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2009/03/31

無門關 十八 洞山三斤

  十八 洞山三斤

洞山和尚、因僧問、如何是佛。山云、麻三斤。

無門曰、洞山老人、參得些蚌蛤禪、纔開兩片露出肝腸。然雖如是、且道、向甚處見洞山。

頌曰

突出麻三斤
言親意更親
來説是非者
便是是非人

淵藪野狐禪師書き下し文:

  十八 洞山の三斤(さんぎん)

 洞山和尚、因みに僧問ふ、
「如何か是れ佛。」と。
山云ふ、
「麻(ま)三斤。」

 無門曰く、
「洞山老人、些(いささ)か蚌蛤(ばうかふ)禪に參得し、纔(わづ)かに兩片を開き、肝腸露はに出だす。是くの如ごと然ると雖も、且(しばら)く道(い)へ、『甚(いか)なる處に向ひてか洞山を見ん。』。」と。

 頌して曰く、

突出す 麻三斤
言 親にして 意 更に親なり
來つて是非を説く者
便ち是れ是非の人

淵藪野狐禪師訳:

 洞山和尚は、機縁の中で、ある僧から問われた。
「仏とは如何なるものですか。」
と。
洞山、言う。
「僧衣一着麻(あさ)三斤。」

 無門、商量して言う。
「ヨイヨイ洞山老いぼれた。野狐禅飽いたと思うたら、ドブガイ禅をチト齧る。チビっと口を開(あ)くだけで、生の肝胆(かんたん)デロリ丸出し。さればこそ、こげな始末とあいなった、あ、あいなった、あん? あいなったと雖も、さればこそ! 己(おのれ)ら! 暫く言うてみよ!――一体、この中の、何処で、お前は洞山の、露わなキモを、真っ向、見据えたか!――さあ! さ! さぁ、言うみよ!」

 次いで囃して歌う。

ぶっとんでるゼ! 「麻(ま)三斤(さんぎん)」!
誰でも分かる! 「麻三斤」! 心にやさしい! 「麻三斤」!
鵜の目鷹の目 寄って来ちゃ ああだこうだと云う奴は
悟りの「さ」の字も舐められぬ 呼んで嘲して『是非の人』!

部屋の中 尾形亀之助

 雨が降つてゐる。雞が啼いてゐる。

    ×

 何時の間にか雨が止んでゐる。私は机の前に座つてゐる。朝、床の中で新聞を読んだ他何もしてゐない。氷のやうなものが食べたい。

    ×

 淋みしい「人生興奮」。

 ながいことかゝつて火鉢に炭をついでゐた。
 僕は何か喜びにあひたい。このまゝ日が暮れてしまつては、口ひとつきくことが出来ない。

    ×

 僕はいつものやうに寝床に入つてゐる。そして、電燈を消さうか消すまいかと思案してゐる。もう床へ入つてから二時間はたつてゐる。

    ×

 月のない夜は暗い。窓に何処かの門燈がうすく映つてゐる。
 ま夜中よ
 このま暗な部屋に眼をさましてゐて
 蒲団の中で動かしてゐる足が私の何なのかがわからない。

    ×

 この頃僕は日記をつける気にはなれない。たのまれて書いてゐるのだ。僕はこの頃きせるで煙草をのんでゐる。時々詩を書いてゐる。
「この頃我が胸に燃え上つたものはみな、すべて再び我が胸の深みに沈んで行け……」といふツルゲエネフの「ファウスト」の終りにある言葉を思ひ出してゐる。
(一九二八年一月×日)
(現代文芸第五巻第二号 昭和3(1928)年3月発行)

[やぶちゃん注:傍点「ヽ」は下線に代えた。]

悔しいことに、このツルゲーネフの「ファウスト」は読んだことがない。読みたい。

片山廣子短歌抄 《やぶちゃん蒐集補注版》 18首追加

片山廣子短歌抄 《やぶちゃん蒐集補注版》に18首を追加、その前の追加2首と合わせて計150首となった。今回はすべて『翡翠』からの引用であるので、今回分かった冒頭の第一首を先頭に移動した後に18首を追加してある。この18首はどれも印象的な鋭い詩想に富んでいる。彼女の短歌がいいね、と言った貴女に捧げよう。

