣下位ひのことは一二年前の日本の人にも出来さうだ。ポーリン・フレデリツクの映画は当分見まい。
×
「除夜の悲劇」先づ難のない映画、と言ふべきか、又はよい映画だと言ふべきか。たつた三人での芝居であり、三人の中のオイゲン・クレツパー一人の芝居であつた。あの酒場以外に、上流社交界の除夜の有様が不用であつたと同じやうに母一人での演技が不用であらう。要はその間眠つて(?)ゐたので幸ひにも私の悪口を逃れてゐる。
そして、字幕のかはりに波がよい効果を出してゐた。波のうねりがよかつた。やはり字幕がはりであらう「街」の有様は波ほどの効果がなかつた。それはその夜の上流社交界の態を入れたことが、「街」の気分をこわしてゐたかも知れない。
エミール・ヤニングスを大変わるくいふやうではあるが、エミール・ヤニソグスはオイゲン・クレツパーの比ではない。退屈もさせず、ぶちこはしもしなかつた酒場の人達のまねは日本では出来まい。くどいやうではあるが、母の役の女優がいいために、あんなことをさせなけれはならないのなら、臨時雇の婆さんを使つてほしい。妻の役のエデイツト・ボスカのことを何も書かなかつたが、書き忘れをしたのではない。
×
「電話姫」
主役といふものの使ひ方がよかつた。筋はつまらないものであつた。マツヂ・ベラミーの演技はくせがなくつてよかつたが、トム・ブレークのローレンス・グレーがじやまであつた。ジム・ブレークに息子がなくとも立派に筋が立つだらうと思つた。ラブシーンのない映画になりさうな映画であつた。
主役の使ひ方が「人生興奮(一)」のそれに大変近い。で、この映画に深く興味をもつた。
×
「マンダレーへの道」
ロン・チアニー。この人の演るものは何時も、ストーリーがわるいやうな気がする。この人一人だけの芸風は他にないものがあるのに、不思議によい映画をもつてゐない。
ロイズ・モーラン。子役がそのまま大人になつたのを、年頃の娘として使つてゐる。この女優にはまだ(?)十五六の娘のいい役がある筈だ。それに、ここでは親の悪の対象としてせと人形のやうな娘になつてゐた。
オーエン・ムーア。酔つばらひの名人の一人である。が、真面目になつたりするとあまりよくない。
上山草人。この人に、この人の好きなシナリオですきなやうにやらしたい。如何に奇妙な支那人のまねが出来るかといふだけではつまらない。ロン・チアニーの相手役には不向きである。ロン・チアニー式のものすごいものにではなく、もつとぼんやりしたものに彼の悪役をひそめたものの中に草人を見たい。同時にもつと気を大きくもつてもらつて、あまり芸が細くなつてもらひたくない。髭もいいし、手の使ひ方なども面白い。
日本にも彼位ひの演技をする人が一人や二人はゐると思ふ。
×
ひとりごと。(其の一)
館の中の飲物がうまくなさすぎる。
館の外で十せんのものは十五せんにしてものどが渇いてもがまんしてゐなくともいいやうにならないものかしら。チヨコレート(?)なども、クララ・ボー愛用のものといつた調子でやることは出来ないことであるだらうか。な――。
がまんが出来なくなるとチユーインガムを嚙むことにしてゐるけれど、あれを何時までも嚙んでゐると胃が変になつてくるし、人前であの桃色の紙をむくのが如何にも恥かしい。暗いところで、人知れずそつと紙をむいて口に入れる苦心に同情してはしい。もうけやうとばかりしてゐるやうに見える売店のおばさんは何時まで存在してゐるのだらう。なんとか沢山の賛成者を得て、是非彼等の頑強な根を掘りおこしたい。
ひとりごと。(其二)
プログラムの内容のわりに入場料が少し高いやうな気がする。勿論これは特等の料金である。つまらなくなつて半分見て出るやうな場合は殊にその感が深い。
×
ガウチヨウ。
この映画は、気がつかなかつたけれども米国聖書会社(?)の宣伝映画なのかも知れない。ダグラスは次にダビデになつてゴリアテをまかす映画を作るかも知れない。日曜学校推称、聖書オトギバナシである。
ガウチヨウでダグラスは遺憾なく煙草ののみぷりを私達に見せて下れた。殊に獄屋の敷石の下から煙草をくはいて出て来るところなどは如何に彼が大胆であるかを示してゐる。
×
拳闘屋キートン。
こんなことを言ふのはあまり真面目過ぎてゐるかも知れないが、今のところ彼の映画に何も言ひたくないと言ひたい。
×
注意。(其一)
この頃市場につまらない映画が大変多い。で、十人或ひは二十人づつ組んでその中の一人だけが探険的に映画を見に行つて、その報告を聞いてからよかつたら残りの人達が見にゆくやうにしてはどうだらうか。さうすれば悪宣伝にかからずにすむのだし、これを大勢のフアンで実行すれば青くなる人がゐるのだから今までのうらみを晴らすには最も面白い方法である。券売場の前などにて随時に組をつくつて実行するのも面白い。
注意。(其二)
真面目な映画フアンが集まつて、映画フアンとしてだけの(内容が)雑誌を出したいと思ふ。(東京府下世田ケ谷山崎一四一四私宛)にお手紙がいただきたい。色々ご相談したい。
×
クララ・ボーとそのブロマイド。
凡そ彼女ほど顔が変る女はちよつとない。で、私の持つてゐる密蔵の三枚のブロマイドは、皆何処かに(?)彼女らしいところを匂はせてゐるだけで別人のやうに写つてゐる。―― 大体曖昧な言ひまはしになつてしまつたが、私は彼女のブロマイドに一枚もよいのがないので悲観してゐる。
ブロマイド屋さん。もつと注意して下さい。
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悲恋の楽聖。
悲恋の楽聖。――とはずいぶん思ひ切つた題である。が、The Music Master を「その Master Master」と私訳するとは何んとも言へない味がある。よい映画であつたと記覚してゐる。
アレツク・ピー・フランシスがよかつた。ロイズ・モーランも少しよかつた。ただ、下宿屋にラツパを吹く若い男がゐて下宿屋の娘に恋をするのはよいが、あまりタチマハリが大袈裟であつた。つまるところは、若者のかついでゐたラツパが大きすぎたのである。
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べテイ・プロンスン。
ちよつと可愛いゝなと思ふけれども、映画女優としてのそ質がまるでない。彼女をピーターパン以後ひきつづいて映画の女優にしてしまつたのは誰れだ。不愉快な世相の一つである。
×
鯨。
私はあまり感心しなかつた。目茶苦茶なテンポが気に入らなかつた。もつともの静かなものでありたかつた。同時にもつとオトギバナシ的でありたかつた。又どうしても鯨といふ題が付いてゐるのか、わからなかつた。船がひつくりかへるまでが見てゐて頭が痛くなるほど長かつた。男達ばかりが漫画的で女はさうではなつた。題材が可笑しがらせるものではないだけにむづかしいものである。私は「カリブの鶴」のよかつたことを思ひ出す。かうしたものはすべての点に技巧が誠に大切である。
*
(映画往来第四巻第三十八号昭和3(1928)年2月発行)
[やぶちゃん注:『ひとりごと。(其の一)』」の次の行『館の中の飲物がうまくなさすぎる。』は表記通り、一字下げとなっていない。さて、「人生興奮(一)」に引き続き、やはり私は彼がここで挙げている無声映画の一本だに見ていない。俳優もクララ・ボーはさすがに知らないでかではあるものの、後は二大怪優たるロン・チャイニーと、上山草人(「七人の侍」の盲目の琵琶法師――あれが彼の最後の演技である)しかピンと来ない。再三言うようだが、私は映画館で(ここが肝心)見ていない映画を云々することが大嫌い、従って、やはりここでも注はせず、底本の秋元氏のマニアックな作品及び俳優についての編注を是非お読みあれ。――私は見たことのない尾形の俳優談義より何より、今度はこの冒頭の「彼の話」に昔の自分を思い出して激しく共感、そうして今はなき武蔵野館の臭いを思い出すのだ――]
* *
尾形亀之助作品集『短編集』最後の注のために急遽テクスト化した。拙速に過ぎ、誤字脱字があるやも知れぬ。その時はお教え頂きたい。
映画フアンほど憐れな存在はない。とつくづく憐れを感じた男が、映画フアンにはなるなといふやうな意味で、次のやうな遺言をして死んでいつた。(一九二七年の秋に)
(例へば、――)「最後の人」を見せて呉れたエミール・ヤニングスが「ヴァリエテ」を見せて呉れた。「最後の人」を見せられたわが軍(私達などといふよりはもつとはつきりした私の複数)は「ヴァリエテ」を見せられた。そしてその次に「肉体の道」といふのを見せられてしまつた。次に「タルチユフ」といふのが、巨人篇として網をはつてゐる。
「肉体の道」がつまらなかつたと言つた場合に、映画嫌ひはだから映画なんてつまらないものだ見るのが馬鹿だと言つた。フアンは黙つてしまつた。しかし、そう一言に言ふのは乱棒すぎると思つて、ひそかに、「肉体の道」を次のやうに私評をした。
「ヴァリエテ」で、子供をあやしてゐるヤニングスや、ヤニソグスに追ひすがるプツテイに喜ばされた自分は、「肉体の道」の前半ヤニングスのオーガスト・シリングの家庭生活に当然期待した。いや、自分の誤りは一個の俳優演技がだんだん上手になるものと思ひ込んでゐる習慣だ。これがフアンの一目わるい心がけである。で、自分は幾度目かの反期待の憂目に会つた。
「肉体の道」の筋は、失敗した映画となる型にあてはまつてゐる。ヤニングスもそれで失敗してゐるのであつた。すくなくともと期待した前半はつまらないものであつたが、これは私の期待するのがわるかつたとして後半彼が汽車の中で会つた蠱惑されてゆく有様は「肉体の道」六巻として、二時間足らずに彼が家出して十年もの生活を取り入れてゐるのだから、相当いそがなければならないものかも知れないが、いやみが過ぎてゐた。髯をそつて、ずいぶん若くなつたところはよいとして、彼の酒場での場面は醜態である。あの場面は、彼が酒を飲んで泥酔しなければならないシナリオがわるい。(どうせ原作通りではないのだから)自分は、彼が酒場で茫然としてゐる間に、うまく彼女に商券を取らせる方が面白くはあるまいかと思ふ。その方が見る方もゆつくりと見ることが出来るし、我慢すればヤニングスにもその位のことは出来さうに思ふ。又、ヤニングス得意の場面である筈の(わが軍はあまりすかないが)次の朝の彼は、或一部の人達を喜ばせたであつたらうか。斃された彼が、夜になつて線路へ運ばれるのは彼が意識をなくしてゐるのだからしかたがないが、朝からその夜までの妙な時間のあきに、蠱惑の女に何か面白いことをさせてもよいと思ふ人はなからうか。
線路のカクトウ。浮浪。ヴアヨリニストの息子。自動車。クリスマス。等々々々。この監督はヴイクター・フリーミソグである。
尚、一躍ヤニングスの相手役に選ばれたといふフイリス・フエバーは、何んのことはない何処にでもゐさうな踊子のやうなものに過ぎなかつた。が、筋としても、それでオーガスト・シリングを迷はすに十分であらうが、彼女に必要であつた「悪」が、少しも発揮されてゐなかつた。又、次の朝彼女が新らしい着物を着て出るのは意味のあることではあるが、仲間の者に買つて来たとさかんに見せびらかすのは無趣味であらう。
自分は、主役といふ役のあることをわるいことだと思ふやうになつてゐる。なぜならば、最も長時間スクリンに現れるのが主役のしなけれはならない事の一つである、といふのはよい条件ではない。で、最も見事な端役(?)をやるのを例のスターといふことにして、今の主役といふやうなものはやがてなくなるべきものだと思ふ。そして、特種な場合と新しいスターの紹介といふ意味でのみ今の主役といふやうなものが存在すべきであらう。
アメリカの手に入つて育つたものは、必ずすたりが来る。映画もその一つである。その意味で映画は未だおちつくところにおちついてはゐない。根底が更にない。
×
レイモンド・グリフィス。
自分はこの人のはつきりした評判をあまり聞かない。例によつて例の如く珍事百出の――と言つたやうなことであるから、世間のうけがどうなのかよく知らない。自分も残念ながら幾つもこの人のものを見てゐない。この人はチヤプリンとロイドの間にゐて真面目に仕事をしてゐる。その人のものはチヤプリンのやうに深刻(?)ではないし、ロイドほどに軽薄(?) ではない。自分は最近この人の「結婚勘定書」といふのを見て感心した。シナリオも珍らしいほどよいものであつた。
アメリカの俳優で、所謂アメリカ式のシナリオを立派にやつてのける人としてすつかり感心してしまつた。監督は誰れであつたか忘れてしまつたが、珍らしくよい喜劇であつた。前にロイドのやつたやうに、高い建物に登つたりするのは見てゐて変なものであつたが、それもロイドよりは上手であつた。
×
「カルメン」(ラケル・メレエ)はよい映画であつた。自分は近来まれのものと思つた。
たゞ、カルメンが仲間の女工と喧嘩をして、煙草専売局から獄へ送られて行く途中の道の移動撮影はなんといふ名称なのか、わが軍は眼をまはしてしまつた。見てゐて苦痛を感じた。こんざつを表す方法であるのなら他に方法もあらうに、二度目にはあの場面がうらめしかつた。終りを、ホセがカルメンを殺して切つてしまつたのはよい。又、ドン・ホセがカルメンを逐つて闘牛所へ行く前に、ホセを訪ねて来て、カルメンが市場で闘牛士と云々と話して青くなつた俳優がよかつた。又、あの聯隊長といふ役はあのやうに妙にニヤケてゐなければならないものかと気をもんだ。
×
アメリカの女優はこの頃一層美しくなつた。「チヤング」の反対をいつて、美しいものをあんな風にやつてみてもよいではないか。
×
ものすごく悲観させられたのは「本塁打王」でベーブ・ルーズと共演してゐるアンナー・キユー・ニルスンである。一般映画として取扱ふべきではないかも知れないが、ベーブと共演してゐるニルスンの光栄をわが軍はあまり感じない。「本塁打王」のニルスンの演技は、ベーブの鼠を追ふ態に似せてわざとあゝしたのであらうが、それにしてもわるふざけとしかうけとれない。フアンはあんなものを見ることを希望してはゐなかつた。ふざけ女優である。
×
何時の頃からか、わが軍は映画を見た帰りに酒を飲むくせがついてゐる。何時も新宿駅の二階に寄つて、二時間ほど其処で過すことにしてゐる。そして、大低は酔つて家へ帰ることになつてゐる。飯時以外の時間はひつそりしてゐて、たまたま月の昇るのを見ることもある。美しいイルミネーシヨンが見える。
わが軍は映画を見た後の自分をあまり好いてゐない。こんなことを言ふと変ではあるが、たしかに好いてはゐない。もう少しかつてなことを言ふと、自分の他にもう一人の連れのやうなものがゐるやうな気が何時もする。――で、洒を飲んでゐる間にその連れのやうなものが先にプラットホームに出て待つてゐたり、先に家へ帰つてしまつたりするので、自分はそこでやつと一人になれる。
この気持は、階段にいつぱいつまつて帰りを急いでゐる人々に自分がまじつてゐるときや、どやどや館から出たりするときの気持に似てゐる。だから、帰りに酒を飲む金のないときは、わが軍は侘しくなつてゐる。
*
(映画往来第四巻第三十七号 昭和3(1928)年1月発行)
[やぶちゃん注:傍点「ヽ」は下線に代えた。冒頭の『(一九二七年の秋に』のクレジットを持つエピグラフは、底本では全体が二字下げのポイントおちである。私は残念ながら尾形亀之助がここで挙げている無声映画の一本も見ていない。せいぜいドイツ映画「嘆きの天使」(1930)で妖艶なディートリッヒに縋る悲しくも哀れな主人公を演じたエミール・ヤニングスと、見ているアメリカ映画「西部戦線異状なし」(1930)に出たはずのレイモンド・グリフィスの名を知る程度である。私は映画館で(ここが肝心である)見ていない映画を云々することが大嫌いである。従って、注をする権利を全く持たない。底本では秋元氏がマニアックな作品及び俳優についての編注を施されている。是非、「尾形亀之助全集」をお読みあれ。――私は見たことのない尾形の映画評より何より、この最後の映画館を出た後の亀之助の心持ちが、何とひどく分かることか――]
* *
尾形亀之助作品集『短編集』最後の注のために急遽テクスト化した。拙速に過ぎ、誤字脱字があるやも知れぬ。その時はお教え頂きたい。
伊勢の的矢のぷっくらとした殻附生牡蠣50個――
僕は平然とした風を装い、黙々と剥いては食ったが――
彼女からもらったプレゼントでは一番感激したことをここに告白しておく――
僕の52歳の朝――尾形亀之助作品集『短編集』(未公刊作品集推定復元版 全22篇)・附やぶちゃん注を「心朽窩 新館」に公開した。
芥川龍之介の座談録「我鬼氏の座談のうちから」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。
冒頭注で述べた通り、厳密な芥川龍之介のテクストとは言い難いと僕は考えているが、彼の俳句観を知る上では、極めて重要な一篇である。
これが僕の51年の最後となる――
*
随分、御機嫌よう! お目出度かった、やぶちゃんよ!
