無門關 二十 大力量人
二十 大力量人
松源和尚云、大力量人、因甚擡脚不起。又云、開口不在舌頭上。
無門曰、松源可謂、傾腸倒腹。只是欠人承當。縱饒直下承當、正好來無門處喫痛棒。何故。※。要識眞金、火裏看。[やぶちゃん字注:「※」=(上)「漸」+(下)「耳」。]
頌曰、
擡脚踏翻香水海
低頭俯視四禪天
一箇渾身無處著
請、續一句
*
淵藪野狐禪師書き下し文:
二十 大力量の人
松源和尚云く、
「大力量の人、甚(なん)に因りてか脚を擡(もた)げて起きざる。」
と。
又、云ふ、
「口を開くこと、舌頭上に在らざる。」
と。
無門曰く、
「松源、謂(い)ひつべし、腸を傾け、腹を倒す、と。只だ是れ、人の承當(じようたう)するを欠くのみ。縱-饒(たと)ひ直下(ぢきげ)に承當すとも、正に好し、無門が處に來りて痛棒を喫せんに。何が故ぞ。※(にい)。眞金を識らんと要(ほつ)せば、火裏にして、看よ。」
と。[やぶちゃん字注:「※」=(上)「漸」+(下)「耳」。]
頌して曰く、
脚を擡(もた)げて踏翻す 香水海(かうずいかい)
頭を低(た)れて俯視す 四禪天
一箇の渾身 著くるに處無し
請ふ、一句を續(つ)げ。
*
淵藪野狐禪師訳:
二十 大力量の人
松源和尚は言う。
「一瞬にして悟りを開き得る力量の者が、どうして何時までも座禅から立ち上がらぬ!」
又、こうも言った。
「一瞬にして悟りを開き得る力量の者が、どうして口を開くに、舌を用いて話さぬのか!」
無門、商量して言う。
「松源和尚め、何とまあ、腹を横たえざっくりと、開いた上に腸(はらわた)まで、べろりとすっかり掻き出しやがった、と言う感じじゃが――こいつは単に、奴(きゃつ)の言葉を受け止める、大力量が居ないだけ――いやたとえ、受け止める者がおったとて、それでも無門がもとへ来るがよい! びしっと一発、痛棒せんに!――何故? だ、とぉ!? 純金か紛(まが)いものかを知りたけりゃ、あっさり火中に投げ入れて、見る以外には、法はねえんじゃ!」
と。[やぶちゃん字注:「※」=(上)「漸」+(下)「耳」。]
次いで囃して言う。
脚上げてぽんと蹴飛ばせ 香水海(こうずいかい)
見下ろしてねめつけてやれ 四禅天
この世に受けたこの体(からだ) 何処にも置き場がありんせん
…………………………………
――結句は、お前に、任せたぜ――
[やぶちゃん特別補注:「香水海」は古代インド及び仏教的世界観の中のある海の名。「阿含経」等によれば、虚空無限の中に風輪が浮かび、その上層に金輪がある。その金輪の中心に須弥山(しゅみせん)と言われる高い山が聳え立ち、これを海と山が交互に八周して囲んでいる。七周する海は香水海と呼ばれ、八周目の最後の海を鹹海(かんかい)と呼び、この海の外側を鉄囲山(てっちせん)という山脈が更に廻っている。この鹹海には東西南北の四方に四つの大陸があって、それを四大洲という。そのうち、南にある大陸を閻浮提(えんぶだい)と呼び、そこが我々人間が住む世界であるとする。ちなみに、これら総てを合わせて九山八海(くせんはっかい)と呼ぶ。「四禅天」は、欲界に於いて禅を修することで生まれかわるとされる、色界の四天のこと。初禅天・第二禅天・第三禅天・第四禅天の総称。淫欲・食欲は消し去られるが、色=物質への執着は残存する世界であるとする。]