2009/03/30

義母へ

くちづけをして桜のやまを下(くだ)りけり

その日も――アルツハイマ-の母に

あの人に逢ったが

少しだけ淋しい気がした

水滴が苔の上に滴ると

恋路ヶ浜の僕の妻の美しい少女の姿に二重写しになった

流れ着いた魂は

鷹に喰われよ

僕はもう一度

砂地から這い出でる――

――だ――

人生は如何にも可憐に猥雑で素敵に愚劣である 少なくとも僕にとっては――だ――

2009/03/27

無門關 二十二 迦葉刹竿

  二十二 迦葉刹竿

迦葉、因阿難問云、世尊傳金襴袈裟外、別傳何物。葉喚云、阿難。難、應諾。葉云、倒却門前刹竿著。

無門曰、若向者裏下得一轉語親切、便見靈山一會儼然未散。其或未然、毘婆尸佛、早留心、直至而今不得妙。

頌曰

問處何如答處親
幾人於此眼生筋
兄呼弟應揚家醜
不屬陰陽別是春

淵藪野狐禪師書き下し文:

  二十二 迦葉(かせふ)の刹竿(せつかん)

 迦葉、因みに阿難、問ふて云く、
「世尊、金襴の袈裟を傳ふるの外、別に何物をか傳ふや。」と。
葉、喚びて云く、
「阿難。」
難、應諾す。
葉、云ふ。
「門前の刹竿、倒却著(たうきやくぢやく)せよ。」

無門曰く、
「若し者裏(しやり)に向ひて一轉語を下し得て親切ならば、便ち、靈山一會、儼然(げんぜん)として未だ散せざるを見ん。其れ、或ひは未だ然らずんば、毘婆尸佛(びばしぶつ)、早く心を留むるも、直(た)だ、而-今(いま)に至るまで妙を得ず。」と。

頌に曰く、

問處(もんしよ)は答處(たつしよ)に親しきに何如
幾人か此に於いて眼に筋を生ず
兄(けい)呼べば弟(てい)應じて家醜を揚ぐ
陰陽に屬せず別に是れ春

淵藪野狐禪師訳:

  二十二 迦葉の旗竿

 迦葉は、機縁の中で、阿難に問われた。

「御釈迦様は金襴の袈裟以外、他に何をあなた様にお伝え下すったのですか?」

すると迦葉は、

「阿難。」

と、お声をかけられた。阿難は、すかさず

「はい。」

と答えた。

迦葉尊者は言う。

「門前にある説法の旗竿、あれはもう、降ろしておくれ。」

 無門、商量して言う。
「もしも二人のこの話、この理(ことわり)に、ざっくりと、迷悟一転言い得て妙の、一句ものして美事ならば、一期一会の霊鷲(りょうしゅう)山、かの有り難き釈迦説法、その肉声も朗々と、未だお開きの気配なし。――されどそれ、片言双句の一言(ひとこと)も、吐くに及ばず候へば、釈迦に先立つ過去七仏、その第一の毘婆尸佛、その遙か昔の大昔、とっくのとうに心定め、ずうーっと修行をなされしが、ただただ只今に至るまで、一度もピンとくることなし、という体たらく。」

 次いで囃して歌う。

問題と解答。この二つには、実は本来、二分法は使えぬぞ。されば、それはどのようなものか?
無数の挑戦者が、この地点で眼球を筋肉に変性させて苦悩した事実がある。
――因みに、ここで先達迦葉が「阿難。」と呼んだこと、それに弟子阿難が「はい。」と答えたこと、これらは確かに禅家にとって美事に醜陋な恥そのものである。――
されば、他愛ない物化に過ぎぬ陰と陽、その相対認識から脱却したところに、この世界とは全く別個の『永遠に春である世界』が、確かに存在するのである。

×  ×  ×

これよりアルツハイマーに心筋梗塞を抱えた義母の見舞のため、名古屋へと参ればこそ、暫く、御機嫌よう。

2009/03/26

魂の窓―永遠の電流体―不可見―詩の病気―肉体の悩気……

象徴は魂の窓である。

最良の詩人は永遠の洞察者である。永遠の電流体である。

不可見の世界を離れて象徴なし。

言葉は詩の病気なり。言葉を失へよ。

肉体の悩気とは何ぞや。永遠が付与する生命なり。美の本質なり。

(三木露風『白き手の猟人』「冬夜手記」より気ままに抜粋)

2009/03/25

静岡県知事を辞める石川嘉延へ 井上英作

石川嘉延に物申

貴様は、静岡県民の意思に反して静岡空港建設を推し進め、 今は、農民から無理やり、権力を使って土地を取り上げ、 又、反対する多くの支援者をも無視して、力ずくで排除し、 何の必要も無い、永久に税金を無駄遣いする空港を、 嘘八百を並べ立てて、さも役に立つ空港であるかのように偽装し、県民を騙し、 犯罪者となんら変わらないゼネコンを使い、癒着し、県民に百年の禍根を残すその所業は赦しがたい。 よって、我が命を捨ててその悪行を糾弾する。
今、地球は危機的な状況にあり、このような環境破壊に金を使うべきではなく、 間近に迫っている温暖化への対策に金を使うべきなのだ。