* * *
……思い出す――僕が中学2年の時、最初に出逢ったバド・パウエルのアルバム・タイトルは――
“Invisible Cage”
「見えない檻」だったのだ……
彼 ・二十六の男(彼女の恋人)
彼女・二十一の女(彼の恋人)
A子・彼等の友達(やがて彼の恋人になる女)
B ・同じ (やがて彼女の恋人になる男)
其他 C。D。E。F子。G子。H子。街の人々――
× × ×
「口笛の結婚マーチ」の内容(演技をもふくむ)は喜劇ではない。しかし、われわれはここに軽い喜劇風のものとして見ることが出来る。
彼等は唯若い男若い女であつて、学生又はゼントルマン(?)又は淑女であることが主意ではない。象徴されてゐる若い男女である。
主たる演技者の体軀や顔などが、男は男、女は女で見間違ふほど似てゐてもよいし、又全くまちまちであつてもよい。たゞ、背の高い者と低い者、痩せた者と肥つた者が対象的に存在してゐない。同じやうに悧巧な者と馬鹿な者が対象的に存在してゐない。
このシナリオの演技者が皆裸体であることが一番面白いかも知れない。だが実際には不幸(?)にもそれは望めない。で、せめて演技者は裸でやつてゐる心持を忘れないで欲しい。
不自然な動作は一際禁ずる。(こゝでは、大胆な動作は決して不自然をともなはない)例へば、眼鏡をだてにかけてゐるときはいかにもだてにかけてゐることになればよいのである。又キザであるものはキザであつて、一つの役をつとめてゐるし、又不幸(?)にして全部の演技者がキザであつても、このシナリオの目的は達せられてゐる。
唯、演技者はこのシナリオが全部を通じてのユーモア(例へば)を主としてゐるために、部分的個人的に自発的に滑稽なそぶりなどをしても、たいして効果がないことを知つてゐなければならない。
[やぶちゃん注:ト書き冒頭の「しかし、われわれはここに軽い喜劇風のものとして見ることが出来る」の部分は文章の呼応がおかしいがママである。また、「一際」及び一箇所「キザ」の傍点脱落もママである。]
――以上の或部分は、役割のない登場人物だけのタイトルの後に補助
タイトルとなり、この後に役割のついたタイトルがもう一度出る。
[やぶちゃん注:上記ダッシュ以下の二行は、底本ではポイント落ち。ブラウザの不具合を考えて、私が適当な部分で改行した。]
× ×
*伴奏曲は口笛の如き楽器を主とせる低調の「結婚マーチ」。伴奏は
終るまで休みなくつづく。
*光線は、注意あるとき以外はあまり明る過ぎないこと。外景なども
明るい曇天といつた調子でありたい。
*テンポはゆつくり。タイトルは活字体。
[やぶちゃん注:上記「*」附きの注意書き三項目は、底本ではポイント落ち。底本では二行に亙っていないが、ブラウザの不具合を考えて、私が適当な部分で改行した。]
×
[やぶちゃん注:以下、底本では各シークエンスの▲のトップの下にト書きが続き、それが二行以上に及ぶ場合、すべて一字下げとなっているが、ブラウザの関係上、▲の直後に改行し、一字下げは行わなかった。また、底本では▲と▲の間は連続しているが、読み易さを考え、一行空けとしてある。他にも、シークエンスの変換箇所(囲み文字)の前後及び独立性の強いト書き(以下に述べる※部分)は原則、一行空けを行った。また、ト書きの一部(※:だいたいダッシュで前後を挟まれた撮影指示等の部分)はポイント落ちになっているが、そもそもこのシナリオはシナリオ本文とそうした補助説明部分が判然と書き分けられているとは言えないので無視して同ポイントとした。]
▲
立樹、林、畑などのある野の朝。
人物は一人もゐない。明るいが輝やかしくない。――この風景は枝にとまつてゐる四五匹の雀になる。そして次第にうすれて次の場面と二重写しになり、次の場面次第にはつきりとする。
彼 女
▲
彼女は化粧台(洋式)の前から立ちあがるところである。彼女の部屋は離れのやうな日本間。部屋の前の庭は、大きい庭の一隅であるらしい。壁には外国女優の写真が二三枚ピンでとめてある。美しい窓がけ、床の間の盛り花、椽近くテー・テーブル、椅子、長いソフアー等。しかしあつさりしてゐる。
[やぶちゃん注:テー・テーブルは「ティー・テーブル」のこと。]
化粧台の上にもむやみに化粧品がのつてゐない。化粧台の上に壁に若きゲエテの写真版が額になつてゐる。小いさな電灯スタンド。天井から部屋のまん中に電灯の花がさ。
▲
彼女は立ちあがりかけてちよつとゲエテの額に見とれる。そして、すばやく眼の下へ(自分の)黒子を画き入れる。間。その下へつゞけてもう二つ黒子を入れる。そして、自分でも少し可笑しくなる。
彼女はその朝かくして「泣き出しそうな顔」を発明(?)した。
▲
彼女化粧台の引出しから綺麗な画帖やうのものを取り出す。それには「私の化粧日記」と書かれてある。
▲
彼女は新しい頁を開いて、
No.37. ……泣き出しさうな顔……(但し自分一人のときの退屈なとき。勿論室内専用)――と書き込む。そして、顔を画き眼の下へ三つま直ぐに黒子を画く。(画は丸の中に簡単に眼鼻を画くだけのこと)その頁大写になる。
▲
彼女画帖を持つてテー・テーブルのところへ行き、置いてあつた紅茶をついで飲みながら画帖を開く。
No.21. ……緑の黒子……(洋服、ダンス専用)エメラルドのやゝ大きい黒子を額のまん中に入れる。口紅は黄味をおびた海老茶。耳たぶうす青く、靴は濃青色ビロード。
No.17. ……接吻……(小いさな夜会用)黒の細い線で唇へ渦巻く。
No.11. …………
▲
彼女画帖を間じる。
庭に蝶が二匹飛んでゐる。(レンズ蝶を追ふ)蝶花にとまる。
[やぶちゃん注:「間」はママ。「閉」の誤植であろう。]
▲
彼女ふと黒子に気がついて化粧台へ行つていそいで消す 画帖をしまふ。
[やぶちゃん注:「消す」の後の空欄はママ。]
彼
▲
彼の書斎兼寝室(部屋は大きくない。そして潚洒ではない)
[やぶちゃん注:「潚」は「瀟洒」の「瀟」と同義字で誤りとは言えない。]
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彼は寝台に寝てゐる。
枕もとの小いさいテーブルの灰皿から煙草の煙りがのぼつてゐる。新聞がひろげられて床のすそに落ちてゐる。彼はもう眼がさめてゐるが、床の中に埋づまつてゐる。
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彼そろそろ床の上に半身を起す。簡単な寝巻を着てゐる。髪はくしやくしやになつてゐる。
▲
窓のところに机、机の上に花と本。本箱の上に泥人形の猿。部屋の中央の円いテーブルに一通の手紙(封が切つてある。もう一度彼が見たものである)があり、大きな電灯スタンドが置いてある。
▲
庭に面した窓にカーテンが引いてある。が、窓が開いてゐるので、カーテンが少しばかりゆれたり、ふくらんだりする。
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彼はぼんやりとカーテンを見てゐる。
カーテンが女のスカアトのすそになる。そして、すぐ又もとのカーテンにかへる。彼変んな顔をする。
[やぶちゃん注:「変んな」はママ。]
▲
彼煙草をくはへて床から降りる。彼の寝巻のずぼんは長くだぶだぶしてゐる。
彼カーテンをあけると、二十坪ほどの少しばかり文化的の庭が現れる。
▲
彼まるいテーブルから手紙を取つて、窓の椅子(木製の安楽椅子がよい)にかける。彼手紙を見る。
私は消えてなくなります
私への感情をお捨て下さい
彼女より
彼 へ
▲
彼はその手紙を持つたまゝベツトに入る。そして、頭から蒲団をかぶる。(溶暗)
――この際彼は淋しい顔はする。しかし、映画的な表情はしない――
彼の見た夢
▲
ま暗(ま黒)の中に彼だけがはつきり浮き出してゐる。彼は正面を向いて静止してゐる。
――と突然A子が彼の右に現れて彼の手を握つてゐる。
▲
A子は彼の唇を求める。(A子の顔に表情がない)
▲
彼はA子の方へ体を向けて唇をあたへやうとするが、彼は彼の背後を気にする。ふりむいて見ても後ろには何もゐない。が、彼が見てゐるうちにぼんやりと彼女が少しづつはつきりと現れる。
――同時にA子次第にうすれて消えて、そこはもとどほりま暗(ま黒)になる。
▲
彼は彼女の方へ顔を向けたまゝ、手は無意識にA子の手を探す。彼のその手には何時の間にか一輪の薔薇が握らされてゐる。
▲
彼女静かに微笑する。
▲
彼と彼女の真面目な接吻。
――以上六つのシーンは非常にゆつくりしたテンポ――
接吻をしてゐる問に背景が彼の部屋になり、彼と彼女は彼の部屋の前の庭に立つて窓にもたれてゐる。
▲
庭に花が咲いてゐる。
▲
彼と彼女は無言のまゝ動きもしないでゐる。
▲
蝶。
蝶が左手より右ヘスクリンを横切つて飛ぶ。
――以上は全く無言のうちに終る。そして、芝居の引幕のやうに蝶を追つて次のシーンが左手より現れる。
[やぶちゃん注:所謂、ワイプのことを言っている。]
▲
彼と彼女は街を散歩してゐる。
――が、シヨーウヰンドーのガラスにうつる影は、彼ではなくBと彼女である。
▲
やがて、彼はそれに気がつく。と、Bだけを残して彼女の影が消え、Bは彼に変る。
▲
彼何か言はふとしてふりむくと、今まで彼と一緒にゐた彼女はゐなくなつてゐる。
[やぶちゃん注:「言はふ」はママ。]
▲
彼とぼとぼとカフエーに入る。
▲
カフエーの中には、B、C、D、E、彼女、A子、F子、G子、H子がゐて、にぎやかにさわいでゐる。
▲
それを見て彼はつとする。
▲
A子は彼の入つて来たのを見つけると、いきなり走り寄つて彼に接吻する。
彼驚く。
▲
彼等喝采する。
その中に一緒になつて彼女が喝采してゐる。
▲
彼はそれを彼女になじる。
彼女は彼の言ふことに相手にならずに、尚も平然と一緒になつて彼をからかふ。
▲
外の客もふりむいて喝采してゐる。そして、その中の一人はテーブルの花をぬいていやに儀式的に彼に捧げる。彼は花を握らされる。
▲
彼等は乾盃などをしてゐる。
――騒然たるうちに溶解。そして次へダブル――
[やぶちゃん注:「溶解」は「溶暗」又は「溶明」のことであろうが、これは次の「ダブル」という指示と連動して、このシーンと次のシーンのディゾルブ(オーバー・ラップ)のことを言っているものと思われる。]
▲
彼一人カフエーのテーブルに凭れて洋酒を飲んでゐる。
――彼の全身とテーブル全部の大写し。他に何もないこと――
▲
女給が何か食物を彼のテーブルへ持つて来る。そして、エプロンを取つて彼のわきにかける。
よく見ると、その女給はA子である。だが彼はおやと思つたゞけであつて、ひどくびつくりはしない。
▲
A子しきりに彼に媚る。
――カメラ後退する。と――
彼のテーブルの隣りにBがゐる。
彼と同じやうにB洋酒を飲んでゐると、何か食物を運んで来た彼女がエプロンを取つてBのわきにかける。そしてBにしきりに媚びてゐる。
▲
彼はそれを見てゐて実に無かん心の態である。
まるでBとは友達でも何んでもないやうに、そして彼女は見知らぬ女でゝもあるかのやうに――
[やぶちゃん注:「無かん心」はママ。この二行目のダッシュは、このシナリオ内では、きわめて異例の用法である。]
▲
彼の眼がそこを離れる。
――と、同時にカメラ前進して以前の位置にかへる――
A子彼の体に寄りかゝつてゐる。
▲
彼眼をつむつてA子に接吻する。
▲
A子テーブルの花を折つて彼の胸にさす。
▲
彼煙草に火をつけやうとしてマッチをテーブルの下へ落す。
彼マッチを拾はふとしてこゞんだ拍子に、彼はダブツて一匹の犬になる。
[やぶちゃん注:「拾はふ」はママ。]
▲
犬になつた彼はそのまゝうなだれてカフエーを出て行く。(犬はあまり立派な犬でないこと)
――彼が犬になつた後はA子やBや彼女を写さずに、カメラはカフエーを出て行く犬を追つて客の足もとやテーブル椅子の下部のみを写す。
▲
うす暗くなつたまゝ(溶暗を途中で止めてゐる)犬の出て行つた後のカフエーの入口から見た街路。――(間)――ひきかへして来て、カフエーの前を通る犬。(溶暗)
Bの部屋では
――(前の「彼の夢」と混同せぬこと)――
▲
Bはアパートメントに住んでゐる。
犬を一匹飼つてゐる。(この犬は、犬になつた彼の犬を使つてよい)
窓は電車通りに面して街がいつぱいに見える。窓近く一輪さしに花一本。花のそばにステツキが立てかけてある其他、蓄音器、本少々、ベルモツト一瓶とコツプ。寝台椅子、小テーブル等。
▲
Bは地のうすい部屋着のコートを着て、頭が三分の一も入らない変てこな帽子をかぶつて、煙草をのみながら手紙のやうなものを書いてゐる。
▲
Cが帽子をかぶつたまゝドアーの鏡でネクタイを結んでゐる。
▲
時計五時を指してゐる。
しかし、街は昼である。
――カメラ後退すると――それは壁にはりつけた外国の時計会社のポスターである。
部屋の中しばし安閑。
▲
突然、DとF子がドアーをあけて部屋に入つて来る。
Cあやうくドアーにぶつかりさうになる。
▲
F子部屋に入つてちよつと頭を下げたゞけ、そして、Bの後からBの頭をつゝいて窓のところへ行つて街を見る。
▲
Dは先づ犬と握手。それからCと握手。それからBのところへ行つてのぞく。
▲
Bはこのとき初めて顔を上げる。そして書いたものを封筒に入れてポケツトに入れる。
▲
DはCのところへ行く。そして、お互にどうしたいといふ顔をする。
▲
BはF子の後から頭をおさへて、窓ガラスへF子の顔を押しつけるまねなどをする。
▲
(――と、) ペーブメントを歩いて来るA子。(ダブツて全身の大写)
▲
F子とBは窓からA子を見つける。
▲
D蓄音器をかけて、足で拍子をとりながらCの蝶結が中々うまく出来ないのを見て何か言つてゐる。
▲
A子はBのゐるアパートメントでない方へ曲らうとする(B、F子の背後よりベーブメントのA子)
