無門關 三十八 牛過窓櫺
三十八 牛過窓櫺
五祖曰、譬如水牯牛過窓櫺、頭角四蹄都過了、因甚麼尾巴過不得。
無門曰、若 向者裏顛倒、著得一隻眼、下得一轉語、可以上報四恩下資三有。其或未然、更須照顧尾巴始得。
頌曰
過去墮抗塹
回來却被壞
者些尾巴子
直是甚奇怪
*
三十八 牛、窓櫺(さうれい)を過ぐ
五祖曰く、
「譬へば、水牯牛(すいこぎう)の窓櫺を過ぐるがごとし、頭角四蹄(ずかくしたい)、都(すべ)て過ぎ了(をは)んぬに、甚麼(なん)に因りてか尾巴(びは)過ぐることを得ざる。」
と。
無門曰く、
「若し者裏に向ひて顛倒して、一隻眼を著(つ)け得、一轉語を下し得ば、以て上(かみ)は四恩に報じ、下(しも)は三有(さんぬ)を資(たす)くべし。其れ、或ひは未だ然らずんば、更に須らく尾巴を照顧して始めて得べし。」
と。
頌して曰く、
過ぎ去れば抗壍(こうざん)に墮(お)ち
回り來れば却りて壞(やぶ)らる
者些(しやさ)の尾巴子(びはす)
直(まさ)に是れ 甚だ奇怪
*
三十八 牛、連子窓を過ぎる
五祖慧能が言う。
「例えば、水牛が連子窓の向うを過ぎて行くのを室内から見ているとしよう。――牛の頭が見えた、次に角、そして二本の前足、ずーと胴体が続き、二本の後ろ足、が見えるな――さて、『牛』の全てはそこを過ぎ去った――それなのに、どうして尻尾が通り過ぎるのが見えぬのじゃ!?」
無門、商量して言う。
「もしもこの、様(さま)に向かって、さかしまに、独眼一徹、見切ってしまい、転迷開悟の一言を、ポンと吐き捨てられたなら、この世に中で、父母(ちちはは)仏王様衆生、そこから受ける貴い恩に、すっかりすっきり報いてしまい、この世の苦しむ、ありとある、衆生凡夫も、救い済み。――さても、勿論、そんなことが出来んとなれば、まず何よりも須らく、この『しっぽ』をば見届けよ、それがお前の生きる道!」
次いで囃して言う。
通り過ぎれば 落とし穴
戻るとなれば 粉微塵
そもそも『ここ』の「しっぽ」こそ
まさしく 真正大妖怪!