   2007年2月6日   地球市民 井上英作

   ×××

知事の椅子など屁でもねえ

お前を糾弾するために火達磨になって逝ったいのさんのことを思い出せ

俺も永久に忘れないが お前も 永遠に忘れるな

その記憶 地獄の底まで持って行け

いのさんが三途の川で舟で(飛行機じゃあねえよ)待ってるぜ

俺もそのうち加勢に参る

堅糞の策杖持ってな――

無門關 二十一 雲門屎橛

  二十一 雲門屎橛

雲門、因僧問、如何是佛。
門云、乾屎橛。
無門曰、雲門可謂、家貧難辨素食、事忙不及草書。
動便將屎橛來、撐門挂戸。
佛法興衰可見。
頌曰
閃電光
撃石化
貶得眼
巳蹉過

淵藪野狐禪師書き下し文:

  二十一 雲門の屎橛(しけつ)

 雲門、因みに僧、問ふ。
「如何ぞ是れ佛(ほとけ)。」と。
門云ふ。
「乾屎橛(かんしけつ)。」

 無門曰く、
「雲門謂ひつべう、家、貧にして、素食(そじき)さへ辨じ難く、事(じ)、忙にして、草書するに及ばず。動(やや)もすれば便ち、屎橛將(も)ち來つて、門を撐(ささ)へ、戸を挂(ささ)ふ。佛法の興衰、見るべし。」と。

 頌に曰く、

閃電光
撃石化
眼を貶得(さふとく)せば
巳に蹉過(さか)たり

淵藪野狐禪師訳:

  二十一 雲門のカチ糞

 雲門文偃(ぶんえん)は、機縁の中で、ある僧から問われた。
「仏とは如何なるものですか。」
 雲門、言う。
「乾いたカチ糞の棒。」

 無門、商量して言う。
「雲門文偃ちゅう奴は、家は貧しく、菜飯(なめし)さえ、味わうことも出来なんだ。年がら年中、他事多忙、小洒落た消息(たより)の一筆も、ものす暇さえあらなんだ。ともすりゃ、じきにカチ糞の、長~い奴を持って来ちゃ、門や戸ぼそへつっ支(か)い棒。仏法の興廃、この一線に有り! 見るべし、堅糞(けんぷん)の一策杖!」

 次いで囃して歌う。

ピカッ! と 一閃 稲光り
ガキッ! と 一撃 火打石
瞬きなんぞ した日には
気づいた頃にゃ 大誤算

2009/03/24

無門關 四十一 達磨安心

愛読書「無門關」を、無秩序に僕の野狐禪訳で読むことにする。「無門關」は宋代の僧無門慧開(1183~1260)が編んだ公案集であるが、その商量(公案の分析と考察)がぶっ飛んでいることで有名である。
それを野狐禪訳しようというのだから、触れるな危険、危険がアブナイというもんだ。

なお、原文は1994年岩波文庫に志村恵信訳注「無門関」を用いた。注は僕の能力の限界を超えるので、訳の中で意味が通るように努めたが、当該の志村注を読まれることをお薦めする。勿論、僕の訳には同氏の訳注も一部参考にさせて戴いたが、僕の訳は自在勝手の野狐禪、志村恵信氏の「無門関」名訳を座右にせずんばあらず。

さても、淵藪野狐禪師の序を附す。

淵藪野狐禪師云、入無門、作麼生、外耶裏耶。

淵藪(えんそう)野狐(やこ)禪師云く、
「無門に入る、作麼生(そもさん)、外か裏か。」と。

淵藪野狐禪師が言う、
「門の無い門に入る、その入った先は、外か中か?」と。

     四十一 達磨安心

達磨面壁。二祖立雪。斷臂云、弟子心未安、乞師安心。磨云、將心來爲汝安。祖云、覓心了不可得。磨云、爲汝安心竟。

無門曰、鈌齒老胡、十万里航海特特而來。可謂是無風起浪。末後接得一箇門人、又却六根不具。咦、謝三郎不識四字。

頌曰、

西來直指
事因囑起
撓聒叢林
元來是你

淵藪野狐禪師書き下し文:

     四十一 達磨の安心(あんじん)

 達磨、面壁す。二祖、雪に立つ。斷臂(だんぴ)して云く、
「弟子、心、未だ安んぜず、乞う、師、安心せしめよ。」と。
磨云く、
「心を將(も)ち來れ、汝の爲に安(やす)んぜん。」と。
祖云く、
「心を覓(もと)むるも了(つひ)に得べからず。」と。
磨云く、
「汝の爲に、安心、竟(をは)んぬ。」と。