[やぶちゃん注:このト書きはB及びF子の背後から彼らをなめて、窓のずっと彼方のA子が、Bのアパートメントとは違った方向へ曲がるシーンをワン・ショットで撮るという指定であろうが、所謂、後のヨーカン・レフのカメラででもない限り、こんなシーンは当時、綺麗に撮れなかったと思われる。]
▲
犬がCの足へお手をしてゐる。
Cうるさがる。D面白がる。
▲
Dふと、BとF子が窓から何か見てゐるのを見て、蓄音器を止めてBとFのそばへ行く。
▲
DがBの背後に着くと同時に、Bくるりとむきかへりその拍子をとるやうにDの胸をこぶしで軽く突く。F子Dの様子を見て笑ふ。
Bそのまゝいそいでドアーへ行き、ドアーを開けるついでにCのネクタイを引つぱつてほどく。
犬、Bにつゞく。
▲
Dけゞんさうな顔をして、F子と一緒にCを見て笑ふ。
DはF子に窓から何を見てゐたのか、何故Bが急いで出て行つたかを聞いてゐるらしく、Cもネクタイのほどけたまゝ窓のところへ行く。
▲
F子風見の風車を指さすと、DとCは何んのことかわからずに指さゝれたところから何か見つけようとしてゐる。
▲
F子の指はガラスについたまゝそこから出たらめに徐々に動く。
――カメラはF子の指先を追つて、指さされたもののみを写す。
▲
F子の指跡はガラスにうすく「A」の字を書いてゐる。DとCはそれに気が付かない。
▲
DとCは何が何んだかわからないまゝに、何だつまらないといふ顔をして、Cは鏡のところへDは頭をかゝひて寝台へ半身仰向に寝ころがる。
[やぶちゃん注:「かゝひて」はママ。]
▲
Cは又ネクタイを結びかけてゐる。と、ドアーの外に何か来てゐるらしい。Cドアーを開けると、犬が入つて来る。
C廊下へ首を出してみてひつこめる。そして、誰も来ないらしくドアーを閉る。
▲
F子笑ひながらCにネクタイを結んでやる。
Cはつとする。
▲
C疲れたやうにDのわきに腰かける。
▲
D起きあがる。
▲
CとD列らんで放心の態。それが又、F子には可笑しい犬はCとDに向ひ合つて腰を降ろしてゐる。
[やぶちゃん注:「可笑しい」の後に句点が脱落していると思われる。]
▲
F子又窓から外を見る。が、A子とBは見えず。
窓ガラスの「A」を見る。瞬間淋しい面ざし。
▲
A子とBゆつくり話しながら部屋に入つて来る、(A子がBの部屋に入ると同時に明るい感じになる)
A子は、今日はとてもよい天気だわ――といふやうな挨拶をする。
▲
CとD立ちあがる。
そして、F子に覚えてゐろ――といふやうな顔をする。
▲
F子それに答へず。A子へ手をさしのべて表情たつぷりの握手をする。
――(間)――
が、部屋の中には何も面白いことがなかつた。彼等つまらなくなる。そして、ぼんやりと白らける。それにひきかへて外はよい天気である。
▲
A子は何か思ひついたやうにF子にさゝやいて、部屋を出る。
▲
A子はアパートメントの電話室で微笑しながら電話で話してゐる。
▲
彼女電話でそれに答へて微笑してゐる。
――相互にくりかへして写さず。簡単に一度だけづつのこと。
▲
B外出の仕度をしてゐる。
▲
ぼんやりしてゐたCはブランデーの瓶のところへ行つて飲まふとしてゐるところへ、それを見てDも飲まふとして行く。が、コツプが一つしかない。
――Dが勢よくブランデーのところへ行つたのに、コツプが一つしかなかつたこと。Cはそんなことにかまはずゆつくり飲んだことなどが、この短い間に軽いユーモアーを作る。[やぶちゃん注:「飲まふ」及び「ユーモアー」はママ。]
▲
Bその間に仕度すむ。
▲
F子顔を直してゐる。
▲
電話室の外の廊下へ(アパートメントの玄関につづく)
F子、C、Dがぞろぞろ来かゝる。
▲
Bは部屋のドアーに鍵をしたりして後れて彼等につゞく。
▲
A子電話室より出て彼等と一緒になる。
▲
Bの部屋に犬が残されてゐる。
▲
彼等アパートメントを出る。
街
▲
デパートメントストアーのシヨーウヰンドー。
(a)……人物を入れないこと。
▲
同じく(b)……同上。
▲
同じく(c)……同上。
▲
帽子の大写し(スクリンいつぱいに)
▲
靴………………同上。
[やぶちゃん注:ここの「同上]は直前の『(スクリンいつぱいに)』を指すものと思われる。]
▲
宝石……………同上。
▲
街路の全景。
――銀座などではなく、外国のにぎやかなる街。一シーンだけ!(溶暗)
▲
自動車と電車。――同上。
[やぶちゃん注:ここの「同上]は直前の『銀座などではなく、外国のにぎやかなる街。一シーンだけ!(溶暗)』を指すものと思われる。]
――「街路の全景」「自動車と電車」は、幻灯式に「街路の全景」はこんざつせるままに停止してゐること、「自動車と電車」はその一部分として同様走つてゐるままに停止してゐる。[やぶちゃん注:「こんざつ」はママ。]
▲
はなやかなる紳士。(西洋人)
▲
はなやかなる淑女。(同上)(溶暗)
――は、多少滑稽味のある絵はがきの如きもの。同様幻灯式である。
映写されて、ちよいとの間をおいてそのわきに小いさく「はなやかなる紳士」「はなやかなる淑女」のタイトルが出る。この二つには簡単な飾りわくがつく――。
――華やかなる結婚マーチの中に――
END
*
(映画往来第三巻第四十号 昭和3(1928)年4月発行)
* *
これが尾形亀之助幻の『短編集』の掉尾を飾る作品である。但し、本作には文字囲みや枠があるが、HLMLが構文エラーを起こすため、ベタのテクストでブログに貼ってある。明日公開の『短編集』で、ちゃんとしたものをお読み頂きたい。
では、僕の51歳の最後の夜に――結婚マーチと共に――
「やぶちゃん版芥川龍之介全句集」の
「やぶちゃん版芥川龍之介句集一 発句」に「蒲の穗はなびきそめつつ蓮の花」に河童の添えられた同句の画像と注記
を追加し、また
「やぶちゃん版芥川龍之介句集二 発句拾遺」に「更くる夜を上ぬるみけり泥鰌汁」の自筆原稿画像及び注記
を追加した。
ここのところ、尻に火がついた生徒達の小論文や問題添削を20人ばかりこなしている。そんな中で、ある生徒のやってきた横浜国大文型前期の2007年度入試の総合問題の中に印象的な短歌を見出した。問題文は見田宗介「社会学入門」からであるが(岩波新書・勿論僕は未読)、そこに四首の短歌が示され、それを見田氏が社会学的に解説しているのであるが、その四首は以下である(ルビは問題文向けのものと判断し、省略した)。
国境のさびしき村に夕餉とる殺人犯と名乗る男と 今雪史郎
十六歳指紋押捺する前夜針で指紋つぶせき女生徒 山嵜泰正
一人の異端もあらず月明の田に水湛え一村眠る 田附昭二
犇きて海に墜ちゆくペンギンの仲良しとことの無惨さ 大田美和
問題の方は如何にもな、入試問題の「為にする」陳腐な設えものであり(唯一、最後にある、「田毎の月」の姥捨伝説の「我が心なぐさめかねつ更科や姥捨山に照る月を見て」から芭蕉の「このほたる多毎の月とくらべみん」、果ては上田秋成の「更科や姥捨山の風さえて田ごとに氷る冬の世の月」までを縦覧する歌枕の解説を読ませた上で、三句目に短歌が持っている『日本社会論の核心に触れ』(見田氏の言)た新しさ理由を200字以内で説明せよという設問はなかなかホネがあってよいと思うが)、これと言って「問題」としては分析欲をそそるものはない。
更に言えば、問題文での見田氏の四首の社会詠への「社会学的な」短歌解釈(等という限定されたものがあるとは僕には思われないが)にも、必ずしも同意出来るものではない(例えば二首目を現在のリスト・カットの心性に通底させて語る手法は、興味深くはあるものの、それが現象としての社会学的な比喩の管見、その投げかけだけに終わってしまうのだとすれば、僕は寧ろ危険なものを覚えるのである)。但し、僕は原典を読んではいないので、問題文の内容にもこれ以上は立ち入るつもりはない。
何より僕はこの冒頭二首に大いに打たれた。三首目も「一人の異端もあらず」という抉り出しに感服した(四首目は社会学について語る枕としては面白いであろうが、僕にはまさにそうした「社会学」の言わずもがなをCGで描いたような詠には違和感を覚える。前三首に並べるのは残念ながら酷である)。
僕は短歌は苦手であるが、これらはどれも確かに一読、忘れ難い。
*
因みに、第一首の作者は、17年前の歌会始で(御題は「風」)「香川県今雪史郎」とあって
寒風のアンデス越えし明治移民その子等ひそとアマゾンに老ゆ
とお詠みになっている方と同一人物であろう。この方は俳句も嗜まれるのか「移民・南米」という句集(日本全国俳人叢書180)と思われるものも出版されている。二首めの山嵜泰正(やまざきやすまさ)氏というのは、経歴からもこのHPの作者と同一人物であろうかと思われる。また、第三首めの田附昭二氏は検索では次の二首を
夕焼けをまはす少女の縄跳びのひらりひらりと堤をゆけり
担架かこみ搬送さるる妻とゐて烈しき揺れにただ耐へてをり
を見出せる。最後の作者はウィキペデイアにも載る中央大学英文学教授かと思われる。
芥川龍之介「藝術その他」とそれへの批評に対する反駁文「一批評家に答ふ」をカップリングして、正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。
*
「藝術その他」は見るからにアフォリズム形式をとっているが、相互に連関を示しており、後の芥川のアフォリズムとは一線を画していると思われる。しかし、アフォリズムはアフォリズム、これも見落としていた一篇には違いない。
若き詩人
美しき婦人
花を持てる老年の男
――其他。午後三時頃の閑散なる電車の乗客。車掌。(若き詩人の
友人五六人。カフエーの人々)
×
1
走つてゐる電車の内部。
窓の外は明るい昼である。美しき婦人の斜向ひに若き詩人がゐる。詩人から一人分の空席を隔てて、花束を膝の上に置いてゐる老年の男がゐる。
美しき婦人の背後の窓から綿のやうな雪が見える。話をしてゐる乗客は一人もゐない。
2
電車は間もなく駅に停車する。二三人の乗降が静かに行なはれて、又電車は静かに走り出す。(電車が駅に停車をしてもわずかにそれとうかゞはれる程度で、カメラの位置及び状態は1のままである)
詩人は大変幸福さうである。
3
花と美しき婦人と詩人(タイトル)
4
大変幸福さうな詩人の大写。
5
花と老年の男の膝や胸のへんの大写。
6
何も考へてゐないやうな無心な美しき婦人の大写。
(溶暗)
7
すれちがふ電車。さかんに走り過ぎる窓の景色。
ぼんやりゆられてゐる電車の中。
電車は又静かに停車場へ着く。降りる人も乗る人もなく車掌は開けて行つた戸を閉めてゆく。――
そして、又静かに電車は動き初めてゐる。
(カメラの位置は1と同じ、戸口は斜にわずかに見えるだけで、乗客の視線でそれと知ることが出来るだけでよい。)
気をひかれるやうに老年の男の膝の花束を見る詩人。花から美しき婦人へ瞳を移して、そして詩人は自然の位置(態度)にかへる。――ゆつくりしたテンポ。
8
大変幸福さうな詩人の大写。(7からダブル)
詩人が微笑しかけさうになる。と、老年の男の膝の上にあつた花が彼の鼻を擽る。
9
詩人はくすぐつたさうに鼻をこする。
花を持つ老年の男は、顔にとまりにくる蠅をうるささうに追つてゐる。と、その拍子に花が床にころげ落ちる。
一斉に(しかし、そこにゐる乗客の全部ではない)花と老年の男に視線を向ける。瞬間、詩人は当惑した顔をする。美しき婦人と詩人の眼が会ふ。(溶暗)
10
座席から立ちあがる詩人。
戸口の方へ行く詩人を追ふ美しき婦人の瞳。
(そして、ここでカメラは美しき婦人の眼の位置になる。)
電車が止ると、詩人は彼と一緒に降りようとしてゐる花を持つた老年の男に気がつく。
詩人は巧みに花を持つ老年の男を先に電車より降して、ゆつくりとその後につゞく。
11
詩人の背後を走り去る電車。
詩人はちよつとふりかへつて電車を見送る。
12
電車を降りた人々、階段。
歩いてゐる花を持つ老年の男。
(カメラはそれ等の人々を追ひ越して改札口の方へ急ぐ。)
――と、改札を出る詩人は花を持つた老年の男よりも遙に先になつてゐる。
13
終り(タイトル)
14
カフエーに入る詩人。
15
カフエーの中には彼の詩人と全く同じ服装同じ顔をしてゐる彼の友人が五六人ゐて、彼の詩人はその中にまぎれこんでしまふ。そして、誰が彼であつたのかわからなくなつてしまふ。
16
酒を飲む者、詩作をしてゐる者、其他色々――。(ひとゝほりカフエーの中を写した後は、かの詩人のまぎれ込んでゐるか彼の詩人の友人達のみを写してゐること)
17
やがてカメラは、その中で一人だけぼんやりしてゐる男を見つける。彼がそれなのである。
註。13の「終り」(END)といふタイトルをそのまゝ入れて置いて、14から17までを加へるのです。
*
(映画往来第三巻第十一号 昭和2(1927)年11月発行)
[やぶちゃん注:底本では副題『――喜劇風のシナリオ――』がポイント落ち。また、本文では、シーン・ナンバーの後、一字空けでト書きが書かれ、ナンバー内で改行された場合は二字下げ、行が二行に亙る場合は、一字下げが用いられているが、ブラウザの関係上、シーン・ナンバーで改行、以下も上記のような通常の表記とした。なお、このためにシーンの記述の独立性が損なわれるのを恐れ、ベタで繋がっている底本を改め、シーン・ナンバー毎に空行を入れた。但し、シーン13の前後の有意の空行は底本にあるものである。なお、全体を通じて、最後の「註」等でも底本の本文の文字は特に変化(ポイント落ち等)していない。7の「初めてゐる」はママ、また16の「かの詩人のまぎれ込んでゐるか彼の詩人の友人達のみを写してゐること」の「か彼の」の「か」は衍字である可能性が高い。]
* *
正直言って、尾形亀之助の脚本は僕には三つとも面白くない。尾形の詩や散文詩の方が、ずっと映像的なスペクタクルや幻想のモンタージュを感じさせる。
尾形亀之助の幻の『短編集』。明日公開。乞御期待!
