電車の中で――喜劇風のシナリオ―― 尾形亀之助
若き詩人
美しき婦人
花を持てる老年の男
――其他。午後三時頃の閑散なる電車の乗客。車掌。(若き詩人の
友人五六人。カフエーの人々)
×
1
走つてゐる電車の内部。
窓の外は明るい昼である。美しき婦人の斜向ひに若き詩人がゐる。詩人から一人分の空席を隔てて、花束を膝の上に置いてゐる老年の男がゐる。
美しき婦人の背後の窓から綿のやうな雪が見える。話をしてゐる乗客は一人もゐない。
2
電車は間もなく駅に停車する。二三人の乗降が静かに行なはれて、又電車は静かに走り出す。(電車が駅に停車をしてもわずかにそれとうかゞはれる程度で、カメラの位置及び状態は1のままである)
詩人は大変幸福さうである。
3
花と美しき婦人と詩人(タイトル)
4
大変幸福さうな詩人の大写。
5
花と老年の男の膝や胸のへんの大写。
6
何も考へてゐないやうな無心な美しき婦人の大写。
(溶暗)
7
すれちがふ電車。さかんに走り過ぎる窓の景色。
ぼんやりゆられてゐる電車の中。
電車は又静かに停車場へ着く。降りる人も乗る人もなく車掌は開けて行つた戸を閉めてゆく。――
そして、又静かに電車は動き初めてゐる。
(カメラの位置は1と同じ、戸口は斜にわずかに見えるだけで、乗客の視線でそれと知ることが出来るだけでよい。)
気をひかれるやうに老年の男の膝の花束を見る詩人。花から美しき婦人へ瞳を移して、そして詩人は自然の位置(態度)にかへる。――ゆつくりしたテンポ。
8
大変幸福さうな詩人の大写。(7からダブル)
詩人が微笑しかけさうになる。と、老年の男の膝の上にあつた花が彼の鼻を擽る。
9
詩人はくすぐつたさうに鼻をこする。
花を持つ老年の男は、顔にとまりにくる蠅をうるささうに追つてゐる。と、その拍子に花が床にころげ落ちる。
一斉に(しかし、そこにゐる乗客の全部ではない)花と老年の男に視線を向ける。瞬間、詩人は当惑した顔をする。美しき婦人と詩人の眼が会ふ。(溶暗)
10
座席から立ちあがる詩人。
戸口の方へ行く詩人を追ふ美しき婦人の瞳。
(そして、ここでカメラは美しき婦人の眼の位置になる。)
電車が止ると、詩人は彼と一緒に降りようとしてゐる花を持つた老年の男に気がつく。
詩人は巧みに花を持つ老年の男を先に電車より降して、ゆつくりとその後につゞく。
11
詩人の背後を走り去る電車。
詩人はちよつとふりかへつて電車を見送る。
12
電車を降りた人々、階段。
歩いてゐる花を持つ老年の男。
(カメラはそれ等の人々を追ひ越して改札口の方へ急ぐ。)
――と、改札を出る詩人は花を持つた老年の男よりも遙に先になつてゐる。
13
終り(タイトル)
14
カフエーに入る詩人。
15
カフエーの中には彼の詩人と全く同じ服装同じ顔をしてゐる彼の友人が五六人ゐて、彼の詩人はその中にまぎれこんでしまふ。そして、誰が彼であつたのかわからなくなつてしまふ。
16
酒を飲む者、詩作をしてゐる者、其他色々――。(ひとゝほりカフエーの中を写した後は、かの詩人のまぎれ込んでゐるか彼の詩人の友人達のみを写してゐること)
17
やがてカメラは、その中で一人だけぼんやりしてゐる男を見つける。彼がそれなのである。
註。13の「終り」(END)といふタイトルをそのまゝ入れて置いて、14から17までを加へるのです。
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(映画往来第三巻第十一号 昭和2(1927)年11月発行)
[やぶちゃん注:底本では副題『――喜劇風のシナリオ――』がポイント落ち。また、本文では、シーン・ナンバーの後、一字空けでト書きが書かれ、ナンバー内で改行された場合は二字下げ、行が二行に亙る場合は、一字下げが用いられているが、ブラウザの関係上、シーン・ナンバーで改行、以下も上記のような通常の表記とした。なお、このためにシーンの記述の独立性が損なわれるのを恐れ、ベタで繋がっている底本を改め、シーン・ナンバー毎に空行を入れた。但し、シーン13の前後の有意の空行は底本にあるものである。なお、全体を通じて、最後の「註」等でも底本の本文の文字は特に変化(ポイント落ち等)していない。7の「初めてゐる」はママ、また16の「かの詩人のまぎれ込んでゐるか彼の詩人の友人達のみを写してゐること」の「か彼の」の「か」は衍字である可能性が高い。]
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正直言って、尾形亀之助の脚本は僕には三つとも面白くない。尾形の詩や散文詩の方が、ずっと映像的なスペクタクルや幻想のモンタージュを感じさせる。
尾形亀之助の幻の『短編集』。明日公開。乞御期待!