 無門曰く、
「鈌齒(けつし)の老胡、十万里の航海、特特として來(きた)る。是れ、風無くして浪起こすと謂ひつべし。末後にして一箇の門人を接得するも、又、却(かへ)りて六根不具。咦(いい)、謝三郎、四字さへ識らず。」と。

 頌(じゆ)に曰く、

西來の直指(ぢきし)
事は囑(しよく)するに因りて起く
叢林を撓聒(ねうかつ)するは
元來是れ你(なんぢ)

淵藪野狐禪師訳:

     四十一 達磨の安心

 達磨が、嵩山(すうざん)の少林寺で九年、面壁していた。弟子入りを求めながら得られない神光(慧可=後の二祖)は、雪中に立ち竦んでいた。が、意を決して自らの左腕を肘から先、すっぱりと切り落として面壁する達磨に献じて言った。
「私め、実はかくしても未だに心が不安に満ちて居ります。どうか、師よ、私に安心をお与え下され。」
達磨が言う。
「お前の心をここに持って来い。さすればお前のために安心させてやる。」
神光が答えて言う。
「いえ、私めは、ずっとその『心』を求めて参ったのですが、遂にその『心』を摑むことが出来ませなんだ。」
達磨が言う。
「お前のために、私はもうとっくの昔に『安心』した。」

 無門、商量して言う。
「歯抜け南蛮達磨爺い、船ではろばろ十万里、わざわざこっちへ来たもんだ。さてもこいつは、有難迷惑、風もねえのに波立てる奴、と言うが如何にもぴったりだ。棺桶片脚突っ込んで、やっとこ、とぼけた弟子一人、出来たそいつも、唐変木、片腕どころか、目も鼻も、耳口舌も肉もなし。序でに最後にゃ思慮もねえ。神光の糞坊主、いやサア、謝三郎! 錢に書かれた四つの文字、それせえ読めねえたぁ~、聞いてあきれるぜェ~。」

 次いで囃して歌う。

にしからきたきた だるまさん ずばりとゆびさす だるまさん
そのだるまさんにたよるから だるまさんころんだ だるまさんころんだ
うぞうむぞうの くそぼうず うえへしたへのおおさわぎ
もとはといやぁ だるまさん みんな あんたがわるいのよ

2009/03/23

さりながら

さりながら受かるは全て貴女の力なり――

僕が全身全霊キモ丸投げデュシャン遺稿のアノ画面職員室丸出しで指導した女生徒が美事! 志望校に合格した――

今年度、最後の僕のエクスタシーだった――

心から言いたい――

「合格、おめでとう!」

片山廣子短歌抄 《やぶちゃん蒐集130首補注版》

片山廣子短歌抄 《やぶちゃん蒐集130首補注版》を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。

これが用意してあると言ったテクストだ。ちょいとウェブ上にはないと思う。

因みに――この彼女の晩年の林檎の歌群を読む時、僕は芥川龍之介の「詩集」を思い出さずにはおられない――これはただの僕の勝手な空想だろうか?――

2009/03/19

明朝北へ向かう 青函トンネルを始めて潜る

この愚劣な日常をエクソダス

月曜日にまた 生きてあらば

オリジナルなテクストは もう準備してある

では 随分御機嫌よう

2009/03/18

小幡宗左衛門 定より出てふたゝび世に交はりし事 附やぶちゃん訳注

小幡宗左衛門「定より出てふたゝび世に交はりし事」附やぶちゃん訳注を、正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。

2009/03/17

南方熊楠 奇異の神罰 附やぶちゃん強力注

南方熊楠「奇異の神罰」を強力な注を附して「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。今回の注は半端じゃない。但し、内容が内容だけに自己責任でお読み戴きたい、とここでも再度、断っておく。

それにしても――僕は上代が苦手なのだが、何だか訳しているうちに、やっぱり上代はよく言われるように、直くたくましく、あっけらかんとしていいもんだなあ、と思うようになった(今更、遅すぎるが)――

それにしても――今朝は3時半に目覚めてしまった。若い頃は低血圧(今も血圧は低いが)と二日酔(これも変わらぬが)で、如何にも寝覚めが悪かったのに。早起きに如何にも「老い」を感じるのである(さりながら、昔から『若くありたい』とは一度も思ったことはないのだが)――