若い夫
若い妻
犬
郊外
中春の夕方
×
舞台は客間と居間が唐紙で仕切られてある。客間は客間らしく、居間はたんす!火鉢其の他よろしくその辺に置いてある。庭には青葉の桜二三本、つゝじなども咲いてゐる。桜は枝ぶりのわるい方が面白い。
幕あくと、客間の床の間の上の蓄音器にテノールか何かのレコードがかゝつてゐる。(爽かな気分)客間と居間との間の唐紙が一枚だけ開いてある。食べるばかりになつてゐる食卓が居間の中央に置いてあつて、夫がその前に坐つて新聞を見てゐる。
雞のすねを焼いた骨つきを二皿両手に持つて妻が居間へ入つて来て、大きい肉片の入つてゐる方を夫の前へ小いさい肉の方を自分のとこへ置いて、客間へ行つてレコードを止めて来て夫に向ひあつて坐る。
妻「あなた。さあ食べませう」
夫「うん――(新聞を下へ置いて)雞のすねか。胡椒……」
妻「あなたの前に出てゐますわ」(飯をよそう)
夫「そうか」(胡椒や塩をかけて肉を切る)
妻(自分の茶碗にも飯をよそつて食べ始める)
夫(肉の大きそうなのを一口食べてみて、意外といふ表情)――「不味い」
妻「――あら、私のはおいしいわ」
夫「お前は何んでもうまいんだ」
妻「まあ……私のを食べてごらんなさいな」
夫(それもどうせ不味いといふ顔)
妻「だつて、何時かあなたがおつしやつたやうにして焼いたのですもの」
夫(妻の言葉を聞いてゐないやうに他のものをわざと食べてゐる)
妻「……でも、こつちのを食べてみて下さらなければ困るわ」(自分の皿を夫の方へ押し出す)
夫(妻をにらむやうにして、その皿から一きれつまんで食べる)
妻「どう……不味い?」
夫「いや……甘い」(こんどは自分の皿から肉をつまんで食べてみて)「不味い。おかしいな、ちよつとこつちを食べてごらん」(妻の方へ自分の皿を心もち押してやる)
妻(それを一きれ食べてよく味はふ様子。首などをまげる)「まあ、不味いわ――雞がちがうのでせうか?」
夫「……」(だまつて妻の皿から肉をとつて食ふ)
妻(夫の顔を見てゐる)
夫「こつちは甘い」
妻「……おかしいわね。こんなに味がちがふんですもの、おんなじ雞のすねじあないんだわね。きつと」
夫「跛の雞なのかも知れない……」(彼はそう云つて、すぐそんな思ひつきを後悔したやうにのみ込んでしまつた肉を今更吐き出せない――といふやうな気もちのわるさうな顔をする)
妻「いやな雞屋、明日来たら聞いてみるわ。跛の雞なんかもつて来て」
夫「馬鹿な……」(もつてゐた茶碗と箸を置く)
妻「……」(涙ぐんだらしく、夫の気もちをさぐるやうに夫の顔を上眼でちよつとのぞく)
夫「……」(もうそのまゝ飯をよすらしい)
妻「もうおよしになるの……」(茶碗を置いてしよげる。ぼんやり握つてゐる箸でなべをつゝいてゐる)
夫「…………」
妻「ごめんなさいね――」
夫「…………」(座を立つて部屋を出る)――退場
妻(その後姿を見送る。間……そして、かなしげに立ちあがつて客間へ入つてゆくとなにげなくさつきのレコードをかける。ぼんやりした様子)
夫「うるさいな――」(と、大きな声でかげでどなる)
妻(びつくりしてレコードをとめる)
夫(つか/\と部屋へ入つて来て、そこに立つてゐる妻を押しのけるやうにして、乱棒にホツクストロツトをかけてでたらめに踊り出す)
妻(ぼうぜんと見とれてゐる)
夫(だんだん調子づいて踊つてゐると、すべつてころぶ)
妻「あぶない――」(と、思はず夫のそばへ寄る)
夫(妻がそばへ寄つて来ると、いきなり足をからんでころがす)
妻「まあ、ひどい」(ころんだまゝ)
夫「まあ、ひどい」(妻の口まねをする。やはりころんだまゝ)
間――二人がころんだまゝで
……犬が一匹庭を横切る。
……そして、静かに幕がする/\降る。
× ×
どうでもよいことだけれども、ホツクストロツトを夫がかける時、夫はたゞかけるまねだけしてべつに舞台裏でかけて、夫がころぶと同時に止めてしまふのも面白いと思ふ。その方が、彼等がころんだまゝでゆつくり芝居が出来る。足をからまれて妻がころぶときなども、しなをつくらないでいきなりドシン――ところばなければちつとも面白味がないことになる。
足をからんで細君をころがして、彼はすつかり気嫌を直してゐるのにそこで細君がメソ/\泣き出してしまふものならこの芝居はぶちこはしだ。彼は家を飛び出して私のとこへでも訪ねて来れば、カフエーへ行つて一ぱい飲むことになる。すると自然に一ぱいが二はいになつて、彼はおそく家へ帰る。酔つてゐるから細君をぶつやうなことになるかも知れない。それでは私の作意に大変そむく、こゝはやつぱり「まああんたはひどい人」と細君は彼の顔のとこへはつて行つて、彼の頰をかるくつねる。彼も心得て、細君の鼻をかるくつまむ。すると細君も彼の鼻をつまむ。――そうなれば私も安心して筆を置く(一九二六、九――)
*
(九軒一の巻 大正15(1926)年11月発行)
[やぶちゃん注:底本では台詞が二行に亙る場合は一字下げとなっているが、ブラウザの関係上、無視した。冒頭ト書きの「!」は「・」の誤植であろう。同じト書き中に現れる『その他よろしく』は戯曲やシナリオとしてはよく使われる常套句である。の妻の台詞「妻「……おかしいわね。こんなに味がちがふんですもの、おんなじ鷄のすねじあないんだわね。きつと」の「すねじあない」はママ。「ホツクストロツト」は“Foxtrot”フォックストロットで、社交ダンスの一つの型。ラグタイムに合わせて男女で踊るテンポの早いもの。最後の解説は底本では全体が半角下げのポイント落ちである。「九軒」なる雑誌は不詳。底本の編注にも記載がない。ない、本篇は表題に『二幕』とあるが、この前後に別なシークエンスがあるようには思えない。いや、本篇は最後の解説によってレーゼ・ドラマであることがはっきりするのであって見れば、「二幕」という表記に拘る必然性は全くないように思われるのである。]
芥川龍之介「動物園」を削除部分補完・注追加をして大幅に改訂した。
*
現在、芥川龍之介句集の最終充実化のための新全集精査を行っている(僕は数冊を除いて所持していないので職場の図書室のものを用いている。現在第十巻迄終了したが、残り時間が余りないのだ、僕には。早く仕上げなければいけない)。その過程の中で、他の芥川龍之介作品の補正すべき点にも気づくことが多くあった。これは、その中の大きな一つである。
ブログ150000アクセス記念として、ジョン・M・シング著松村みね子訳「聖者の泉」(三幕)を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。
僕は大方の評者が本作をどう捉えているかに興味はない。ただ僕はこのマーチンとメアリーの二人が好きである。それも舞台の前後の盲目の時の二人が、である。
眼の見えない彼らは見えないが故に、世界に触れているのだ。
開眼して汚れた現実の実体を見た彼らは急速に現実的な人間として魅力のない存在へと墜ちるが、それは同時に彼らを包む世界そのものの下落――即ち現実世界が如何に無常にして下劣なエゴイズムに満ち満ちているか――を洩らさず描き出している。盲いた二人の外界を表現する言葉の如何に詩的で美しいことか。いや、「詩的」なのではなく、これこそが神である自然を謙虚に紡いだ「詩」そのものなのである。
彼らの光明という「開明」は、実は逆に五体満足な人間の持つおぞましくも陳腐な精神の「晦冥」であったのだ。ウィトゲンシュタインが言ったように神は詩によって名指すことは出来ても、現前に示すことは出来ない。さすればこの「聖者」は名指してこそ見えない聖なるものであ得、示された現前の老いぼれの「聖者」はただの老いぼれ野狐禅ならぬ野狐呪医に過ぎぬのではなかろうか?
ご批判は、無用。僕はマーチンとメアリーと一緒に沼を越えてゆく。君たちは残ればよい。そこに――ウラジミールとエストラゴンのようにやってこない聖者とゴドーを永遠に待っていればよい――
ちなみに、本文冒頭の注に記載した芥川龍之介の「鼻」や「芋粥」への影響等については琉球大学教育学部の小澤保博氏による2008年3月刊の琉球大学教育学部実践総合センター紀要第15号所収の「教材研究(芥川龍之介)」及び2008年8月刊の琉球大学紀要73集の「芥川龍之介研究ノート」に詳しい。そこでは、大正4(1915)年2月発表の坪内逍遙の、この「聖者の泉」の翻案小説である「霊験」と、そこで取り上げられた信仰の問題を更に深化させた翌5(1916)年9月発表の同じ逍遙の戯曲「役の行者」の二篇が、大正8(1919)年1月発表の芥川龍之介の「犬と笛」に結実する様が詳細に語られている。
芥川龍之介―鼻―芋粥―聖者の泉―片山廣子
今はただ、この運命の赤い糸、宿命的連関にこそ、僕は心打たれると言っておきたい――
R氏のノートの中に、R氏が自分で書いた覚えの少しもない記事を見つけたといつて、その切り取つた部分を同封して面白いから読んでみるやうにと言つてきたが、自分で書いて置きながら数年後にどうしても自分で書いたものでないとしか考へられないことが私自身にもあるのだから、R氏のノートもたぶんさうなのではなからうかと思つた。切り取つたノートの部分を読んで、新らしく愛人を得たのでR氏はそのノートに貼りつけてゐるかなしく別れた愛人の写真(ノートに書いてあるのをみると、それはほんとの写真ではなく雑誌の口絵からとつた彼女によく似た写真で、それをノートに貼つてゐたのだらうと私は想像する)を見つけた時のノートを私に送つて、それとなく暗示してよこしたのかも知れないと思つた。
R氏が愛人を得たとすれば、R氏の楽しい生涯を私も大変うれしく思ふ。
○月○日
晴れて、暑い昼であつた。私は古雑誌の口絵のブールヴアールの中に彼女を見つけた。そして、それが彼女に似ているか似てゐないかを丁寧に考へた。
彼女は正面を向いて椅子にかけてゐる。青いだぶだぶの帽子をかぶつて、白いオバーに濃い藍色の服を着てゐるもう一人の羽根のついた帽子をかぶつて横を向いてる婦人と、山高をかぶつて褐色の顔を手でさゝいてゐる黒い服の男との間に、赤い明るい唇を閉じてゐる。円いテーブルにぶどう色の飲物がのつてゐる。左手に、赤いテントをはつてさかんにはやしたてゝゐるサーカスの前に人だかりがしてゐる。シルクハツトの楽隊が一列に四人ならんでゐるそのわきに、ピエロとさるまた一つの大男と桃色の踊子が二人立つてゐる。黄色のピエロはふざけてでもゐるのか片手をあげて肩をひねつてゐる。小いさい太鼓をたゝいてゐるそばに猿と鹿のやうなものがゐるが、遠景なので版がはつきりしては木戸番であるのかも知れない。赤いずぼんに水色の外套を着た赤い帽子の軍人が立つてゐる。むぎわらに白ずぼんの男や、帽子も服もピンクの婦人や、なつぱ服に鳥打の職工も立つて見てゐる。それから赤と黄と黒の帽子をかぶつた三人の老婦人が歩いて来る。半分かくれてゐるシルクハツトの人もゐる。髯のある山高が傘を持つて静かにそこを横ぎつてゐると、その後から高いカラーをした海老茶の外套を着たのがすまして歩いてゐる。支那風に飾つた円テントの前にも大勢の人がゐる。赤や緑の提灯をさげてゐる。絵の正面は、路に面して白い建物がある。茂つた立樹がある。
○月○日
私は「集ひ」といふ××××の口絵の中に又彼女を見つけた。彼女はそこに窓にもたれてゐた。
私はブールヴアールのとくらべた。
○月○日
私はこの頃眠れない。眠ると夢を見る。昨日の夢で、私は彼女と何処かへ逃げて行く旅費を中学の頃の友人から借りた。
*
(文芸ビルデング第三巻第七号 昭和4(1929)年7月発行)
[やぶちゃん注:底本では「R氏のノートの中に……」で始まり、「……私も大変うれしく思ふ。」で終わる前書き部分は全体が半角下げのポイント落ちである。「ブールヴアール」“Boulevard”はフランス語で「並木のある大通り」のことを言う。「さゝいてゐる」とそのすぐ後の「ぶどう色」はママ。「版がはつきりしては」は「版がはつきりしていれば」又は「版がはつきりすれば」といった意味合いか。次の「地球はいたつて平べつたいのでした」の詩に現れる『男は古雑誌の中から女に似た口絵を見つけて切りぬいたりした。』という句を持ち出すまでもなく、R氏とは尾形亀之助自身である。]
*
これは勿論、150000アクセス記念ではない。ご安心を。
僕の誕生日まで秒読みに入った。『短編集』の内、散文形式の小説や物語タイプのものはこれですべて終了、残りは戯曲1篇とシナリオ2篇である。
このところ、帰宅してもパソコンを開けるパワーがなく、実は既に月曜の昼頃、本ブログは150000アクセスを突破していた。2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、全くの偶然であるが、暇に、さるサイトの自動日数計算機にかけてみたら、この日から今日までは2年269日、ちょっきり1000日であることが分かった!
