B 尾形亀之助
B・私のやうな男
A・言葉
R・若くつて美しい女性
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AはBが退屈しないやうに話の相手をします。
BはRといふ女を見たことも聞いたこともありません。私はBとAの話の中にうまくRを入れてみやうと思つてゐる、つまらないことを私は時々考へるのです。
Bはカフエーでお茶を飲んでゐる。
A「綺麗な人だね」
B「僕もさつきから見てゐるんだ」
A「あまりじろじろ見ない方がいゝよ、出てゆだかれてはつまらなくなるから――、まあ、そつとお茶を飲んでゐやう」
A「あなたはほんとうに綺麗だ」
B「世の中で一番綺麗な人だと僕は思ふ」
R「しかたがないわ、それに自分でも綺麗なことを幸福だと思つてゐるのですもの――、あなた方だつてお綺麗だわ」
A「彼女が帰りかけてゐる」
B「先に出やう――」
R「まあ、私、だつてすぐお愛し申すことは出来ないわ、おこつていらつしやるのかしら」
外へ出ると、Bはすぐカフエーをふりかへつて見ました。そして、無口になりました。
B「この頃ちつとも煙草がうまくないね」
A「…………」
B「おや、さつきの人が電車に乗つた――」
A「…………」
B「たしかに僕達の方をふりかへつて見てゐた、笑つてた」
R「まあ、私が電車に乗るのを御覧なすつたのですつて、そして私が微笑してあなたの方にお別れしたのですつて、私、電車なんかに乗らなかつたわ、Bさん――あなた赤い色の着物さへ着てゐればどなたでもお好きなのでしよ」
B「あなたではなかつたのですか、――私は眼が近いのです。それに眼鏡をかけてゐないのですからごめんなさい」
R「…………」
A「川の方へ散歩に行かふ」
B「寒いからいやだ」
A「…………」
B「ひよつとして、いつかの人が僕達の散歩を遠くで見てゐるかも知れない、行かふ――」
Rはこのとき、Bを遠くから見てゐました。
そして、もしも自分がBと一緒に川べりを歩いてゐれば、Bとすぐ仲よくなりたい気持になれるかも知れないと思ひました。
R「あの方が帰りかけた、街へいらつしやると言つてゐなすつた、それも私に逢へるかも知れないといふので、――、私は街へ行つてあげなければならないわ、私がゐなければきつとあの方は淋しがるわ、そして、私はあの方よりも先に街へ行つてあげやう、遅れて行つて息を切つてゐるところなどをお見せしては大変だわ、まだ愛してゐるときまつてゐないのに」
A「大変な人ごみだ、どうだ逢へるやうな気がするか」
B「……僕にそんなことを聞くよりもあの人に聞いた方がよささうだ――」
R「まあ、あんなことを話しながらいらしつたわ、逢へるかどうか私に聞く方がよささうだなんておつしやつて、私を嬉しがらせるおつもりかしら、困るわ」
A「あのカフエーへ行くか」
B「…………」
R「何故ご返事なさらないのだらう、私がこゝにゐるのがおわかりにならないのかしら、それともおわかりになつてゐなさるからかしら――」
A「そんなにうつむきになつて歩いては見つからないぜ。僕が見つけても教へないよ――」
B「…………」
A「黙りこんでしまつたね、泣いてるんじあないだらう、さあ来たよ、寄つてみないか」
B「寄つたつてゐないんだからつまらない、来なければよかつた」
A「のぞいて見やう」
R「私、お待ちしてゐるのに、お入りにならないのかしら、ドアーを押せばすぐ私をごらんになれるのに――」
A「おい、ネクタイを直して、ぼたんをかけろ、さあ――お待ちかねだ」
B「ほんとか」
R「ネクタイを直して、ぼたんをかけてすましてゐらしつたわ、そんなにおすましになつては私お話なんか出来さうもないわ」
R「あんなに私を見つめていらつしやる、私、後が向けないわ――」
B「私はあなたを愛してゐる、それなのに私は一度もあなたの声を聞いたことがない」
R「…………」
B「あなたの着物は今日もうつくしい」
R「あなたが何か一言おつしやつらなければ困るわ、私、顔が赤くなつてるのかしら――」
B「ね、君、あの人を私のテーブルへ呼んで呉れないか、お茶を一緒に飲みたい」
A「そんなことをしてもいゝのか」
B「君はどう思ふ」
A「もし、あのBがあなたとご一緒にお茶をいたゞきたいと申して居ります」
R「…………」
A「…………うつむいてあそこにBが居ります」
B「こゝのお茶はおいしいですね」
R「私もときどき参りますの、あなたは毎日お出ですか」
B「水曜日と土曜日と――」
R「私は金曜日に参つて居りますの」
B「私も金曜日に来ることにしませう――でも、金曜日にはどなたかお連れがあるのですか」
R「いゝえ、何時も一人ですわ――」
B「今、私はあなたに私よりも好きな人があるかどうかといふことが一番気がかりです、こんなことを思ふのをあなたに笑はれはしまいかと思ふのですけれども」
R「そんなことお聞きになつてはいやですわ、それにあなたが私の■になつてしまふのかどうかわからないのですもの、あなただつてご返事が出来ないと思ふわ」
[やぶちゃん注:この台詞の「■」で表示した部分には、底本では編者によるものと思われる『(1字欠落)』という語が入っている。]
B「いゝえ、出来ます」
R「そんなことおつしやつては困りますわ、そんなことはもつと後のことだと思ふわ、そして、今は唯さう思つてゐればいゝのだと思ふわ」
B「――毎日お逢ひ出来ませうか」
R「毎日こゝでお逢ひするんですの――」
B「こゝでなくつてもいゝんです」
R「そして、私の名なんかお聞きにならない方がいゝわ」
B「暗くなりました」
R「えゝ、今夜はいゝ月ですわ、ちよつとお歩きになりません――」
B「えゝ……」
R「さつきの方は――」
B「Aですか、もう帰りました」
R「いゝ月ですわね」
B「…………」
R「月の中に住みたいわ」
B「…………」
R「まあ、どうなすつたの――」
*
(文芸ビルデング第三巻第四号 昭和4(1929)年4月発行)
[やぶちゃん注:底本では台詞が二行に亙る場合、一字下げになっているが、ブラウザの関係上、無視した。但し、敬体で書かれるト書き相当部分は底本通り、行頭から記載した。第5番目のパートのAとBの台詞に現れる「行かふ」、第8番目のパートのRの台詞の「おつしやつらなければ」はママ。]