それにしても――厳密に言えば『若くありたい』とは思わなかったものの、歳相応に見られたいとは思ったものだ。何せ、二十歳になる前に、知人に連れられて行った青山の高級バーで、ホステスに34、5と呼ばれて以来、44の時に担任した教え子たちと飲んで、先生はもう54、5になられますか、と言われるまで、無敵の老態を誇って来た。この「54、5事件」で一念発起し、歳相応に見られたい症候群を発症した結果、最も容易な方途として、今に至るまで、髪を染め続けている。実際にはもうかなり白い。幸い、髪は多過ぎるほどあるので、どうも最近は歳不相応攻撃は受けなくなった(何のことはない、魂の現存在年齢と実年齢と肉体の実年齢が漸く一致し出したに過ぎないのであるが)――

2009/03/15

ハマった南方先生

昨夜からずっと久々の南方熊楠のテクスト作業にハマっている。このテクスト、文字通り、「ハマって」いるが相応しいのであるが……。本文は短いのだが、今の時点で注が有にその三倍を軽く越えてしまった。「日本書紀」の原文に当たりたいが、自宅にはないので、明日、職場の図書館まで持ち越しである。が、明晩には公開したい。久しぶりに注を打ちつつ、また現代語訳をしながら、如何にも楽しくなってきたのだった。作品名? それはヒ、ミ、ツ! 乞う、御期待!

2009/03/14

飲酒 尾形亀之助

私は酔つぱらつてどぶへ墜ちて頭をひどく打つた。肘や足をすりむいて着物は肩のへんから泥だらけになつた。曇つてはゐたが三日月の出てゐる夜だつた。
こんな態を飲酒家の中に馬鹿げたことだと思ふ人は一人もゐまいと思ふ。この仲間には自慢にさへなるかも知れない。

(〈亜〉26号 大正15(1926)年12月発行)

[やぶちゃん注:二連ともに冒頭一字空けはない。]

* *

《塀の上の僕である黒猫のモノローグ:翻訳》

勘違いしないでおくれよ……(ニャーゴ グルゥゥゥゥゥ……)

これは尾形亀之助の詩であって……(ネーゴ ノワゥゥゥゥゥゥ……)

僕の日記じゃあ、ないよ!……(ワルルルルゥ! ギャン! グォロロ……)

僕はドブには、墜ちない……(ヌヮールルルル ギィ……)

墜ちるときは、墓穴の中さ……(ギィ ヴゥウウグゥゥゥゥ……)

芥川龍之介 シング紹介 附未定稿二種

幻の芥川龍之介の評論「シング紹介」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。

これを公開しようと思って長い時間がかかったな――松村みね子訳シング「聖者の泉」とやっと一緒に出来たな――僕はそんな恋人達のメッセンジャー・ボーイで、よかったんだよ――

やぶちゃん版芥川龍之介全句集 新全集全縦覧による改訂完了

岩波新全集最終巻第二十四巻縦覧により、新発見句5句を含む連句等を、柱「2008年12月刊行の岩波版新全集第二十四巻〔第二次版〕に現れたる俳句(書簡を除く)」で追加。その他にも注を追加した。また、同書補遺の書簡から新発見句3句他を追加し、これをもって新全集縦覧による改訂を全て終了した。現在只今、私のこの「やぶちゃん版芥川龍之介全句集」は、如何なる著作、如何なるウェブ・ページよりも最多の芥川龍之介の俳句を公開しているという自負がある。

一昨日の謂いを、すっきりともう一度言おう。

僕は今、芥川龍之介の、現在知り得るところの全句に遭遇している実感がある。

勿論、それは必竟、僕の哀しいマスターベーションでしかなく、いずれまた誰かによって容易に越えられるには違いあるまい。

しかし乍ら、僕は今、あの芥川龍之介のそばに、僕の愛してやまぬ彼のそばに、僕一人だけで近侍させて貰っている、痺れるような喜びを味わっていることもまた、事実なのである。

芥川龍之介は「侏儒の言葉」の最後「民衆」に、こう記している――

「わたしは勿論失敗だつた。が、わたしを造り出したものは必ず又誰かを作り出すであらう。一本の木の枯れることは極めて區々たる問題に過ぎない。無數の種子を宿してゐる、大きい地面が存在する限りは。」 

2009/03/13

「藪の中」殺人事件を推理する 教え子R.H.生による

 『高校生による「藪の中」殺人事件の一推理~「藪の中」殺人事件を推理する R.H.生(copyright 2009 Yabtyan-osiego)』「やぶちゃんのオリジナル授業ノート『「藪の中」殺人事件公判記録』」に別リンクで公開。僕の教え子の驚天動地の推理力をお楽しみあれ!