累計アクセス数: 150186 1日当たりの平均: 150.04
まずはこの千日回峰成就の記念に相応しい、今年の年賀でとびっきり気に入った猫野三山牛王符一種を貼ることと致そう
本人より掲載の許可を取り付けてあるが、ちょっと手を加えただけなので本物と並べられるのは恥ずかしいとのことで、リンクに留め置く。――いや、これは立派なFelis silvestris catus界の猫野三山本宮大社牛王符である。僕は後の二枚も執念で蒐集する覚悟である(僕の所蔵にかかる熊野三山牛王符三種はこちら)――
では、これより150000アクセス記念テクストの公開作業に入る。モーニング・ティーでも喫し乍ら、暫くお待ちあれ。
B・私のやうな男
A・言葉
R・若くつて美しい女性
×
AはBが退屈しないやうに話の相手をします。
BはRといふ女を見たことも聞いたこともありません。私はBとAの話の中にうまくRを入れてみやうと思つてゐる、つまらないことを私は時々考へるのです。
Bはカフエーでお茶を飲んでゐる。
A「綺麗な人だね」
B「僕もさつきから見てゐるんだ」
A「あまりじろじろ見ない方がいゝよ、出てゆだかれてはつまらなくなるから――、まあ、そつとお茶を飲んでゐやう」
A「あなたはほんとうに綺麗だ」
B「世の中で一番綺麗な人だと僕は思ふ」
R「しかたがないわ、それに自分でも綺麗なことを幸福だと思つてゐるのですもの――、あなた方だつてお綺麗だわ」
A「彼女が帰りかけてゐる」
B「先に出やう――」
R「まあ、私、だつてすぐお愛し申すことは出来ないわ、おこつていらつしやるのかしら」
外へ出ると、Bはすぐカフエーをふりかへつて見ました。そして、無口になりました。
B「この頃ちつとも煙草がうまくないね」
A「…………」
B「おや、さつきの人が電車に乗つた――」
A「…………」
B「たしかに僕達の方をふりかへつて見てゐた、笑つてた」
R「まあ、私が電車に乗るのを御覧なすつたのですつて、そして私が微笑してあなたの方にお別れしたのですつて、私、電車なんかに乗らなかつたわ、Bさん――あなた赤い色の着物さへ着てゐればどなたでもお好きなのでしよ」
B「あなたではなかつたのですか、――私は眼が近いのです。それに眼鏡をかけてゐないのですからごめんなさい」
R「…………」
A「川の方へ散歩に行かふ」
B「寒いからいやだ」
A「…………」
B「ひよつとして、いつかの人が僕達の散歩を遠くで見てゐるかも知れない、行かふ――」
Rはこのとき、Bを遠くから見てゐました。
そして、もしも自分がBと一緒に川べりを歩いてゐれば、Bとすぐ仲よくなりたい気持になれるかも知れないと思ひました。
R「あの方が帰りかけた、街へいらつしやると言つてゐなすつた、それも私に逢へるかも知れないといふので、――、私は街へ行つてあげなければならないわ、私がゐなければきつとあの方は淋しがるわ、そして、私はあの方よりも先に街へ行つてあげやう、遅れて行つて息を切つてゐるところなどをお見せしては大変だわ、まだ愛してゐるときまつてゐないのに」
A「大変な人ごみだ、どうだ逢へるやうな気がするか」
B「……僕にそんなことを聞くよりもあの人に聞いた方がよささうだ――」
R「まあ、あんなことを話しながらいらしつたわ、逢へるかどうか私に聞く方がよささうだなんておつしやつて、私を嬉しがらせるおつもりかしら、困るわ」
A「あのカフエーへ行くか」
B「…………」
R「何故ご返事なさらないのだらう、私がこゝにゐるのがおわかりにならないのかしら、それともおわかりになつてゐなさるからかしら――」
A「そんなにうつむきになつて歩いては見つからないぜ。僕が見つけても教へないよ――」
B「…………」
A「黙りこんでしまつたね、泣いてるんじあないだらう、さあ来たよ、寄つてみないか」
B「寄つたつてゐないんだからつまらない、来なければよかつた」
A「のぞいて見やう」
R「私、お待ちしてゐるのに、お入りにならないのかしら、ドアーを押せばすぐ私をごらんになれるのに――」
A「おい、ネクタイを直して、ぼたんをかけろ、さあ――お待ちかねだ」
B「ほんとか」
R「ネクタイを直して、ぼたんをかけてすましてゐらしつたわ、そんなにおすましになつては私お話なんか出来さうもないわ」
R「あんなに私を見つめていらつしやる、私、後が向けないわ――」
B「私はあなたを愛してゐる、それなのに私は一度もあなたの声を聞いたことがない」
R「…………」
B「あなたの着物は今日もうつくしい」
R「あなたが何か一言おつしやつらなければ困るわ、私、顔が赤くなつてるのかしら――」
B「ね、君、あの人を私のテーブルへ呼んで呉れないか、お茶を一緒に飲みたい」
A「そんなことをしてもいゝのか」
B「君はどう思ふ」
A「もし、あのBがあなたとご一緒にお茶をいたゞきたいと申して居ります」
R「…………」
A「…………うつむいてあそこにBが居ります」
B「こゝのお茶はおいしいですね」
R「私もときどき参りますの、あなたは毎日お出ですか」
B「水曜日と土曜日と――」
R「私は金曜日に参つて居りますの」
B「私も金曜日に来ることにしませう――でも、金曜日にはどなたかお連れがあるのですか」
R「いゝえ、何時も一人ですわ――」
B「今、私はあなたに私よりも好きな人があるかどうかといふことが一番気がかりです、こんなことを思ふのをあなたに笑はれはしまいかと思ふのですけれども」
R「そんなことお聞きになつてはいやですわ、それにあなたが私の■になつてしまふのかどうかわからないのですもの、あなただつてご返事が出来ないと思ふわ」
[やぶちゃん注:この台詞の「■」で表示した部分には、底本では編者によるものと思われる『(1字欠落)』という語が入っている。]
B「いゝえ、出来ます」
R「そんなことおつしやつては困りますわ、そんなことはもつと後のことだと思ふわ、そして、今は唯さう思つてゐればいゝのだと思ふわ」
B「――毎日お逢ひ出来ませうか」
R「毎日こゝでお逢ひするんですの――」
B「こゝでなくつてもいゝんです」
R「そして、私の名なんかお聞きにならない方がいゝわ」
B「暗くなりました」
R「えゝ、今夜はいゝ月ですわ、ちよつとお歩きになりません――」
B「えゝ……」
R「さつきの方は――」
B「Aですか、もう帰りました」
R「いゝ月ですわね」
B「…………」
R「月の中に住みたいわ」
B「…………」
R「まあ、どうなすつたの――」
*
(文芸ビルデング第三巻第四号 昭和4(1929)年4月発行)
[やぶちゃん注:底本では台詞が二行に亙る場合、一字下げになっているが、ブラウザの関係上、無視した。但し、敬体で書かれるト書き相当部分は底本通り、行頭から記載した。第5番目のパートのAとBの台詞に現れる「行かふ」、第8番目のパートのRの台詞の「おつしやつらなければ」はママ。]
僕には――僕の死ぐらいは自由にさせてくれ――もう、沢山だ――という思いが確かに、ある――
○南海フェリーの少年消息不明:発生1カ月 海上保安部、情報提供呼びかけ /徳島
◇和歌山発徳島行きフェリー内
南海フェリー(本社・和歌山市)の和歌山発徳島行きフェリー「つるぎ」に乗ったとみられる少年の行方が分からなくなって、8日で1カ月が経過した。現在も徳島、和歌山海上保安部は航路付近のパトロールを続けているが、消息は不明のまま。未回収の乗船券、防犯カメラの映像、乏しい情報……。まるで神隠しのような状況に関係者も首をかしげている。[やぶちゃん注:記者名がここにあるが省略。]
フェリーは、1月7日午後9時35分に和歌山港を出港、同日午後11時半に徳島港に入港した。下船する際、乗客は乗船券を係員に渡すことになっているが、唯一購入された小児(小学生以下)乗船券が未回収だったため、8日午前0時50分ごろ、船長が徳島海上保安部に通報した。
両保安部や同社によると、7日午後9時16分から2分間、和歌山港の券売機付近の防犯カメラに、中学生ぐらいの少年が乗船券を購入する様子が映っていた。丸刈りで身長150~155センチ。黒いダウンジャケットにジーンズ姿で手荷物はなく、周囲に家族や知人がいる様子もなかった。
その後、同社係員が少年の乗船を確認している。乗船口は係員がいる1カ所のみで、同社は「出港直前に下船した可能性はない」としている。ただ、船内での少年の目撃情報はなく、遺留品もない。
両保安部は少年が海中へ転落した恐れがあるとして捜索を続けているが、遭難・転落事案の際に作成する海流予測では、航路の海流は緩やかで遠くに流される恐れは低く、徳島海上保安部は「1カ月捜索して発見されないのはまれ」という。
近隣の府県警に、少年に該当するような家出人捜索願の提出もない。ただ、徒歩で乗船した少年が何らかの事情で車両で下船した場合は乗船券を渡すことはなく、その可能性も否定できないという。
古賀昭輝・徳島海上保安部次長は「ここまで物証や情報がないのは珍しく、手の打ちようがない。少しでも手がかりになる情報があれば、いただきたい」と話している。
*
2009年2月8日毎日新聞地方版より。
* *
○フェリーの不明少年は無事、「乗ったのに下りない」真相は…
和歌山-徳島間を航行していたフェリーで行方が分からなくなった少年が、別々に乗った家族と船内で合流し無事だったことが8日、わかった。家族は車でフェリーに乗船、少年は一人で乗船券を購入して乗ったといい、家族は「社会勉強として乗船券を買わせた。お騒がせして申し訳ありません」と話しているという。行方を捜していた和歌山、徳島両海上保安部が同日、発表した。それによると、少年は香川県内の小学5年生(11)。先月7日、家族5人で車で和歌山県を観光し、少年を除く全員は同日夜、和歌山港発徳島港行き南海フェリーに車で乗船。両親は少年に一人で券を買わせ、少年は一般客として乗船後、船内で家族の車に乗って下船した。
*
今日(2009年2月8日12:38の読売新聞より)。
* * *
よかったなあ!
何より全ての人々がみんな誠実だったじゃないか。昔はみんなそうだった。今だって、そうなんだよ。監視カメラを云々することも、この子やこの家族を云々することも、なあんにも、いらない。かかった金? それが「誠意」と「ほっとする」ことの、たかが代金だったって考えりゃ、こんなに安くみんなが「ほっとできた」ことをみんなで言祝ごうじゃないか――
全く関係ないことから旧全集の月報を読んでいて、とんでもない事実を発見した。芥川龍之介疑義句(新発見句と称して良いと思う)12句である!
「やぶちゃん版芥川龍之介句集五 手帳及びノート・断片・日録・遺漏」に岩波版旧全集月報9示された疑義句12句と注記を加えた。
僕の感動は以下ブログにそれを引用せずにはいられない。新全集の総見を行ってはいないが(近々それを行う用意がある。これが「やぶちゃん版」の成すべき最後の仕儀となろうことも分かっている)、少なくともそれ以前の如何なる全集や句集にも所収されていないものであることは確かであろう。そして、この多くは芥川龍之介の真正の句である可能性が高いと僕には思われるのである。ご覧あれ――
*
晝の月霍亂人(くわくらんびと)の眼ざしよな
[やぶちゃん注:岩波版旧全集第九巻に挟まれた1978年4月クレジットの「芥川龍之介全集月報9」の「資料紹介」の中にある、大正8(1919)年8月発行の『文章倶樂部』第4年第8号所収とするMS生記「我鬼窟百鬼會」の文章中に芥川龍之介(我鬼)の句として現れる句。MS生なる筆者が大正8(1919)年6月29日午後2時より田端の芥川邸で催された「俳三昧修行」と称す運座に呼ばれて行ってみると『座敷には三汀さんや我鬼さんの筆に成る團扇が幾本も散らばつてゐ』て、そこに書き殴ってあった句として紹介されている(「三汀」は久米正雄の俳号)。「我鬼窟句抄」の大正七年等に見られる「晝の月霍亂人が眼ざしやな」の類型句であるが、MS生の見間違いの可能性もある。]
下駄正しく傍にむざと杜若(かきつばた)
[やぶちゃん注:前掲句と同様、岩波版旧全集第九巻に挟まれた1978年4月クレジットの「芥川龍之介全集月報9」の「資料紹介」の中にある、大正8(1919)年8月発行の『文章倶樂部』第4年第8号所収とするMS生記「我鬼窟百鬼會」の文章中に芥川龍之介(我鬼)の句として現れる句。類型句はない。その運座で作句された一句として掲げられているので、信憑性の極めて高い未発表句である。この時の運座は久米正雄(三汀)・室生犀星・瀧井孝作(折柴)・石川勢以子(谷崎潤一郎の当時の妻千代子の妹。谷崎の「痴人の愛」のナオミのモデル)や大学生風の者(「大学の制服をつけた人」とあるので必ずしも大学生かどうかは不明であるが、複数人居た模様)らで(MS生も当然参加していると考えてよい)、『座敷に溢れる盛況』と記している。更に運坐が終わるころに菊池寛、夕食後、夜更けてから江口渙が来窟、まさに「百鬼會」と称するに相応しい体をなしている(小島政二郎が来ないのを不審がる芥川が描かれているが、小島の到来は本文には記されていない。この深夜には短歌の運座が行われたと当該文書は終わる――短歌の運座とはちと可笑しいけれども)。運座の詠題は「梅雨及其他」で真っ先に芥川が捻出したとあるが、『苦吟一時間ののち互選する』とあって読み上げられた句を掲げている中に出現する。一応、以下に掲げられた句を全て示す(芥川の句のルビは省略する)。
梅雨の頃灰汁の重さ母の手に (三汀)
屋根草にりゆうとあぐ旗冷やし物 (犀星)
下駄正しく傍にむざと杜若 (我鬼)
玉手捲く夕月の影薄うなりぬ (猛者)
吾は夏の袴をはきつめられてる (折柴)
この猛者という俳号は不明である。ちなみにこの運座の最後に来た菊池寛が
絽の乳は透き夏の夜の東京の電車が蒸れ
という句に対して「これは君非常に猥雑だよ」と言ったというエピソードが綴られるが、この句が私は好きでたまらない。しかし、この自由律は、芥川では、多分、あるまい、残念ながら(だったら芥川の句として素晴らしいお思うのだけれども)。]
定齋賣橋一ぱいに通りけり
浮き沈む脾腹の肉や昼寢女郎
空に知る海のけはひや花芒
睫きもせぬに鬼氣あり菊人形
思ひ出や蜻蛉の眼玉商ひし
松二本出水に枯れて曼珠沙華
花火より遠き人ありと思ひけり
ぎやまんの燈籠ともせ海の秋
今朝秋や寢癖も寒き齒のきしみ
[やぶちゃん注:岩波版旧全集第九巻に挟まれた1978年4月クレジットの「芥川龍之介全集月報9」の「編集室より」に該当巻の芥川龍之介の俳句には異型句が数多く見られることを言い、『本全集に収めることを躊躇した句に左のようなものがあります。今後の検討を俟ちたいと思います。』として、『昭和五十一年五月の『書林会主催西部古書展示即売会目録』に掲げられた影印のうち、本全集不載の句』とする9句である。しかし、この内、「花火より遠き人ありと思ひけり」「ぎやまんの燈籠ともせ海の秋」の二句は、前者「花火より遠き人ありと思ひけり」は新全集の後記に大正5(1916)年頃の作として掲げられているものであり(「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」参照)、芥川龍之介の作品として確定でき、更に後者「ぎやまんの燈籠ともせ海の秋」は同じく「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」に掲載した「松江連句(仮)」の一句である。これらの影印なるものが如何なるものであるか分からないが、一連の筆記であり、芥川龍之介の自筆であることが確認されれば、間違いなく芥川龍之介の句であると言ってよいであろう。上記以外のどの句も、あくまで私の感触であるが、高い確率で芥川龍之介の句であると思えるである。「今後の検討」は30年誰にもなされていないのである。識者の御意見を是非、求めたいものである。]
