無門關 二十九 非風非幡
二十九 非風非幡
六祖、因風颺刹幡。有二僧、對論。一云、幡動。一云、風動。往復曾未契理。祖云、不是風動、不是幡動、仁者心動。二僧悚然。
無門曰、不是風動、不是幡動、不是心動、甚處見祖師。若向者裏見得親切、方知二僧買鐵得金。祖師忍俊不禁、一場漏逗。
頌曰
風幡心動
一状領過
只知開口
不覺話墮
*
淵藪野狐禪師書き下し文:
二十九 風に非ず、幡(はた)に非ず
六祖。因みに風、刹幡(せつばん)を颺(あ)ぐ。二僧有り、對論す。一(いつ)は云く、
「幡(はた)、動く。」
と。一は云く、
「風、動く。」
と。往復して曾て未だに理に契(かな)はず。
祖云く、
「是れ、風、動くにあらず、是れ、幡、動くにあらず、仁者(じんしや)が心、動くなり。」
と。
二僧悚然(しようぜん)とす。
無門曰く、
「是れ、風、動くにあらず、是れ、幡、動くにあらず、是れ、心、動くにあらず、甚(いづ)れの處にか祖師を見ん。若し者裏(しやり)に向ひて見得して親切ならば、方に二僧、鐵を買ひて金を得たるを知らん。祖師、忍俊(にんしゆん)不禁(ふきん)して、一場の漏逗(ろうとう)たり。」
頌して曰く、
風(ふう) 幡(はん) 心(しん) 動ずるに
一状 領過(れうか)す
只だ 知りて口を開き
話墮するを覺へず
*
淵藪野狐禪師訳:
二十九 風ではない、幡(はた)ではない
六祖慧能の話である。
機縁があって、風が、寺の門前の竿の上の、説法を告げる旗をばたばたと靡かせていた。
その時、二人の僧がおって、言い争っている。一人は、
「あれは旗が動くのだ。」
と言うが、一人は、
「いいや、あれは風が動くのだ。」
と言い張る。互いに自分の主張を譲らず、決着がつかない。
すると、それを見ていた祖師が言い放った。
「これ、風、動くにあらず――これ、旗、動くにあらず――そなたたちの心、これが動くのじゃ――」
それを聴いたとたん、二人の僧は心底、慄っとした。
無門、商量して言う。
「これ、風、動くにあらず――これ、旗、動くにあらず――これ、心、動くにもあらず――じゃて! さても、お前ら! この屁理屈、ハッタリかました、六祖の慧能、その恐ろしき正体、見たか! 六祖や二僧は言わずもがな、風・旗・心も一からげ、もしも一気に包み上げ、虚空彼方へ放下(ほうげ)せば、二人の糞の坊主ども、鉄を買(こ)うたに手中に金、そうした事実に気づくはず。さればとよ、六祖慧能とあろう方が、思わず優しい笑み洩らし、一場一幕大失態!」
次いで囃して歌う。
《訳1――現代詩バージョン》
風も幡も心もどれも 大揺れ揺れの大激震
風も幡も心もどれも 同罪なれば一蓮托生
六祖の爺さん 良かれと思い
口を開いて語るに墜ちた
《訳2――判決文バージョン》
謀議をした被告人僧甲及び被告人乙並びに事件当事者である被告人風及び被告人幡及び被告人心は刑法一〇六条騒乱罪に抵触し
全員が共同実行の意思(又は意思の連絡)及び共同実行の事実がある共同正犯と認定することに異論はなく全員を懲役十年に処す
ただ被告人六祖慧能については主として被告人僧甲及び被告人乙の共同謀議による慫慂に釣られて思わず意思の連絡をしてしまった点を情状酌量して懲役二年執行猶予三年六箇月に処するものとする
裁判長「被告人六祖慧能、前へ出なさい。――『語るに墜ちる』とはこのことを言うのです。どうか出しゃばらず安静な老後を送ることを願います。」
★ ★ ★
本公案を訳しながら、芥川我鬼龍之介の「無門關一則」の前書を持つ、
刹竿に動くは旗か木枯か
は、この二十九則をもとにしていることに気づいた。これまで、「やぶちゃん版芥川龍之介俳句全集 発句拾遺」で、「二十二 迦葉刹竿」を注で引用して語っていたのは誤りであった。訂正したので、芥川の句の方も味わって頂ければ幸いである。因みにこの句は岩波版新全集で初めて知られたもので、多くの方はご存じないものと思われる。