本人の公開許諾は既に受領済みである。

2009/03/12

黒猫

僕は前世で黒猫だったんだが

お釈迦様の気紛れでこんな人間にされてしまった

その結果 僕は

云ひやうのない疲勞と倦怠とを

さうして又不可解な、下等な、退屈な人生を

生きる仕儀とはなった

だから

僕は後世でまた

黒猫に戻ることにした

だから 今は時々

少女の夢の中に

元の姿になる練習がてら

紛れ込むのを楽しみにしているらしい――

やぶちゃん版芥川龍之介全句集 書簡俳句 改訂終了

岩波新全集の縦覧により、「やぶちゃん版芥川龍之介句集四 続 書簡俳句 附辞世」に新発見句3句を掲載、十数箇所の注の追加を行った。

これをもって「やぶちゃん版芥川龍之介全句集」書簡俳句部分の新全集書簡Ⅰ~Ⅳ縦覧による全面改訂を全て終了した。

僕は今、芥川龍之介の、現在知り得るところの全句に遭遇している実感がある。

この世に今現在、僕のページを超える「芥川龍之介全句集」は存在しないという自信はある。

それがまた、僕の哀しい自慰行為でしかなく、いずれまた誰かによって容易に越えられるであろうことも事実ではある。

しかし、僕は今、俳人芥川龍之介という、否、あの芥川龍之介という僕の愛する彼のそばに、僕一人だけで近侍しているという痺れる様な贅沢な喜びを味わっていることも事実なのである。

今日、僕はまたしても命拾いをした。

その、僕が僕に与える褒美――それが、これであった――

【2009年3月13日】と昨日書いたのだが、今日、職場に着いたところが、司書の先生が「先生が首を長くしてお待ちでした芥川龍之介全集の第二十四巻がやっと入架しました。」と手ずから、僕の机まで持ってきてくれたのだ。そうしてそれを開いて見て(私は新全集の第二十四巻の実物を手にしたのは今日が初めてである。以前にもお話した通り、僕はこの新字採用の全集を認めないので、旧全集の雑纂に相当する4冊しか所持していない)、驚天動地! 青天霹靂! 縦覧したところ、俳句が35句も掲載されている(新発見句も相当数ある模様)。これをし遂げねば、上(かみ)のような傲岸不遜な言葉も、ちゃんちゃらおかしいことになる。しかし、これが確かに最後である。これよりゆっくりと着実に、し遂げよう。

ちなみにこの巻の月報の最後に、本年、岩波文庫から加藤郁乎編になる「芥川龍之介俳句集」が刊行予定であるということも知った。さても、興味津々! 僕の「やぶちゃん版芥川龍之介全句集」と読み比べ!

2009/03/11

机の前の裸は語る 尾形亀之助

 私はこの九月末か十月初め頃までの間に、かびのついたするめのやうな昨年と今年との作品十数篇からなる表題未定の一本を四五十部印刷して、これを最後の集として年来親しくしてもらつた友人へ贈呈する。大正十三年に「色ガラスの街」――昭和四年に「雨になる朝」――そして、この表題未定の一本を最後とすることには何の意味もない。もうこれでたくさんだといふことゝ、自分の将来にもさうしたことをする義務もなければ何もないといふことをはつきり考へたにすぎない。

    ×

 本を読むといふことは、勉強だとか趣味だとかいふすべてをふくんで、料理されたものを食ふといふことよりもはるかに馬鹿げてゐる。――といふことに私は少しばかり気がついた。
 例をあげれば、五十銭出して本を買ふといふことは、多くの場合銭を出したばかりでなく、その上その内容を読まされるといふことになる。だが、かうした取引の九分九厘――大部分の読者にはその全部の場合発行者又はその筆者の方から銭を出して、さあこれを上げるから読んで呉れとなるべきではなからうか。それなのに、うかつにも銭を出したり読まされたりしてゐることは全く馬鹿げてゐる。それよりも五十銭で何か食ふ方が利口だ――と。殊に「勉強」のためとあつてはなほのことさうした場合が多さうではないか、と。
 又、本そのものの内容に至つては、それを読んでゐる間の煙草代コーヒー代は勿論一日又は二日の生活費を出してまだ足らぬといふしろものの如何に多きや云云――といふ次第ではないでせうか。こんなこと言つてわるいんですけれども――。

    ×

 贈呈されたもののお礼、季節の見舞ひのお礼はいつも筆ぶしよう。例へば月末に金を取りにくるから新聞を取るのをやめやうと思つてゐるといふやうなわけ、米屋酒屋へも亦同じ。おゆるし下さい。

(一九三〇、八月十日)

(詩神第六巻十号 昭和5(1930)年10月発行)

[やぶちゃん注:「新聞を取るのをやめやう」「筆ぶしよう」はママ。「表題未定の一本」は第三詩集『障子のある家』のこと。昭和五(1930)年9月5日発行・私家版・限定70部・非売。これから詩集の題名は発行の一箇月前でも決まっていなかったことが分かる。]