杉凍てゝ聲あらんとす峽間哉
葱に似て指の白さも惣嫁かな
大いなる手つと來て茨の實を摘めり
[やぶちゃん注:岩波版旧全集第九巻に挟まれた1978年4月クレジットの「芥川龍之介全集月報9」の「編集室より」に該当巻の芥川龍之介の俳句には異型句が数多く見られることを言い、『本全集に収めることを躊躇した句に左のようなものがあります。今後の検討を俟ちたいと思います。』として、『大正七年十二月三日の『読売新聞』に「雑咏 我鬼」として掲載された七句中本全集不載の三句』とある。続いて『読売掲載の七句について芥川は同年十二月八日付下島勲宛書簡に「読売の句は小生の出したものではなく誰かが好い加減に句屑を集めて勝手に発表したものであります」と記してい』ることを根拠として全集に採録しなかったらしい。しかし、この芥川の書簡中の語『誰かが好い加減に句屑を集めて勝手に発表した』という言い方は、句が自分のものではない贋作だというのではなく、自分の本意ではなかったという不満の表現ととれないだろうか。少なくとも二句目は「やぶちゃん版芥川龍之介句集 発句拾遺」の「我鬼窟句抄」にある「惣嫁指の白きも葱に似たりけり」の別稿と考えられるではないか。そう考えると、これら三句もないがしろには出来ない句であるというべきである。]
画面右奥――夜の勉強部屋……カツオ、机の蛍光灯だけを点けて、白い鉢巻をし、眉を「へ」の字にして、カリカリと鉛筆を握って勉強している……頭上には半紙に墨書した「努力 磯野カツオ」……その情景は開いた襖から見えている……画面手前中央から左の襖のこちら――磯野家廊下……中央に波平、その後ろ左のフネ……波平、半ば口を開け丸く見開いた右目から感動の涙を流している、眉は「ノ」の字……フネ、同じように口を半ば開いて、同じ「ノ」の字の眉とその下の閉じた小さな右眼から波平以上に大粒の涙を流し、左手は手拭(見慣れた割烹着姿と思われからハンカチではあるまい)で反対側の眼のそれを拭おうとしている風情――
右手襖上「さあ、次は、そなえを固める親の番。」のキャッチ・フレーズ――
以下、画面下にバーンと「JA教育ローン」「とくとくプラン」
「固定金利型 標準金利」とあって特にでかく「2.35%」(年率)……以下、こまい字で注意事項その他よろしく……
――以上、昨日、2009年2月7日朝日新聞朝刊の「JAバンク」の広告を僕が解説した。
……僕が何を言いたいか、「サザエさん」ファンならお分かりであろう……
「サザエさん」のシチュエーションから言えば、このカツオのひたむきな勉学姿勢はモノホンではない――どうせ「見せかけ」の勉学である――そこには何かの下心が必ず隠されている――それが翌日には必ずや発覚する――いや、仮に一日の思いつきの素直な発奮であっても、カツオの性格から言って、切り替わった翌日の画面では、カツオは、鉛筆を握って居眠りをするか、教科書の下に漫画を潜ませているか、昼間なら中島と河原へ野球に行っている(このタッチはテレビ・アニメ版の方のセル画風であるから中島君は出現率の高い重要なキャラクターで続くシーンとしての可能性は極めて高い)――そうして、波平の「バカモン!!!」の、あの雷が落ちるのは日火を見るよりも明らかなのである……
『……お父さん、お母さん、「さあ、次は、そなえを固める親の番。」などとお考えになる前に、よく、お考えあれ……あなたの息子さんはこのカツオでは、ないですか?……』
――いや、待てよ? 僕は実は、カツオが大好きなのだ。そもそも原作でもそうだが、なかなかにカツオは「悪」知恵が働く(それは殆どが憎みきれない擬似性の「悪」でしかない)。カツオは磯野家の最高の知性と言ってもよい。だから、言い直しておこう――
『お父さん、お母さん、「さあ、次は、そなえを固める親の番。」とお考えになってよいのです……あなたの息子さんがカツオのように巧妙な悪知恵であなた方を一時感動させたとしても……親は騙されてこそのもの……親さえ騙すぐらいの知恵が働かなくては人を平然と蹴落として最高学府には参れません――』
*
ちなみに僕はアニメ版「サザエさん」の誰が好きか、を告白しておこう。僕は断然、花沢さん、なのである――僕は昔から、ボーイッシュな女の子に、弱い――
×
春のま昼に軟らかい風が吹いて、街では旗をたてゝ楽隊が通つてゐた。
春になつてりぼんをかけずに歩いてゐるやうな者は一人もゐなかつた。
×
楽隊はさかんにラッパを吹きならした。
笑ひ薬をのまされた娘は足のうらがかゆくなつた。そして楽隊が心ぼそいほど低く聞えたり。踊つてゐてふらふら眠りかけたりした。
娘は惰いほど花の匂ひや蜜のやうな甘さにとざされた。しつとりねばみをふくんだ空気は沼のやうにそこによどんだ。娘の鼻のさきや耳たぶにもいろいろと花が咲き初めた。
×
夢のやうに春の日がながい。
昔の恋人は笑つて帰つて来た。そして、娘のやうに走りまはつた。
虹も出てゐたし、見たこともないやうなお菓子もあつた。
×
ゆらゆら煙草の煙が指に纏はりついてのぼつてゐた。
娘らは街を歩くのをうれしがつた。
雲雀は何か美しい衣裳をつけて空高く飛んだ。
×
花火は絶えまなくあげられて、まるい空が花簪をさしたやうになつた。
いろいろに仕組まれた花火の中には長い尾をひらひらなびかせてそのまゝ天へ昇つてしまふのもあつた。
×
硝子にとまつてゐる虻はときどき羽ばたいた。硝子戸から庭が透いて見えてゐる。
虻は僕の顔を見ない。縁側の下だけが土が白く乾いてゐる。
*
(文芸レビュー第一巻第三号 昭和4(1929)年5月発行)
[やぶちゃん注:第二連三段落目の「惰いほど」は「惰(けうと)いほど」又は「惰(だる)いほど」と訓じているか。「ねばみ」は「粘味」である。]
アランといふのは、何かの小説に出てくる女の名であつたかも知れない。もしさうであつたら、それからこんな名がこの酒についたのだらう。
アラン酒をこつぷについだときに、私は何んとも言ひやうのない甘い匂ひを嗅いだ。女は、アラン洒の匂ひは何時嗅いでもいゝといふやうなことを言つた。
女は売笑婦であつた。
*
(〈亜〉35号〈終刊号〉昭和2(1927)年12月)
[やぶちゃん注:底本本文のクレジットは、本篇が再録された『(ファンタジア第一輯 昭和4年6月発行)』となっているが、編注にある初出誌のクレジットに改めた。なぜ秋元氏が初出クレジットでの本文位置にしなかったのかは不明である。編注には記載がないが、初出と再録では異同がある(若しくは初出に致命的な誤植や脱漏がある)可能性も否定できない。]
雨が降ると温泉宿は暗い。霧がこもる。そして木ぼこの匂ひがする。唇の紅と、びんのところに一筆塗つてある青と、白い木肌の匂ひである。木ぼこのあの丸い大きな頭から匂ひがしみ出るのだらう。つるつるとした顔は子供のやうにも大人のやうにも見える。御神体のやうでもある。――彼女は東洋人である。
どうかした拍子で、私は木ぼこで頭をこつんとやられたことがあつた。そんなことがあつた。(木ぼこの頭は重い)
木ぼこは木のこにも似ている。
*
(こけし這子の話 昭和3(1928)年1月発行)
[やぶちゃん注:傍点「ヽ」下線に代えた。底本編注に『「こけし人形」(こけし這子の話・昭和3年1月、著者発行人天江富弥、仙台郷土趣味の会。同書はこけし研究書の嚆矢。巻末付録「こけしに関する詩文」に武井武雄、白鳥省吾、石川善助、尾形亀之助が寄稿している。)』とある。]
「やぶちゃん版芥川龍之介句集二 発句拾遺」にホトトギス「雜詠」欄(大正七年五月『ホトトギス』)二句を追加(但し、既に全く同じ句が後掲する「我鬼窟句抄」に有り)し、芥川龍之介の若き日の俳号「椒圖」に関わる注記を加えた。
「尾形亀之助作品集『短編集』(未公刊作品集推定復元版 全22篇) 附やぶちゃん注」は近々やってくる僕の52歳の誕生日に合わせて公開することとする。その前に、150000アクセスがやってきそうだが、そちらも実は既にあるテクストを用意してある。どちらも、乞う、ご期待。
夜の汽車の中は、つづけさまに走つてゐるだるい音がこもつてゐる。それは永い間つづいて来てゐるやうなさみしさ――眠つてゐる人達がそんな顔をしてゐる。
汽車の匂ひが眼にまでしみてくる。
退屈なのでそう思ふのか。乗つてゐる人が皆よく見かけた人に似た人ばかりだ。
朝になると、私の前に和尚が座つてゐた。
和尚のゐる方の窓から陽が登りかけてゐる。
何時の間にか汽車が逆に走つてゐる。そう思はれてならない。
太陽が登りきらないうちに曇つてしまつた。
×
八時に青森に着く。
雨あがりの小砂利のぬれた並木路と低い電柱。
停車場の二階の食堂の窓からは地べたに吸ひ付いてゐるやうな街がわづかばかり見える。
船。
船は空へ穴をあけるやうな汽笛で動き初める。
すべるやうに走り出す。沖へ沖へと出る。
黒く濁つた海――。
陸は細いし、とげとげしてゐる。
まつたく平らな風景で私の眼はいつぱいになつてしまつてそれがもり上つてくるやうにさへ見える。
時折雨が降りそうになる。
潮をきつて走るのが忙がしい。
追れてゐる。
一生懸命逃げてゐる。
うす陽がさすと海が飴のやうになる。
私のそばへ出て来て何か食べてばかりゐる男がゐる。こんなとき、そばでカステーラなんか食べてゐられるのは困る。海を見ながら食べつゞけてゐる。
でも、後でその男が啞であつたことがわかつた。啞なら私はいやな顔をしなければよかつた。走つてゐる船のデツキで、啞が私のそばへ来てカステーラを食べてゐる――そんな気もちは私は大変好きだ。
船に若い美しい娘が一人乗つてゐるのを見つけた。後になつてから私のゐる反対の舷に出て来たのを見つけた。
風が出て、海がうすあさぎ色になつた。
私はトランクに腰かけて何時の間か眠つてゐた。
眼がさめるとデツキが乾いてゐた。
腹が空いてゐる。何か大きい怪物に捕ひられてゐるやうな気がする。
息をしてゐるやうに船がゆれる。
×
函館の港は美しい。
奇形な並木。
太い電柱のうしろに雨あがりの港。
黒い船。赤さびの船。
三日も前から降つてゐた雨が今やんだと聞く。
板の上に赤いポストがある。
屋根の上に旗がなびいてゐる。
この街には黒い陽傘がよくにやふ。
窓から下を見てゐると。
窓の下では夫婦の荷車引が坂を登りきつてひと休みするところだ。並木の下のわづかばかりの草むらに腰をおろして、汗になつた夫婦はかはるがはる口づけに水道の水を飲んだ。
白と黒のぶち犬が路のまん中にねてゐる。
赤帽が外人の後から荷物を引て来た。
からすがトタン屋根にとまつた。
二重の虹がでた。
湾から街にまたがつた大きい虹。
街が煙のやうにやはらかになつてゐる。
×
散歩に出てみたがすぐ帰つて来た。
夕暮だ。
青く塗つた教会が見える。
船着場の向ふの赤煉瓦の倉庫に夕陽がいつぱいさしてゐる。
日没――。
月が出て路の水たまりが白く光る。
海の上の黒いものは船。
私は疲れた。ホテルの二階に眠る。
×
五稜廓は――
馬ごやしの花、こすもすの花、葵の花、おいらん草、はい取り草。
十二時。
ぬかるみが乾いた。野菊が一本ひよろひよろのび出てゐて野中の路は晴れてる。
風が吹いてゐる。
鳥が啼いてゐる。
×
又曇つた。
港は。
船、船、船、船船船。
今日も同じやうに黒い陽傘が通る。
ホテルにゐるロシヤ人が昨日の晩女郎を買ひに行つて、二人で一人の料金にまけろと云つてどうしてもきかなかつたそうだ――とホテルのボーイが私に話した。今日は大きい西瓜を二人で一つづゝかゝいて外から帰つて来た。
このホテルにはロシヤの何処かの国の大臣もゐる。小いさい部屋に大勢の家族で泊つてゐるロシヤ人もゐる。細君は寝台に男はその下へ寝てゐるといふ。国を逃れて来た人達でホテルはいつぱいになつてゐる。
食堂などは大変さみしい。パンとスープと自分達で買つて来た西瓜ですませてゐる人が多い。
夕方になると、向ひ側に新築してゐる家の屋根の上にゐた職人が帰つてしまつた。
曇つてゐるので、今夜はま暗だ。
海も何も見えない。
×
朝起ると雨だ。
昼飯を食べに食堂へゆくと、今日もパンと茶と西瓜の連中が部屋の隅に二組ゐるばかりであつた。蓄音器もレコードもちりにまみれてゐた。天井には万国旗とモールがはつてある。
雨がやんでゐたので、大沼公園へ出かけた。
若い宿引がしっこく付いてくる。(狐のやうな顔をして)
ボートに乗つても面白くなかつた。
頰白が啼いてゐた。
つまらなくなつて停車場へ帰ると、一時間も待たなければならなかつた。ベンチにかけてゐると、前のベンチに三人の娘が来て腰をおろした。……右端の娘さん――。
×
函館のホテルへ帰る。
今夜は月が出ない。
夜の汽車に乗つて函館を立つた。
暑い。
洗面所へ顔を洗ひにゆくと、黒塗の立派な箱の中にコツプが入れてあるので、私は半分いたづらな気もあつて口をそゝごうとして箱のふたを引きぬくと、いきなり板つペラがバネにはね飛ばされて出た。
びつくり箱から飛び出したのは紙コツプを押してゐるバネ板だつたけれども、私は始めは汽車に乗つてゐて退屈した人をなぐさめるためにわざとそんな仕掛けをしてゐるのだと思つた。
私のやうに、うつかりガラスのコツプが入つてゐるのだと思つてふたをあければ、びつくりするにちがひない。
×
部屋から海が見えない。
きたない屋根のかさなつたかげに、だらだら山がつゞいてゐる。
女中が感じがいゝので嬉しい。
それに、小樽はまだ梅の実が青い。
アメリカの軍艦が二つも入つてゐるので街はにぎやかだ。
顔をそつて、昼前の汽車に乗つてしまつた。
×
札幌の停車場でパイプを折つた。
日中なのでなかなか暑い。
二里ばかり馬車に乗つて遊びに出かけた。
帰りは月がよかつた。
宿の部屋が玄関のわきだつたので、女中ではなく番頭が来て私の用をした。それで女中は一つぺんも顔を見せない。
×
原つぱに寝そべつて画をかいた。
猫がないて通つた。
変電所の低いうなりが地に響けて聞えて来る。
三人ばかりの子供が野いちごを食べながら私の画の囲りに立つてゐるので、私も探しに行つて取つて来て食べた。
寝ころんでゐる原の景色は実にいい。
×
旅に出てゐる気もちがはつきりして来ると、帰らずにはゐられないやうな気がさかんに起る。
夕食後、私は停車場へ遊びに行つた。
そして、待合室をゆつくりと散歩した後で開札を待つて列んでゐる人達の顔を順々に見まわして、プラツトホームに眼をうつすと、きれいに水をまいたばかりのコンクリートのたたきがいちめん灰色の花になつて咲いてゐた。
(一九二三年の夏)
*
(太平洋詩人第二巻第三号 昭和2(1927)年3月発行)
[やぶちゃん注:本篇は底本の本文ではなく、「補遺」の部分に二段組で所収されている。前回の思潮社版全集(1970年刊)以後に発見された小説である。僕の判断でこの『作品集』に挿入した。それは秋元氏が『短編集』に収められるはずであった『作品は、ロマンチックな雰囲気につつまれ、明るく、才能のひらめきを感じさせる』ものであったと語っている、その幻の『短編集』に、最もマッチする軽快なものを、僕はこの回想紀行的詩篇(底本には題名の下に秋元氏によるものと思われる『(小説)』のクレジットが入っているが、僕はこれを小説と表現するのに強い違和感を感じるので排除した)に感じるからである。
傍点「ヽ」は下線に代えた。第2連「×」よりも後半の「動き初める」、第8連冒頭「私はトランクに腰かけて何時の間か眠つてゐた。」の「間か」と同三行目の「捕ひられてゐる」、第12連冒頭「この街には黒い陽傘がよくにやふ」の「にやふ」、第24連(ホテルのロシヤ人の最初のエピソードの連)の「かゝいて」、第28連(離函小樽行の洗面所の紙コップのエピソードの連)の「口をそゝごう」、最後から4連目の「地に響けて」は全てママである。
