北海道の旅 尾形亀之助
夜の汽車の中は、つづけさまに走つてゐるだるい音がこもつてゐる。それは永い間つづいて来てゐるやうなさみしさ――眠つてゐる人達がそんな顔をしてゐる。
汽車の匂ひが眼にまでしみてくる。
退屈なのでそう思ふのか。乗つてゐる人が皆よく見かけた人に似た人ばかりだ。
朝になると、私の前に和尚が座つてゐた。
和尚のゐる方の窓から陽が登りかけてゐる。
何時の間にか汽車が逆に走つてゐる。そう思はれてならない。
太陽が登りきらないうちに曇つてしまつた。
×
八時に青森に着く。
雨あがりの小砂利のぬれた並木路と低い電柱。
停車場の二階の食堂の窓からは地べたに吸ひ付いてゐるやうな街がわづかばかり見える。
船。
船は空へ穴をあけるやうな汽笛で動き初める。
すべるやうに走り出す。沖へ沖へと出る。
黒く濁つた海――。
陸は細いし、とげとげしてゐる。
まつたく平らな風景で私の眼はいつぱいになつてしまつてそれがもり上つてくるやうにさへ見える。
時折雨が降りそうになる。
潮をきつて走るのが忙がしい。
追れてゐる。
一生懸命逃げてゐる。
うす陽がさすと海が飴のやうになる。
私のそばへ出て来て何か食べてばかりゐる男がゐる。こんなとき、そばでカステーラなんか食べてゐられるのは困る。海を見ながら食べつゞけてゐる。
でも、後でその男が啞であつたことがわかつた。啞なら私はいやな顔をしなければよかつた。走つてゐる船のデツキで、啞が私のそばへ来てカステーラを食べてゐる――そんな気もちは私は大変好きだ。
船に若い美しい娘が一人乗つてゐるのを見つけた。後になつてから私のゐる反対の舷に出て来たのを見つけた。
風が出て、海がうすあさぎ色になつた。
私はトランクに腰かけて何時の間か眠つてゐた。
眼がさめるとデツキが乾いてゐた。
腹が空いてゐる。何か大きい怪物に捕ひられてゐるやうな気がする。
息をしてゐるやうに船がゆれる。
×
函館の港は美しい。
奇形な並木。
太い電柱のうしろに雨あがりの港。
黒い船。赤さびの船。
三日も前から降つてゐた雨が今やんだと聞く。
板の上に赤いポストがある。
屋根の上に旗がなびいてゐる。
この街には黒い陽傘がよくにやふ。
窓から下を見てゐると。
窓の下では夫婦の荷車引が坂を登りきつてひと休みするところだ。並木の下のわづかばかりの草むらに腰をおろして、汗になつた夫婦はかはるがはる口づけに水道の水を飲んだ。
白と黒のぶち犬が路のまん中にねてゐる。
赤帽が外人の後から荷物を引て来た。
からすがトタン屋根にとまつた。
二重の虹がでた。
湾から街にまたがつた大きい虹。
街が煙のやうにやはらかになつてゐる。
×
散歩に出てみたがすぐ帰つて来た。
夕暮だ。
青く塗つた教会が見える。
船着場の向ふの赤煉瓦の倉庫に夕陽がいつぱいさしてゐる。
日没――。
月が出て路の水たまりが白く光る。
海の上の黒いものは船。
私は疲れた。ホテルの二階に眠る。
×
五稜廓は――
馬ごやしの花、こすもすの花、葵の花、おいらん草、はい取り草。
十二時。
ぬかるみが乾いた。野菊が一本ひよろひよろのび出てゐて野中の路は晴れてる。
風が吹いてゐる。
鳥が啼いてゐる。
×
又曇つた。
港は。
船、船、船、船船船。
今日も同じやうに黒い陽傘が通る。
ホテルにゐるロシヤ人が昨日の晩女郎を買ひに行つて、二人で一人の料金にまけろと云つてどうしてもきかなかつたそうだ――とホテルのボーイが私に話した。今日は大きい西瓜を二人で一つづゝかゝいて外から帰つて来た。
このホテルにはロシヤの何処かの国の大臣もゐる。小いさい部屋に大勢の家族で泊つてゐるロシヤ人もゐる。細君は寝台に男はその下へ寝てゐるといふ。国を逃れて来た人達でホテルはいつぱいになつてゐる。
食堂などは大変さみしい。パンとスープと自分達で買つて来た西瓜ですませてゐる人が多い。
夕方になると、向ひ側に新築してゐる家の屋根の上にゐた職人が帰つてしまつた。
曇つてゐるので、今夜はま暗だ。
海も何も見えない。
×
朝起ると雨だ。
昼飯を食べに食堂へゆくと、今日もパンと茶と西瓜の連中が部屋の隅に二組ゐるばかりであつた。蓄音器もレコードもちりにまみれてゐた。天井には万国旗とモールがはつてある。
雨がやんでゐたので、大沼公園へ出かけた。
若い宿引がしっこく付いてくる。(狐のやうな顔をして)
ボートに乗つても面白くなかつた。
頰白が啼いてゐた。