芥川龍之介句集追加 新発見句7句

岩波新全集の縦覧により、「やぶちゃん版芥川龍之介句集三 書簡俳句」に大正10(1921)年七月二十一日の西村(齋藤)貞吉宛(岩波版新全集新書簡番号996)から新発見句を掲載した。

秋立つや金剛山に雲の無し

八道の山は禿げたり今朝の秋

芙蓉所々昌德宮の月夜かな

七夕は高麗の女も祭るべし

八道の新酒に醉つて歸けむ

妓生の落とす玉釵やそぞろ寒

これらは朝鮮での嘱目吟であるが、この新全集発表以前には知られていなかった。更に新発見一句。

さ庭べに草煙り居る薄暑かな

これをもってやっと「やぶちゃん版芥川龍之介句集三 書簡俳句」頁分の新全集縦覧による改訂を終了した。

芥川龍之介 點心 附やぶちゃん注

芥川龍之介「點心」附やぶちゃん注を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇」に公開した。この注には2週間をかけてこだわってみた。特に注記で原文と訳注を示した「今昔物語集」の話の中に、あの「藪の中」のシーンを見出した時には、思わず「おおっ!」と声を上げてしまった(例によって東海道線の車内であった)。ご覧あれ!

2009/03/08

やぶちゃん版芥川龍之介句集三 書簡俳句 改訂

岩波新全集の縦覧により、「やぶちゃん版芥川龍之介句集三 書簡俳句」に新発見句「桃煙る中や筧の水洩るゝ」及び20数箇所に及ぶ注追加及びミス・タイプ訂正を行った。新全集によって発見された旧全集書簡配置の誤りに従い、入れ替えも行った。これで岩波版新全集書簡四巻分の内、Ⅰ・Ⅱの縦覧を終了、Ⅲに入った。

現詩壇に対する感想要望 尾形亀之助

 一流大家でさへ詩では食つて行けないといふ事が事実であれば困つたことだと思ひます。詩作してゐることが不安だといふことが私達をどこまで危くするのか。女子供のためにばかり詩が存在するものだとすれば、私たちには何が与へられてゐるのか。
 夢に詩壇の滅亡を見る。やがて詩人は亡び詩壇は仏壇となるのではあるまいかと、真面目にこんな事を言ふのさへ恥づかしい次第である。
 私達は何物に力を借りなければならないのだらう。私は、編輯者及び出版者に一先づこの罪を嫁する。

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 春日うらゝか。私は亡びゆく詩壇を前にして、てん/\と涙をこぼした。そして啞になつてしまつた。

(文藝第五巻第四号 昭和2(1927)年4月発行)

2009/03/07

PC復活

またしても我が友にしてPCのERドクター・アビーの「神の手」によって、一昨日の緊急入院急速離脱プログラムで早くも今夕刻、退院を果たした(昔の「ER」に引っ掛けた物言いなんだけど、分かる人にしか分からんだろうなあ。そういえばロケット・ロマノが死んだ辺りから全然見なくなっちゃった。ルカが好きだったんだけどな。アフリカでの命拾い場面とか、学生時代の杵柄のハムレットの台詞とか……ゾクっとしたがなあ)。メール等のご返事が遅れた方には、お詫びする。メモリも増強してもらったので、動作も目に見えて早くなった。エプシロンのフォトンのお蔭か? 而してドクター・アビーの見立てでは、今回の原因の最重要参考人は妻であった。彼女は所謂、バチッっとくる静電気が昔から強烈で、以前から所持している磁器カード類がよく壊れた。後期ゴジラ並みの帯電体質なのである。聞いてみたら、彼女が職場で触れたPCはその多くが原因不明の不具合を起こすという怪奇現象があって、秘かに要注意人物になっていると自白した。静電気、恐るべし!

2009/03/04

不条理

僕は相応に覚悟をしていたのに――

まんまと、とんでもない肩透かしを食らわされたのだ――

数人の教え子だけは、ほっとしてくれるかも知れないが、ね――

明日、PCオペ――二度目の起死回生はあるか?

《垂翅PC余命連禱》やぶちゃん版芥川龍之介句集三 書簡俳句 新発見句16句追加

瀕死のパソコンから、岩波新全集の縦覧により、「やぶちゃん版芥川龍之介句集三 書簡俳句」に新発見句16句及び注追加及びミス・タイプ訂正を行った。

「聖者の泉」原文確認による松村みね子訳訂正

Electronic Text Center, University of Virginia Library

Synge, John Millington, 1871-1909. The Well of the Saints: A Comedy in Three Acts

を発見。第二幕の昨日の疑義箇所を確認した。

MARY DOUL.