なお現在、僕の知る尾形亀之助の年譜の中に、大正12(1923)年に北海道への旅行が記載されているものはないが、例えば底本の年譜を見ると、7月28日~8月3日のマヴォ一回展の運営にこの前後に当たっており、直後の8月28日には二科展落選画歓迎移動展に参加しているが、この後、十月のANTISM展出品までの記載が全くない。このことから、この亀之助の北海道行は同年8月の中旬か、二科展落選画歓迎移動展直後の9月の頭であったかと思われる。
また作中、ロシア人の描写が見られるが、これは勿論、1917年の二月革命から本作品の前年1922年のソヴィエト社会主義共和国連邦の成立によって、亡命を図った人々の群れである。亀之助の作品に社会的現実の中の人物がリアルに登場するのは珍しい。]
*
本篇は恐らく、現時点では最も知られていない、読まれていない尾形亀之助の作品であろう。僕は何か、この文章に他の彼の作品に感じたことがないホッとする、特異ななにものかを感じるのである……
A
私はあなたと月の中に住みたいと思つてゐる。でも、雲の多い日は夕方のうちに街に降りて噴水の沢山ある公園を散歩しよう。
夕飯は何処かのホテルで、肉のものを少しと野菜と丸パン一ツと少し濃いコーヒーとネーブルを、薔薇を飾つた食卓で静かに食べよう。スープはほんの一口すゝつただけにしてフライには手をつけまい。
夜の散歩は露が降るから十分位にして、あなたさへ眠くなければ……少し眠ければ私に寄りかゝつて私の作つたお伽噺をしよう。
そして、ぬるい風呂にかはるがはる入つて私達はちよつと風邪きみのやうな気持になつてゐよう。暗くなつた窓の外を黒い壁と思ひながら、三四日このまゝホテルにゐようといふ話をしたり、こんなときは白い猫が一匹ゐるといゝと話しあつたり、淋しくなつて一緒に列らんで腰をかけたりしよう。
私がテーブルにもたれて首を少しまげて、煙草を右手に持つてゐると……あなたは疲れたやうに恰好を崩して私の煙草の煙がサンデリヤまで昇つては消えてしまふのを見てゐる。――そんな風にして二分間も話がきれてゐる。と、どっちかが「さ、寝よう」と言へば、返事をするかはりに元気よく直ぐ立ちあがつて床に就く仕度にとりかゝるにちがひない。でも、二人ともそんなことを言ふ言葉を惜んでゐる。で、もしもこのときにドアーの鍵の穴から私達の部屋を覗いて見る人があつたなら、私達が今日一日何も話をせずにゐたのではないかと思ふだらう。そして、私が煙草を灰皿に入れてお前のそばへ行く前に、鍵の穴から眼を離して足音を忍んで、私達の部屋の前から行つて仕舞へば、その人は何で私達が喧嘩をしたのかと色々想像してみたりするだらう。そしてその人が色々考へたあげく、も一度覗きに来るかも知れない。私達は夜になつたら鍵穴は香水をうんとふりかけたハンカチか何かでふさぐことにしよう。
B
何故あなたがゆうべ泣いたのか私は知つてゐる。でも、私は何も知らないふりをしてあなたが悲しさうに泣くのを宥めてゐた。もしあなたがあのとき急に顔をあげて私の顔を見たなら、あつ! といふ間に私はにこにこしながらうれしさうにあなたの肩をなでてゐたのを見つけられたでせう。
私はあなたが泣くのを初めて見たのです。
夕飯を食べ過ぎてゐたので、そんなことから妙に悲しくなつてゐるところへ「あなたはいくつだつたかしら」と言つたりしたのがわるかつたのです。それにしても、私がさう言つてから三十分もしてから急に泣き出したので、私はどうしたのかと思つたのでした。
そして、どうかしたのですかと聞くと頭をふる。何処か痛むのですかと聞くと頭をふる。悲しいことがあつたらお話なさいと言ふと頭をふる。ソフアーに腰かけてゐる私の胸のところに顔をあてゝゐるので、あなたが頭をふる度に私もゆれるのでした。だから、私は散歩へ出たいのですか……何か食べたいのですか……ブドウ酒を飲んでみませんか……明日活動へ行きませんか……眠いのですか……、……、……、……、と言つて幾度もあなたに頭をふらした。
あなたを泣かして喜こんでゐるといふと、大変わるいのだけれども、私はあなたを軽く抱へて陶酔してしまつたのです。時間の過つのさへ忘れてゐると、あなたは「私がわるかつたの……」と言つて、ぬれてゐる顔を私の顔へすりつけた。
あなたの泣き方が好き(?)でたまらなかつた。あなたが笑ふのが好きで、つまらないことを言つてはあなたを笑はせてゐたけれども、あなたの泣き方があんなにいゝとは気がつかないでゐたのです。泣くといふことが悲しいことでないなら(言ひ廻しがをかしいけれどもしかたがない)ときどきあなたの泣くのを見たい。
昨日は火曜日であつたから、私達は毎週火曜日の夕飯を食べ過ぎることにしませんか。
今日の月は丸い。雲が一つもない。
C
私は手紙の中へ月を入れてあなたへ贈つたのに、手紙の中に月がなかつたとあなたから知らせがあつた。
あの晩、私が床に就いてどの位過ぎたのか、眼がさめてみるとガラス窓に月の光りがさしてゐたのです。
あんなに曇つてゐたのに何時の間にか晴れて。
D
あまり遅く窓をあけてゐたので、私は風邪をひいてしまつた。尖つた三日月の端が胸に刺つたのです。先月だつたかその前の月だつたか、あなたと夕方散歩へ出てそのまゝRの海岸へ行つた晩も三日月が出てゐましたね。私は今胸の中にゐる風邪を着物の上からそつとおさへてゐます。
あなたが、この前私から月を贈られたお礼だと言つて、今度は私から月を封じこんで贈ります。と、いふ手紙の中には月がどこにも入つてゐなかつた。もうだめだから月を手紙の中へ入れるのはよしませう。
蛙が啼いてゐる。月は屋根の上へ行つてしまつた。風邪をひくといけないから早く窓をおしめなさい。アスピリンを一個封します。
E
望遠鏡を一つ買ふことにしました。
明日天気だつたら一緒に買ひに行つてみませんか。
F
梟が鳴いてゐる。
兵隊がラツパを吹いてゐる。
あなたと別れて来て、まだ三十分しかたたない。
(電報)
カゞミニツキヲウツセ
G
いくら待つてゐても月が出ない…と、いふあなたの手紙を見ていそいでこの手紙を書いてゐます。
*
(文芸第六巻第三号 昭和3(1928)年3月発行)
[やぶちゃん注:Bパートの「時間の過つ」は「過(た)つ」と読ませるのであろう。Fパートの「カゞミ」はママ(カタカナの繰り返し記号なら「ヾ」である)。]
* *
本日までに、復元版『短編集』の校正を終え、過去にブログで公開した部分についても訂正を加えた。万一、僕のブログのカテゴリ「尾形亀之助」や単品での最近の尾形亀之助作品を保存している方は、全て再保存されることを強くお勧めする。 「朝馬鹿」等は、三種類のテクストに置き換え、分量が三倍に増えている。
繁華なる街の裏通、いつもこゝは疎らな人通りしかなく、白らけた木煉瓦の歩道が美しい街路樹で仕切られてゐる。表通を平行に――橋のある堀端につきあたるまでの五丁ほどある両側は大底は事務所といつた構で、その間に三四軒煙草を売る小さな雑貨店と三四軒の自動車屋と、辻車の溜りと、その横に駄菓子屋、その隣りに自転車屋が列らんでゐて、そこから五六軒離れて床屋がある。この床屋が丁度この通りのまん中ごろになつてゐる。たべ物屋はそば屋が一軒あるだけで、あとはPといふ有名なカフエーがあるだけである。表通から二十間ほどしか隔つてゐないが、電車の音は注意しなければ聞えないほどで、昼飯どきなどほんの一瞬であるけれども、人一人通つてゐないことさえあるのであつた。
床屋は二階建の二軒長屋で、二階は暗緑色のペンキで塗られて路に添つて二つの窓がある。
その下の、床屋の店は戸も長押も白く、椅子二台と三面の鏡、洗面所、寄せつけの造りつけの細長いべンチ、帽子掛け、丸テーブル、花瓶、待つている客などはめつたになく、丈の低い四十ほどの親方と十五六の小僧と二人で働らいている。床屋の隣りは間口が床屋の倍もあるが表には入口がない。鉄の格子の中もくもりガラスの戸がある。そして全部が褐色に塗つてある。床屋の店の中をよく見ると四方が壁になつてゐて一間きりのものであるし、反射で暗く見える二階の窓の中にはチエヤーや小綺麗なテーブルがある。床屋が二階を使つてゐるのではたしかにないし、それかと言つて事務所らしくもない窓に白レースのカアテンが降りてゐて、ベコニヤの鉢が置いてある。
この窓が、彼の部屋から街路樹と街路樹の間に見える。床屋のま向ふにSという×国のコンクリート建の商館があつて、その路に面した二階の部屋を借りて彼はこの五月以来(五月に彼は恋を失くした)郊外を引き払つて来て住んでゐる。夜になると、街燈の間が遠いのと表通が明るすぎるのと、それに街路樹がよく茂つてゐるのでこの裏通は暗い。で、この床屋が一番明るく、遠くから店の前の路が電燈に白く照らされてゐるのが見える。
彼が「窓」といふ題を原稿に書いてからそのままにもう三月もたつてゐる。彼は「窓」という主人公のない――強ひて主人公をつくれば、或る一つの窓を主人公にして長篇ものを書くと言つてゐた。
床屋の店先に犬がよくねそべつてゐる。
*
(詩文学第二巻第五号 昭和2(1927)年10月発行)
JRの“NAVITIME”の広告。大雪のホームである。電車が遅れているという電光掲示板の下、人々が待っている。ところが手前の少女は余裕で本を読んでいる。携帯に電車の遅れをメールで一早く伝えてくれるサービスによって事前に知っていたから、というのである……だから、なんだ!――と言いたくなるシチュエーションじゃないか!――電車の遅れを事前に知ったからと言って、何の余裕だ!――少なくとも僕は大雪による電車の遅れを事前に知ってホームで余裕で本を読みたいとは思わないぞ!……いやいや、こんなことを僕は言いたいのではないのである――この広告、もっと深刻な誤謬があるのだ!――画面の左端を見よう――駅のホームだ――勿論、屋根はあるんだ――それを支える柱もあるんだ――と、その下にピラミッドのように△に雪がタンマリ掻き寄せられているのだ!――僕は6年間雪深い富山にいたが「屋根のある駅のホームの内側の柱」にこんな風△に雪が掻き寄せられている様を見たことは、一度もないね!――そうした目で更に見よう――あ! 右側の奥に線路をはさんでもう一つのホームがある!――そこも屋根があるホームだ!――でも! そのホームの同じような柱の根元には……一抹の雪も掻き寄せられていないし積もってもいないじゃないか?!――そうした意地悪な目で更に見上げたその上方の連絡橋の屋根!――実際に空には今雪が舞っているのである。電車が遅延する程に!――ところがその陸橋の屋根の棟を見よ!――雪がない!――あるのは屋根の庇に近い部分だけで棟と棟に近い部分は緑の(この会社のイメージ色である)屋根が悉く露わになっているではないか?!――これは降雪の後、数日して雪が解けた様態であって電車が遅延する程に降雪している最中の屋根の状態では決してない!……さても彼を――この如何にも合成合成した広告を作った雪国の景色を知らないデザイナーを――僕は一日、富山に連れて行ってやりたい気が、した――
大船駅構内に「はーべすとDila大船」という店がある。結構有名な自然食バイキングのチェーン店らしいが入ったことはない。入りたいわけでもない。ただ、毎朝、気になるのである――閉じられたシャッターの絵が――である――そのシャッターにはよく見かける著名な画家のタッチとおぼしい(似ているだけでそうではないのかもしれない)四季の野菜の絵とちょっと洒落た詞書きがあしらわれているのである――が――その右端を見てみよう――筍の絵の脇だ――詞書「はるはいきをい」――僕は毎朝そこに「ほ」と「ひ」を大書した半紙をぺたんと貼り付けたい欲求を抑えることが出来ない――
と
僕は昔から言ってみたかった
坂になった路の土が、砥の粉のやうに乾いてゐる。寂しい山間の町だから、路には石塊も少くない。兩側には古いこけら葺の家が、ひつそりと日光を浴びてゐる。僕等二人の中學生は、その路をせかせか上つて行つた。すると赤ん坊を背負つた少女が一人、濃い影を足もとに落しながら、靜に坂を下つて來た。少女は袖のまくれた手に、莖の長い蕗をかざしてゐる。何の爲めかと思つたら、それは眞夏の日光が、すやすや寢入つた赤ん坊の顏へ、當らぬ爲の蕗であつた。僕等二人はすれ違ふ時に、そつと微笑を交換した。が、少女はそれも知らないやうに、やはり靜に通りすぎた。かすかに頰が日に燒けた、大樣の顏だちの少女である。その顏が未にどうかすると、はつきり記憶に浮ぶ事がある。里見君の所謂一目惚れとは、こんな心もちを云ふのかも知れない。(二月十日)
*
芥川龍之介「點心」より。「點心」は大正11(1932)年2月及び3月発行の『新潮』に掲載されたが、その後半の掉尾を飾るのが本篇である。底本は岩波版旧全集を用いた。
これは、芥川龍之介の、美しい、彼の「忘れ得ぬ人々」である。最後の如何にも芥川龍之介らしい「里見君の所謂一目惚れとは、こんな心もちを云ふのかも知れない。」という売文的虚飾に富んだ作文を除けば――
その夜何故女と別れなけれはならなかつたのか、女が帰つてしまつた後、私は泥酔してしばらく旅へ出ると女に言つたことを思ひ出して泣いた。汽車に乗る頃から又雨が降り出してゐた。黒い大きな花弁の中を運ばれてゐるやうな、このまま自分にはもう汽車を降りる機会がないやうな気がして次第に遠くなる停車場の間を窓から見てゐると、も一度降りてみなければならない急がしい気持になつた。そして東京を七里ほど離れた一時過ぎのま暗な町で動き出してゐる汽車から飛び降りてしまつた。だが次の日の朝、私は雨のやんだその小さな町の停車場から青い顔をして発つた。電柱のわきに太陽が昇りかけて、遠くを飛行機が飛んでゐるのだつた。夜とはちがつて、白らけきつたあたりの様子はもう東京とは少しのつながりもなくなつてゐた。尾の切れた蜻蛉のやうな、明るい昼の汽車の中がずゐぶんながかつた。はねあがつたずぼんのどろが乾いてしまつてゐた。
△△の町に着いて、私が何のためにそこへ来たのか、まるで無関心な人達を見た。改札は私から切符を受け取つたゞけであつた。駅の前の広場でも私を見てゐる人は一人もゐなかつた。私は宿をとつて風呂に入つた。雀が鳴いて、梅のつぼみが咲くばかりにふくらんでゐた。炬燵に足を入れてゐると眼が鉛のやうに重く、窓の湖の青が幽霊のやうに映つた。風呂に浸つてゐても、體がちつともぬれてゐないやうな気がしてならないので頭に水をかけた。山の上の空が紫色になつて日が暮れていつた。
午後風が出て、枯葉のやうに湖が鳴つてゐる。私は歩きたくもない山の下の路を歩いて帰つた。山も空も晴れて、湖は濁つて遠くの方だけが浅黄色の波をたてゝゐた。そして、出かけたときと何の変てつもない部屋の中へ帰つた。――二時を打つ音が聞えたり、宿の子供がピアノで何かやつてゐたり、ピアノが蓄音器に変つたりしてゐるのを聴いてゐると、自分がたわいもない置物のやうなものに思われた。
「昨夜も眠れなかつた。お前が劔のやうな形になつてゐる夢を見て幾度も眼をさました。私はもつとすまして暮らしてゐたのだつた。それなのに、昨日から何も食べてゐない。昨日のやうに山の上が紫色になつて、だんだん山が見えなくなる。客が着いたり、女中が馳けて通つたりして、風が吹いてゐる」
東京を発つ前の日の晩、女が×××へ帰つて来るとすぐ私は裏の暗いところへ呼んだので、あとからついて来た●が女の顔を四つばかりなぐつた。どうしてあんなことをしたのか、酔つてはゐたのだが、裏へ出て女と何を話したのかも覚えてゐない。裏へ出るとき私はころんでコンクリートのたゝきにこめかみを打ちつけた。女が顔を抑へて二階へかけあがつた後、どんなことを言つて●と別れたのか家へ帰つて障子を二枚目茶目茶に毀してしまつた。とうに十二時を過ぎてゐたのに、妻や子供は女中と一緒に何処かへ出て行つて家の中にはゐなくなつてしまつた。
