《垂翅PC余命連禱》コーリン・ムアーと黒子 尾形亀之助
「コーリン・ムアーとほくろ」と言ふと、コーリン・ムアーの何処に黒子があるのだらうといふことになります。勿論入れぼくろではないのです。黒いといふよりは褐色にちかい色をした直径一分――厚みが半分のすてきに可愛いゝ奴なのです。しかし考へやうによつては、憎いほど幸福さうな奴です。何故と言つて、その黒子はコーリン・ムアーと一緒に生れて一緒に暮してゐるのだし、例へ彼女が死んだとしても彼女から離れないのだし綺麗な一つの墓になつてしまふのにきまつてゐるのです。こんなことを考へると、私は当然黒子がうらやましいし憎い奴だと思はずにはゐれなくなる。
――と、私はその黒子がコーリン・ムアーの何処についてゐるかを読者に知らさなければならないが、私は最後にそれを言ひたいと思つてゐる。今ここで言つてしまつては何んだつまらないと思はれさうな気がするしそんなことで読むのをやめてしまふ人があつたりしては、私がかねがね研究してやつとまとめたこの話が結局何にもならないことになつてしまふだらう。さうなつては、コーリン・ムア一にも大変すまないし私もみじめなものになつてしまはなければならない。だが、私はこんな心配をしながらも早く読者に黒子のありかを知らせたくつてしようがない。
そして、又困ることにはいざ黒子のありかを読者に知らせることになると、黒子のある場所が場所だけに私はそんなことを読者に知らしてもいゝのだらうか――と、ちよつとはコーリン・ムアーの身にもなつて考へなければならない。つまらないことを言つてしまつて、コーリン・ムア一にいやな顔をされては悲観してしまふ。
注意深くコーリン・ムアーの顔を見れば、何処に黒子があるのかわかるのだけれども、顔に黒子があるのではないのだから顔のどこを探してもないのにきまつてゐる。何処にあるか顔を見ればわかる……のです。あゝ、妙なところにあるので私は少し言ひにくい。
オ…へ…ソ……ノ…ミ…ギ…ウ…ヘ……にあるのです。と、私がこんなことを言つて誰かほんとにする人があるだらうか。――私は誰もほん気にする人がゐない方がいゝと思ふ。こんなつまらないことを言つて、もしコーリン・ムアーに「あなたはひどい人だ」と言はれるやうなことがあつても、「でたらめだと思つてゐるから、誰れもほんとにしてはゐません」といくらか彼女の心を慰めることが出来るし、コーリン・ムアーの好きな人達に叱られても誰れもほんとうにさへしてゐなければ「あれはうそだ」と言つても誰れにも迷惑をかけずにすむから!
例へコーリン・ムアーのお臍のところに黒子があるといふ……私の話がうそであつても、私達のコーリン・ムアーとして何のさしつかえもないし又彼女がスクリンの中で踊りを踊つたりするのに是非なくては困るといふわけでもない。
兎に角、うそならうそでいゝといふことにして話をつゞけても(もう――こゝまで話して来てゐればうそかうそでないかといふことは重大なことではなくなつてゐる)私はこの話をつづけるのにちつとも困らないしむしろ気楽にこの後をつゞけてゆけるだらうと思ふのです。勿論私はコーリン・ムアーの悪口を言ふつもりでこんなことを読者に言ひふらさうとするのではない。私にしてはすばらしい愛嬌ものとして「黒子」といふことになつたのです。黒子――黒子……しかし、どうしたわけで私はこんなことに興味をもつてしまつたのだらう。お臍のところに黒子があるといふやうなコーリン・ムアーの顔を見てゐるとそんな気がするといふやうなことを――。確かにあるのを見たわけでもないのに。こんなことを話してしまつて、もしわるかつたら私は困つたことを言つてしまつたものだ。
「コーリン・ムアーと黒子」実に妙なことが私の頭の中に入つてしまつた。何か悲しくつてコーリン・ムアーがめそく泣いてゐるやうな場面でも、彼女が地に墜ちてべそをかいてほえ出るときも、今では私は黒子のことが何よりも先に頭に浮かんできてしまふ。
私はコーリン・ムアーが黒子を彼女の頰に植ゑかへてゐる夢を見て声を出してしまつたことがある。――彼女がお臍のとこから取つた黒子を頰に植ゑやうとしてゐるのを見てゐると、いつの間にか黒子が一匹のちひさい鼠になつてゐるのであつた。おゝどんなに私とコーリン・ムアーが逃げて、あのスクリンに出て来る並木の路を馳せたことか! そして、眼がさめるとき誰かの笑ふ声を聞いた。私は、コーリン・ムアーの笑ひ声のやうな気がした。が、そんなことまで言つては読者に笑はれさうな気がする。
私はこんなことも考へた。
コーリン・ムアーのあの黒子の価がいくらぐらゐするだらうか――と。なか/\売るやうなことはあるまいが――私が毎月いくらかづゝ貯金したつてお話にはならないけれども、もし売るといふやうな事を耳にしたら私も小さい財布を握つて堂々と買手の一人にならなけれはならないと思つてゐる。
そして、もしも私のものになつたら…………どうだらう。
私はパイプの飾りにしようと思ふ。だが、煙草の煙で色の変るやうなことはあるまいが私は今年になつてから三つもパイプを落したりなくしたりしてゐる。パイプに飾つて一緒に落したりなくなしたりしてしまつては、私は一生そのことを悔なければならない。指輪ではどうだらう。それも危険でないわけではない。石がとれて、気がついたときは輪だけになつてゐたといふ話を私は幾度も聞いてゐる。
私は三面鏡を買つてその黒子を三つにふやしてみたりして遊びたいが、うつかりして盗まれてしまつてはそれこそ大変だ。だから、私は黒子をそつと何処かの地べたに深く埋づめてかくさう。――黒子を埋づめた次の日に黒子の木が生えるといふやうなことは、あまり私の思ひつきが妙だらうか。そして、銀色の花が咲いて黒子の実がいつぱいになつたといふやうなことは――。
しかし、私はそれで終ひになるのではない。私は黒子の実の未だ青いうちから数をしらべて、盗まれるやうなことのないやうに番小屋を建てたり、番人には用心のために短銃位は持たせやう。そして、黒く熟すまでにはどんな病気によくきくかといふことやフランスやアメリカの美容院と取引をする準備をしなければならない。
お臍のところに黒子を入れるといふ流行が何時頃東京に入つて来るかわからないけれども、その頃は私の黒子の木も「黒子園」といふやうな立派なものになつて、温室の中にも幾本か植ゑて季節以外には不足のしないやうになつてゐるだらう。型や大きさなども十分皆さんの満足するやうになつてゐるだらう。
そして――ニセモノ続出。「コーリン・ムアーと黒子」の商標に御注意あれ。
――といふ広告を雑誌や新聞に見かけることになるでせう。
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(若草第三巻第四号 昭和2(1927)年4月発行)
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この一篇、楽しいね――
残すところの尾形亀之助の評論は十数篇――僕の「尾形亀之助拾遺」の完成もそう遠くない――
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