つまらなくなつて停車場へ帰ると、一時間も待たなければならなかつた。ベンチにかけてゐると、前のベンチに三人の娘が来て腰をおろした。……右端の娘さん――。
×
函館のホテルへ帰る。
今夜は月が出ない。
夜の汽車に乗つて函館を立つた。
暑い。
洗面所へ顔を洗ひにゆくと、黒塗の立派な箱の中にコツプが入れてあるので、私は半分いたづらな気もあつて口をそゝごうとして箱のふたを引きぬくと、いきなり板つペラがバネにはね飛ばされて出た。
びつくり箱から飛び出したのは紙コツプを押してゐるバネ板だつたけれども、私は始めは汽車に乗つてゐて退屈した人をなぐさめるためにわざとそんな仕掛けをしてゐるのだと思つた。
私のやうに、うつかりガラスのコツプが入つてゐるのだと思つてふたをあければ、びつくりするにちがひない。
×
部屋から海が見えない。
きたない屋根のかさなつたかげに、だらだら山がつゞいてゐる。
女中が感じがいゝので嬉しい。
それに、小樽はまだ梅の実が青い。
アメリカの軍艦が二つも入つてゐるので街はにぎやかだ。
顔をそつて、昼前の汽車に乗つてしまつた。
×
札幌の停車場でパイプを折つた。
日中なのでなかなか暑い。
二里ばかり馬車に乗つて遊びに出かけた。
帰りは月がよかつた。
宿の部屋が玄関のわきだつたので、女中ではなく番頭が来て私の用をした。それで女中は一つぺんも顔を見せない。
×
原つぱに寝そべつて画をかいた。
猫がないて通つた。
変電所の低いうなりが地に響けて聞えて来る。
三人ばかりの子供が野いちごを食べながら私の画の囲りに立つてゐるので、私も探しに行つて取つて来て食べた。
寝ころんでゐる原の景色は実にいい。
×
旅に出てゐる気もちがはつきりして来ると、帰らずにはゐられないやうな気がさかんに起る。
夕食後、私は停車場へ遊びに行つた。
そして、待合室をゆつくりと散歩した後で開札を待つて列んでゐる人達の顔を順々に見まわして、プラツトホームに眼をうつすと、きれいに水をまいたばかりのコンクリートのたたきがいちめん灰色の花になつて咲いてゐた。
(一九二三年の夏)
*
(太平洋詩人第二巻第三号 昭和2(1927)年3月発行)
[やぶちゃん注:本篇は底本の本文ではなく、「補遺」の部分に二段組で所収されている。前回の思潮社版全集(1970年刊)以後に発見された小説である。僕の判断でこの『作品集』に挿入した。それは秋元氏が『短編集』に収められるはずであった『作品は、ロマンチックな雰囲気につつまれ、明るく、才能のひらめきを感じさせる』ものであったと語っている、その幻の『短編集』に、最もマッチする軽快なものを、僕はこの回想紀行的詩篇(底本には題名の下に秋元氏によるものと思われる『(小説)』のクレジットが入っているが、僕はこれを小説と表現するのに強い違和感を感じるので排除した)に感じるからである。
傍点「ヽ」は下線に代えた。第2連「×」よりも後半の「動き初める」、第8連冒頭「私はトランクに腰かけて何時の間か眠つてゐた。」の「間か」と同三行目の「捕ひられてゐる」、第12連冒頭「この街には黒い陽傘がよくにやふ」の「にやふ」、第24連(ホテルのロシヤ人の最初のエピソードの連)の「かゝいて」、第28連(離函小樽行の洗面所の紙コップのエピソードの連)の「口をそゝごう」、最後から4連目の「地に響けて」は全てママである。
なお現在、僕の知る尾形亀之助の年譜の中に、大正12(1923)年に北海道への旅行が記載されているものはないが、例えば底本の年譜を見ると、7月28日~8月3日のマヴォ一回展の運営にこの前後に当たっており、直後の8月28日には二科展落選画歓迎移動展に参加しているが、この後、十月のANTISM展出品までの記載が全くない。このことから、この亀之助の北海道行は同年8月の中旬か、二科展落選画歓迎移動展直後の9月の頭であったかと思われる。
また作中、ロシア人の描写が見られるが、これは勿論、1917年の二月革命から本作品の前年1922年のソヴィエト社会主義共和国連邦の成立によって、亡命を図った人々の群れである。亀之助の作品に社会的現実の中の人物がリアルに登場するのは珍しい。]
*
本篇は恐らく、現時点では最も知られていない、読まれていない尾形亀之助の作品であろう。僕は何か、この文章に他の彼の作品に感じたことがないホッとする、特異ななにものかを感じるのである……
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