無門關 二十六 二僧卷簾
二十六 二僧卷簾
清涼大法眼、因僧齋前上參。 眼以手指簾。時有二僧、同去卷簾。眼曰、一得一失。
無門曰、且道、是誰得誰失。若向者裏著得一隻眼、便知清涼國師敗闕處。然雖如是、切忌向得失裏商量。
頌曰
卷起明明徹太空
太空猶未合吾宗
爭似從空都放下
綿綿密密不通風
*
淵藪野狐禪師書き下し文:
二十六 二僧、簾(すだれ)を卷く
清涼大法眼(しやうりやうだいはふげん)、因みに、齋前に、僧、上參す。 眼(げん)、手を以て簾を指す。時に二僧有り、同じく去つて簾を卷く。眼曰く、
「一得、一失。」
無門曰く、
「且らく道(い)へ、是れ誰(たれ)か得、誰か失。若し者裏(しやり)に向ひて一隻眼(いつせきげん)を著(つ)け得ば、便ち清涼國師敗闕(はいけつ)の處を知らん。是くのごとく然ると雖ども、切に忌(い)む、得失裏(とくしつり)に向ひて商量せんことを。」
と。
頌して曰く、
卷起(けんき)すれば 明明として太空に徹す
太空すら 猶ほ未だ吾が宗(しゆう)に合はざるがごとし
爭(いかい)でか似る 空より都(すべ)て放下して
綿綿密密 風を通さざらんには
*
淵藪野狐禪師訳:
二十六 二人の僧、簾(すだれ)を卷き上ぐ
清涼院大法眼の話である。
機縁があって、弟子の僧らが斎(とき:午前中に済ます昼食。仏家にあっては本来、午後は食事を摂らない。)の前の参禅にやってきた。大法眼は、黙ってその手で簾を指さした。その時、二人の僧が、揃って座を立ち、同じようにそれぞれ簾を卷き上げた。すると大法眼は言った。
「一人はよい。一人はまるで駄目じゃ。」
と。
無門、商量して言う。
「さあ、言え! 『誰』がよくて、『誰』が駄目か! もしもかような事態に向いて、さてもたった一つの眼(まなこ)もて、真理(まこと)を見抜いて美事ならば、お前にゃ瞬時に分かるじゃろ! このおぞましき、はったりの、極地に居ます清涼院、大法眼の文益の、大智蔵だか大導だか、騙り国師の糞坊主、その徹頭徹尾の完敗が!――いや――このようであるにしたとて、お前らは、重々避けねばならぬのじゃ! 何を? じゃと?――『よい』とか『駄目』とか分かったような、認識・分析・統合・止揚……ええぃ、儂(わし)のこの、くだくだしいも程にせいちゅう、こげな商量の如きもんじゃが!」
と。
次いで囃して歌う。
巻き上げて 見上げりゃ 遙かな 青い空
その天空の 更なる彼方に 禅の空
青い空など 見放して 誠の空(くう)にあれぞかし
風も通らぬ部屋こそが 我等がいます空(くう)の空(そら)
★ ★ ★
この無門の「頌」はGeorge Whitingの“My Blue Heaven”の盗作である。そうして、この「頌」を美事に歌えるのは、エノケンをおいてほかには、ない。
My Blue Heaven
When whippoorwills call and evening is nigh,
I hurry to my Blue Heaven.
A turn to the right, a little white light,
Will lead me to my Blue Heaven.
I'll see a smiling face, a fireplace, a cosy room,
A little nest that nestles where the roses bloom;
Just Molly and me, and baby makes three,
We're happy in my Blue Heaven.
夕暮れに仰ぎ見る 輝く青空
日暮れて辿(たど)るは わが家の細道
せまいながらも 楽しい我家
愛の灯影(ほかげ)の さすところ
恋しい家こそ 私の青空
因み云ふ、作曲Walter Donaldson、訳詞堀内敬三なり。