    It's them that's fat and flabby do be wrinkled young, and that whitish yellowy hair she has does be soon turning the like of a handful of thin grass you'd see rotting, where the wet lies, at the north of a sty. (Turning to go out on right.) Ah, it's a better thing to have a simple, seemly face, the like of my face, for two-score years, or fifty itself, than to be setting fools mad a short while, and then to be turning a thing would drive off the little children from your feet.

[She goes out; Martin Doul has come forward again, mastering himself, but uncertain.]

間違いなく、モリーではなく、メリーの台詞である。

――もし逢っていたらきっと僕も恋していたであろう松村みね子女史と疑義を伝えてくれた貴女に敬意を表しつつ、訂正した。

2009/03/03

《垂翅PC余命連禱》聖者の泉 補正+疑義

《垂翅PC余命連禱》僕のシング「聖者の泉」松村みね子訳のテクストを読んでくれた友人が、疑問に思った箇所を十数箇所指摘してくれた。訳が古いだけに、誤りではない箇所もあったし、私のタイプ・ミスも数箇所あったが(既に訂正済み)、二箇所は明らかに底本の誤りと思われる部分を発見してくれた(一箇所は完全な底本の誤植。一箇所は台詞自体が違う人間のものである可能性が大きい、重大な誤記である可能性が大)。そこには注記を入れた。ここを借りて、謝意を表する。

「君のメール、死にかけたPCでも、辛くも受け取れた。ありがとう!」

2009/03/02

SR高校の愛する卒業生たちへ

暖かな陽射しの翠なす丘を去って

嵐吹きすさぶ荒野に出でよ!

そうして

あなたは眠らない限り夢を見るのだ――

卒業式の朝――起動させること5回、瀕死のパソコンが君らのために立ち上がってくれた合間に。

2009/03/01

さりながら「プルートゥ」のボラーとはあの「巨人」なり 又は エプシロンの魂(フォトン)は死にかけた僕のパソコンの夢を見る《垂翅PC余命連禱》

《垂翅PC余命連禱》に相応しい――

読み損なっていた「プルートゥ」の06と07を読む――

06――

最後にゲジヒトの最期がやってくる――

それは哀しく切なく透徹した美しさで僕らに迫る――

……何もかもが終わった後に――アントンの抱えた薔薇が雨に匂ってくる――

そうして僕にも――

確かなものとしてゲジヒトの(!)「喜び」と「悲しみ」が直感される――

07――

プルートゥ出現――僕には如何にもあっけない「出現」――

あっけなく現したその姿も手塚先生のプルートゥの「エヴァンゲリヲン」流――

でも、これはきっと確信犯だ!――もう、みんな気がついている!――僕らが本当に見たいのは、本当に知りたいのは――「感じたい!」のはボラーなんだ!――そうだ、ボラー、なんだ!

みんなで叫ぼう! あの孤児の少年たちと共に!

そうして気付く――

エプシロンは「サクリファイス」のアレクサンデルであり――

エプシロンは「ノスタリジア」のドメニコだ――

そうして――ボラーとは……誰か……

――「Act.49 サプライズパーティの巻」19下方のコマ……戦場の硝煙の中の巨大なもの……

――「Act.55 大いなる目覚めの巻」10+11上方のコマ……それは……あの「巨人」なり……

………………

Goya y Lucientes, Francisco José de

“The Colossus”

Goya_colossus

1808-12; Oil on canvas, 45 3/4 x 41 1/4 in; Museo del Prado, Madrid(画像元:“the WebMuseum,Paris”)

 

 

 エプシロンへの追伸:どうかエプシロンよ、そのフォトンでもって、僕のPCを葬送してくれ給え――

「プルートゥ」を我に教えし教え子Y.O.へ。

これは僕の勝手な印象を綴ったものに過ぎない。「Act.48 六十億の偏りの巻」の22の伝馬博士の「そ………その顔は……」というコマからは、プルートゥやボラーの『内実としての本当の』60億の偏りの顔とは、我々の誰もが知っている顔でなくてはならないように思われる。さて、我々の誰もが知っている顔は――人類に最も知られた顔と言えば――善悪の彼岸の顔――全人類の罪を一身に受ける者――ナザレのイエスか?……また語り合いたいものだ。

* *

因みに、昨年、この有名な“The Colossus”はゴヤの真筆ではなく、彼の弟子の筆になるものという鑑定が専門家から提出されているということを、今日、この画像を探しに行って初めて知った。巨人の顔や下界の人物や馬の描写が粗雑なんだそうだ――ちょっと寂しい気がした――

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