《垂翅PC余命連禱》 凧三角、四角、六角、空、硝子 芥川我鬼
《垂翅PC余命連禱》こいつ、なかなか、死なない。主人と同じである――
瀕死のパソコンから「やぶちゃん版芥川龍之介句集五 手帳及びノート・断片・日録・遺漏」にに新全集縦覧による新発見句「凧三角、四角、六角、空、硝子」一句の追加他、「発句」ページへの注記を追加した。
この句と注を是非読んで戴きたいので、以下に転載する。
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凧三角、四角、六角、空、硝子
[やぶちゃん注:芥川龍之介は、大正五(1916)年8月17日から9月2日にかけて、千葉県一宮町の一宮館に久米正雄と滞在した(この滞在は後の芥川の小説「海のほとり」や、その間の8月25日に芥川が出した塚本文へのプロポーズの手紙で知られている)。この時の芥川が漱石に出した手紙は有名なものであるが、1997年刊行の岩波版新全集第十八巻では、その大正五(1916)年8月28日附夏目漱石宛書簡(新全集書簡番号245・旧全集書簡番号223)に対して、関口安義氏が注解で、同じ日に久米が認めた漱石宛書簡の全文を掲げている(昭和女子大学図書館蔵になるもの)。その中に表記の、極めて特異にして魅力的な芥川龍之介の句が出現する。著作権上の問題があるので全文は遠慮し、少し前から最後まで引用する。
此頃の海は至って静かです。静かだと云っても泳ぎのうまくない僕は、時々浪に浚はれて死にさうになります。泳ぎの少しできる芥川は、時々遠くへ出て大川で錬った腕を双手ぬきで示し乍ら、僕らを尻目に見渡すのださうです。併し海で死ぬとすれば、芥川の方がきっと早く死ぬでせう。今死ぬと天才になるから死ねと云っても、彼はなか/\死にません。
立体派の俳句を作るのは僕ではなくて芥です。「凧三角、四角、六角、空、硝子」と云ふのが彼の代表作です。僕のには 秋天や崖より落ちて僧微塵 といふ名句があります。これは決して新しくないが僕としては中々自信があります。
長くなりますから今日はこれで止めます。
追伸。僕らの生活は芥ので尽きてゐますから、此辺で充分だと思ひます。それに此前のは長すぎて先生の処で不足税を取られやしなかったと心配して居る仕末ですから。
久米の茶化しが強い文体ではあるが、ここに嘘はない。この句は、確かな芥川龍之介の句である。]
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平凡な謂いで我ながらまこと情けないが、しかし、文字通り、まさに青春のただ中にいる芥川と久米の姿が髣髴としてくる気がする――そして、この久米の「死」の冗句――彼は図らずも、「芥川龍之介という限られた時間」を、どこかで既に体感していたのではなかったか――
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現在、やぶちゃん版芥川龍之介句集は新全集書簡縦覧に突入している――もう、余り時間がない――
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