無門關 五 香嚴上樹
五 香嚴上樹
香嚴和尚云、如人上樹、口啣樹枝、手不攀枝、脚不踏樹。樹下有人問西來意、不對即違他所問、若對又喪身失命。正恁麼時、作麼生對。
無門曰、縱有懸河之辨、惣用不著。説得一大藏教、亦用不著。若向者裏對得著、活却從前死路頭、死却從前活路頭。其或未然、直待當來問彌勒。
頌曰
香嚴眞杜撰
惡毒無盡限
啞却納僧口
通身迸鬼眼
*
淵藪野狐禪師書き下し文:
五 香嚴(きやうげん)、樹に上る
香嚴和尚云ふ。
「如し、人、樹に上らんに、口に樹の枝を啣(ふく)むのみにて、手に枝をしては攀(よ)ぢず、脚は樹を踏まずとす。樹下に人有りて、西來の意を問はんに、對へずんば、即ち他(かれ)が所問に違(そむ)く、若し對へなば又、喪身失命(しつみやう)せん。正に恁麼(いんも)時、作麼生(そもさん)か對へん。」
無門曰く、
「縱ひ懸河の辨有るも、惣(そう)に用不著(ゆふぢやく)。一大藏教を説き得るも、亦、用不著。若し者裏(しやり)に向ひて對得著(たいとくぢやく)せば、從前の死路頭(しろとう)を活却し、從前の活路頭を死却せん。其れ或ひは未だ然らずんば、直ちに當來を待ちて彌勒に問へ。」と。
頌して曰く、
香嚴 眞(まこと)に杜撰
惡毒 無盡限(むじんげん)
納僧(なつそう)が口を啞却(あきやく)して
通身 鬼眼を迸(ほと)ばしらしむ
*
淵藪野狐禪師訳:
五 香嚴の「樹に上る」の公案
香厳和尚が言う。
「人が高い樹に上ったとしよう。――彼は口に樹の枝を銜え、両手では枝を持たず、脚も樹からを離して頂点に攀じ登った。さて、その時、樹下に人が在って、『達磨は何故(なぜ)西に向ったか?』と禅の本義を問い掛けたとしたら、――お前は、どうする? 我等にとって大切な真意を尋ねているのあればこそ、答えぬとすれば、もう、その人の誠心の問いに対して何の立場もなくなってしまう。――されど、もし答えるとすれば、真っ逆様に九天を堕ち、地に叩きつけられてぺしゃんこ、あの世行きは必定じゃ。――さあ! 正にそういう時、お前は、どう応えるか!」
無門、商量して言う。
「たとえ瀑布の水の如、立て板磨り減る能弁も、ここじゃ全く役立たず。経・律・論の三蔵を、お釈迦様から損料し、説いてみたとて、おたんちん。――もしも絶体絶命の、こげな窮地にどっしりと、美事太刀打ち出来たなら、永き地獄の路頭に迷う、亡者も奇瑞の蘇生劇、活てるつもりの半可通、アッという間にお陀仏じゃ。――活殺自在のこの理(ことわり)、そいつは出来んとゴネるなら、五十六億七千万、年を重ねた将来に、弥勒菩薩の到来を、待って訊ぬる他はなし!」
次いで囃して歌う。
香嚴 狂言 まことに杜撰
悪性 毒性 超猛毒
禅者の口を塞ぎ置き
おのれは 悪趣味 猟奇 地獄三昧
腐臭 骸(むくろ)の 目ん玉 抉り
眼光 炯炯 致死量 放射