やぶちゃん版芥川龍之介全句集 新全集全縦覧による改訂完了
岩波新全集最終巻第二十四巻縦覧により、新発見句5句を含む連句等を、柱「2008年12月刊行の岩波版新全集第二十四巻〔第二次版〕に現れたる俳句(書簡を除く)」で追加。その他にも注を追加した。また、同書補遺の書簡から新発見句3句他を追加し、これをもって新全集縦覧による改訂を全て終了した。現在只今、私のこの「やぶちゃん版芥川龍之介全句集」は、如何なる著作、如何なるウェブ・ページよりも最多の芥川龍之介の俳句を公開しているという自負がある。
一昨日の謂いを、すっきりともう一度言おう。
僕は今、芥川龍之介の、現在知り得るところの全句に遭遇している実感がある。
勿論、それは必竟、僕の哀しいマスターベーションでしかなく、いずれまた誰かによって容易に越えられるには違いあるまい。
しかし乍ら、僕は今、あの芥川龍之介のそばに、僕の愛してやまぬ彼のそばに、僕一人だけで近侍させて貰っている、痺れるような喜びを味わっていることもまた、事実なのである。
芥川龍之介は「侏儒の言葉」の最後「民衆」に、こう記している――
「わたしは勿論失敗だつた。が、わたしを造り出したものは必ず又誰かを作り出すであらう。一本の木の枯れることは極めて區々たる問題に過ぎない。無數の種子を宿してゐる、大きい地面が存在する限りは。」
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