カアテンをしめ忘れてゐるので暗い庭が見える。飯の度に箸の中から辻うらが出る。一人でかうしてゐるとずゐぶん淋しくなる、風がやんで湖が消えてしまつたやうになつてゐる。
一時を過ぎて、大きな声で歌を唄つて四五人の客が私の上の部屋へ入つた。そして、又歌を唄つて風呂に降りて行つた。煙草がなくなつた。雞が鳴いてゐる。私は東京からこゝへ来てゐる。明日は出来ることなら東京でドンが鳴つて、女がそれを聞くちよつきり十二時に床から飛び起きよう。そんなことだつて何んにもならないことはあるまい。
遅くなつてから眠つたのに今朝は又早くから眼がさめてしまつた。
立樹の茂つた墓場の入口を通りかゝると、数百匹の猫が入り乱れて斗つてゐるのであつた。私が立ちどまつて見てゐると、突然一匹の黄色の小猫が私の顔へ飛びかゝつてきたので、はつとして蒲団から手を出しながら眼をさました。今日も亦昼になつた。雀が隣り宿の高い二階の庇に頭を湖に向けて小いさくとまつてゐる。窓に陽がいつぱいにあたつてゐる。私は女の胸ヘピストルを打ちこまうとしてさつきから幾度も引がねを引いた。
湖が光る。囲りの山をどけて東京が見たくなつた。どういふものか、ピアノが聞えてくる度に東京を離れてゐることがはつきりする。夜になると宿の若主人はクラリオネツトの練習を始める。鋏をかりて髯をつんだ。女は心に浮ぶ船なのだ。
日暮と夜と昼とがどんな恰好をして通り過ぎるのか、こんなはつきりしないことを私は考へまいと思つた。日暮も夜も昼もたゞの景色でしかないとすれば、ことさらに何も考へる必要はないのだし、昨日があつて今日があるのだと思つてゐても、それが結局なんのことなのかわからなくなるのであつた。今日は風がなく、庭がごみを散らばしたやうにきたない。近所の山へ登つてみようと思つたが、登らなかつた。
「今朝早くからビールを飲んだ。そして、どうして東京がこんなに遠いのかと思つた。今朝、お前と最初に口をきいた人はお前になんと言つたのだらう。今日も一日風がなかつた。夕方ボートに乗つた。少しづつ日がながくなつた。この町に今日火事が二つあつた」
私は部屋の後ろから出る月を見た。こゝへ来て、夜になると白い月が低く出てゐるのを少しも気がつかなかつた。月はボール紙であつても、切りぬきであつても、舞台の背景の月でもかまはない。女は自身だけしか好いてはゐないのだ。つゝましやかと言つていゝのなら、女のつゝましやかはそれなのだ。湖につき出てゐる公園で柳の若葉を見て、女がそれを好きだと言つたのを思ひ出した。ボートの帰りに遊廓の入口の射的場でタバコを打つた。
又、昼から酒なんかを飲んで、すぐまづくなつてしまつた。こんなことは自分でがつかりするより他はなかつた。こゝは山の中の温泉町なのだけれども、私のゐる部屋の前は湖を埋めたてた石ころばかりの庭なのだ。私は酒の膳を寝そべつてゐる足で押しのけた。陽ざしがカアテンをふくらましてゐた。頭に角が生えかけてゐるやうな気持になつた。
「又お前の夢を見た。お前を訪づねて行くと、二階にゐるといふので階段の処で行つて恥かしくなつてゐると、お前の友達は大きな声でお前を呼んで私の来たのを知らせた。お前は、明日お部屋へお帰りですつてね――と言つた。よく考へてみれば何のことなのかわかりさうな気がした。そこでお前と別れてしまつたのだらう。ちよつと眼をさましたのかも知れないが、気がつくとお前は友達と家へ帰るところであつた。たしかにそのうちの一人はお前なのだが二人とも黒いベールのついた帽子をかぶつたり、黒の靴下に同じやうに黒い靴をはいてゐるので、後ろから見たのではどつちがさうなのかわからないのだ。それなのに、そのうちの一人がその辺のホテルへ帰つてしまふ話がよく聞えたり、あなたも寄つてゆけと言つてゐたりするので、夢の中だつたけれどもひどく気をもんでしまつた。だが、お前がふりかへつて私を見たのでホテルへ帰るのがお前でないことがわかつた。それからお前は私と腕をくんでゐた。私が●にすまないと言ふと、お前はそんなでもないと言ふのだつた。そして、何で眼がさめたのか眼がさめてしまつた」
朝から雨が降つてゐる。十時過ぎに床を出るとま白な空であつた。昨日の晩遅く停車場へ行つて東京へ行く最終の汽車を見た。停車場の時計は張り紙がしてとまつてゐた。巡査が立つてゐた。そして、私の見てゐる前で汽車はホームだけを残して行つてしまつた。
私のゐる部屋に窓が四つある。右端の窓からは湖とその向ふの山が見える。その次のは、隣り宿との境界の生垣と松とせの高い檜葉と山のつゞきとが見える。そして、高い屋根の庇が少しばかりつき出てゐる。三つ目の窓は、屋根と便所から出てゐる煙突と、そこのとこの白い壁と屋根の上の空が見える。四つ目のはいつもカアテンを降ろしてゐる。雨にぬれて雀が鳴いてゐる。突然、昼からクラリオネツトが聞え出した。たまに吹きのばされると、遠くの方で番頭や女中や女将さんが笑ひ出すのが聞える。何んだか、私もつりこまれて可笑しくなるのだつた。
「雨が二三日やまないかも知れない。今日は山が見えない。湖がひどく濁つてゐる。四時がなつてから風呂に行つた。そして、湯をぬるめて頭まで沈んだ。昨日の夢は、私達の歩いてゐる側に夜店が出てゐた。片手で體を浮かしてみたりして風呂を出た。夕方になつて寒くなつた。坐つてゐたので足がしびれた。飽きて、ぬれ手拭をさげて風呂へゆくと手もつけられないやうな熱湯が湯ぶねからあふれて流れてゐるのだつた。もう外は暗くなつてしまつた」
湖が鳴る。湖は水母のやうに生きてゐる。部屋の中は炭火のさける小さな音がしてゐる。雲が桃色になつた。湖も桃色だ。私には夜が暗くつて美しいといふ気持にはなれない。昼も桃色も消えて、自分が部屋の中にゐることだけしか考へられない。湖は音だけで見えなくなつた。山の上だけが山よりも少し明るい。
床に入つても眠れないので、今頃女はどうしてゐるのかと、そんなことばかり思はれてならない。何時までも眠れないと床の中にもぐつて息をつかないでゐたりして、床から顔を出してぐつたりするのだ。手を出して動かしてみたりするのだ。今夜も上の部屋に四五人の客がゐる。天井がみしみしして、サンデリヤがゆれてカラカラ音をたてる。ときどきどしんといふのは何をする音なのか。私は又煙草をみなすつてしまつた。
「明け方●の夢を見た。●がクラブのやうなところで大きな椅子に腰かけてにやにや笑つてゐるのを、私はそのそばにゐて見てゐるのであつた。●は未だこゝにゐるんだ――といふ意味のことを言つた。私は一人でゐるお前のことを思つてゐた。それからどの位ゐ過ぎてからなのか、●と二人でお前が日本髪に結つて一人で編物をしてゐるところへ帰つて行つた。何故か、お前の片々のびんがこはれてもう一方のびんが大きな波うつてゐた。そして、顔が私の妻に似てゐるのだつた。●が何かお前と話してゐるので、私はお前と何も話さなかつた」
夢はいつの間にか野外劇のやうなことになつてゐた。広い川などが流れてゐたりして私はそこを泳いで渡つた。そして、外人街のやうなところで路を迷つてゐると、不意に後ろから刀をぬいた男が追つて来たりするのだつた。
曇つてゐるのが晴れて、山の上が青く部屋の中はどうかしたのではないかと思はれるほど明るくなつた。小石の多い地面が乾いて、窓の下の芭蕉が芽を出してゐた。横になつてゐると寒くなつた。考へることゝいつて何もないといふ気がして、便所に入つてゐると何処か近くで掘抜きを掘つてゐるのが聞えてゐた。熱い茶を飲んで湖のふちまで出て行つた。
今日も朝からぼんやりしてゐた。窓から見える湖に寝ころんでみたくなつた。坐つてゐると、私はいつまでも坐つてゐる。髯を鋏んでゐるうちに曇つてしまつた。時計が三時を打つた。私もどこかに時計を持つてゐるやうな気がした。
夕方は雀がさわがしくなる。そして、私は風呂に入つてみたりするのだつた。よく風呂に入るので、足の裏が手のひらよりも綺麗になつてゐた。足の裏があまり綺麗なので、自分の體が何時の間にかたいへん大きくなつてゐるやうな、何かたわけたことになつてしまつてゐるやうな気がするのだつた。
陽が低くなると湖が一面に光る。坐つてゐるまゝ仰向に寝ると床の間が丁度よい枕になる。窓は空ばかりになる。陽ざしがのびて床の間の壁まで這つた。どう見ても部屋には自分一人しかゐない。それも寝そべつてゐるせゐか頭ばかりでしかないのだつた。さつき廊下の窓の下がにぎやかなので出てみると、小いさな女の子が十四五人も砂を掘つて遊んでゐた。皆んな赤い色の着物を着て、てんでに手を動かしたり頭をふつたり歩いたりしてゐるのだつた。
起きあがると風が出てゐた。遅い昼飯を食ベた。
「雲がかゝつてゐるので早くから日が暮れた。見てゐるときりのない夕暮だ。何を思ひ出したのか、顔をふせてゐると涙が流れてきた。何のことかわからないまゝでしばらく泣いてゐた。昔、太陽の登るのを見て、学校へ行く路で涙がとまらなかつたことがあつた。毎日私は湖を見てゐる。風のない日は一日中湖がお前に似てゐる」
窓が光つてまぶしい。風がないので湖の上をボートがよくすべる。蝶が飛んでゐる。
どうして花見なんかへ行く気になつたのか、私は宿酔で今日は朝から寝てゐた。一日窓に陽があたつてゐた。陽がかげると、電燈がついた。今日はピアノがならない。そして、雨蛙が啼いてゐる。五月になつてこゝでは桜の花が咲く。
私は久しぶりで靴をはいた。そして、汽車に乗つてしまつた。思索をしたのであつたが何のやくにもたゝなかつた。
笹子のトンネルはながかつた。八王子の辺は日が暮れてゐた。電燈のついた停車場は人の影が黒く、弁当などを食べてゐる人もゐた。私はちよつと立ちあがつてみたりした。シグナルやポイントがどうなつてゐやうと、そんなことはどうでもいゝやうに汽車は走る。私にしても、夜になつて外が暗いのだし汽車のゆれるやうに體がゆれてゐるのだから、汽車を怖いとは思つてゐない。棚の網にあげて置いた牛乳が漏つて、横になつてゐる私の襟をぬらしてゐるのさへ知らずにゐたのだつた。
電燈が暗く、汽車の中が夢のやうになると、汽車の少しつつ沈んでゆくやうな音に耳をすまして皆一様に眼を据ゑてゐる。私は何時のまにか頭痛がしてゐた。私は汽車に乗つてゐるけれども急いでゐるのではなかつた。窓をのぞくと自分の顔が映つた。東京の郊外へ入ると、汽車は坂にでもなつてゐるやうに走つた。「新宿」へ着いて電車に乗りかへると一鉢づつ花をもつた老人夫婦が私をはさんで坐つた。
暗い路で自動車を降りると、ポケットの銭がきみのわるい音をたてた。私は帰つて来たのだつた。竹藪の中の路を畑へ出て、家の前へ来て門燈に照らされてゐる庭の赤い躑躅の花を見た。私はせまい玄関で力を入れて靴をぬいだ。部屋にはしばらく見なかつた机や本があつた。
朝の電車なのだらうか、私の頭にかすれた線を引いて走つてゐた。仰向いて寝てゐると足が棒のやうになつてゐる。そして、胸の辺に頭がきて、頭が枕になつてゐる。何処からか燈がさして窓が明るい。蛙がさかんに啼いてゐて、未だ汽車に乗つてゐるやうな眠りかけてゐるやうな気持になつてゐると夜が明けかけた。私はそれからしばらく便所に入つて出ずにゐた。
春から夏になつた。男の妻や子供は田舎の海へ行つてしまつた。自分の他には誰も家の中にゐないことや、明けはなしたガラス窓の外に陽ざしのよい庭があることや、森の中に話声がしたりきまつた時間に豆腐屋が通つたりするのが、ぼんやりしてゐる男を退屈にした。そして、うす暗くなる庭から眼をそらして電燈をつけた。夕方、毎日のやうに前の森へ来て流行歌を唄ふ二人連の一人は、ハーモニカかヴアイオリンを持つて来てもう一人の唄に合せるのだつた。月のよい晩などは「金色夜叉」の声色をかはるがはるにやつては、二人一緒に大変な声で悲鳴をあげたりするのだつた。又或る時には、救世軍が家の前までタンバリンや太鼓をたゝいて来るのであつた。
かなかな蝉が一斉に森で啼くやうになると、雨あがりの夕暮などは蝉の声が澄んで空へ響いた。男は少しつつ街へ出かけるやうになつた。毎日蝉が啼いた。男は古雑誌の中から女に似た口絵を見つけて切りぬいたりした。見てゐるうちに消えてしまふ雲もあつた。
夏の昼は大きな象のやうな動物に似てゐた。床を出て顔を洗つてしまふと、男にはもう何もすることがなかつたりするのだつた。日がながかつた。明るいまゝで日が暮れるのであつた。
隣家の百日紅は赤かつた。昼近い頃が一番赤いのであつた。毎晩のやうに月の出がおそくなつた。そして十二時過ぎて月が出るのであつた。窓にのしかゝつて、鼻をつまらせて、何んといふ暗さだ――といふのが男の夜の感想になつた。夜が更けて、まだ走つてゐる電車には自分の知つてゐる人が乗つてはゐまいと思つたり、どこまで夜が暗いのか棹のやうなものでつきさしてみたいと思つたりした。又、近所で門を閉めたり鍵をおろしたりした後は、何か暗示のやうなものが人間へ覆ひかぶさつてゐるやうな気がするのだつた。不安になつていつでも窓を開けてゐれなくなるのだつたが、そんな誇張した感情はながくはつゞかなく、とうに寝たと思つてゐた隣家に話声がしたりするのだつた。
ながい日が過ぎて行つたやうな、乗つてゐる汽車が停車場に近づいて急に窓の外の景色が重たくなるときのやうな日がつゞいた。そして、秋になつた。朝窓を開けると、手のとどくやうな松にも霧がからんでゐた。男は何かゞすぐ眼の前にあるのに、その名が言へないでゐるやうな気がするのだつた。
その頃になつて、男は思ひ出したやうに又女の夢を見た。妻や子供が田舎から帰つて来ると、男の家は「××ケ谷」の方へ越して行つた。
(文芸月刊第一巻第二号 昭和5(1930)年3月発行)
[やぶちゃん注:傍点「ヽ」は下線に代えた。後半中間部の人物「●」の現れる夢の叙述中の『片々の』は『片方の』の誤植ではなかろうか。本篇は昭和2(1927)年4月の信州上諏訪への傷心旅行(吉行あぐりと思われる女性への一方的な恋慕と失恋)をモデルとしていると思われる(湖は諏訪湖)。従ってこの作中の「妻」は執筆字時の実質的な内縁の妻芳本優ではなく、タケである。旅からの帰宅シーンには潤色があり、ここでは古くからの馴染みの自宅に戻るかのように描かれているが、実際には亀之助の旅行中に家族(タケ・長女泉・長男猟)が新宿区上落合702番地から世田谷太子堂169番地に転居しており、同年4月末、亀之助は上諏訪からこの新しい転居先の太子堂の家に帰還している。また、末尾に記されるのは同年12月の同じ世田谷の山崎1414番地への再転居のことである。]
* * *
この作中時間経過数箇月に及ぶ(最後の場面は春から海水浴の夏へと飛んでいる)きっぱりとした「無声」映画は、如何にも魅力的だ。
つげ風のモノローグ(というより、つげ義春が尾形亀之助的であると言うべきである)――
深夜の無人の駅に降り立つ主人公のシルエット――
女を殴る●、女の胸へピストルのトリガーを引く主人公、黒い女たちの夢、妻のような顔の●――
「去年マリエンバードで」のようなフラッシュ・バック(というより、レネの「去年マリエンバードで」が尾形亀之助的であると言うべきである)――
坐ったまま仰向けになると床の間が枕になり、窓は空ばかりになる――
それは梶井基次郎の主人公に見紛う、旅宿の無言の視線と仕草だ――
亀之助の好きな赤い着物を着た少女たち――
そして飛び乗った汽車――夜――電燈――
「棚の網にあげて置いた牛乳が漏つて、横になつてゐる私の襟をぬらしてゐるのさへ知らずにゐたのだつた。」――
タルコフスキイ!――
何より尾形亀之助と同様、僕はヒグラシが好きで、古雑誌の中から好きな女に似た口絵を見つけて丁寧に切りぬいたりしたこともあり、見てゐるうちに消えてしまふ雲を見ているのが好きだ。――
そうして
最近僕は「何かゞすぐ眼の前にあるのに、その名が言へないでゐるやうな気がするの」である――