無門關 表文
(表文)
紹定二年正月初五日、恭遇天基聖節。臣僧慧開、預於元年十二月初五日、印行拈提佛祖機縁四十八則、祝延今上皇帝聖躬萬歳萬歳萬萬歳。皇帝陛下、恭願、聖明齊日月、叡算等乾坤、八方歌有道之君、四海樂無爲之化。
慈懿皇后功德報因佑慈禪寺前住持 傳法臣僧 慧開 謹言
*
淵藪野狐禪師書き下し文:
(表文(ひやうもん))
紹定(ぜうてい)二年正月初(しよ)五日、恭しく天基聖節に遇ふ。臣僧、慧開、預(あらかじ)め元年十二月初五日に於いて、佛祖機縁四十八則を印行・拈提し、今上皇帝聖躬の萬歳萬歳萬萬歳を祝延す。皇帝陛下、恭しく願はくは、聖明(せいめい)、日月(じつげつ)に齊(ひと)しく、叡算(えいさん)、乾坤に等しく、八方、有道の君を歌ひ、四海、無爲の化(け)を樂しまんことを。
慈懿(じい)皇后功德報因佑慈(いうず)禪寺、前住持、傳法臣僧、慧開、謹んで言(まう)す。
*
淵藪野狐禪師訳:
(表文)
紹定(じょうてい)二年(:西暦1229年。)一月五日、恐れ多くも本日、皇帝陛下の神聖なる御誕生の日をお迎え致しましたことを慶賀申し上げ奉りまする。臣たる僧、私め、慧開、このよき日に合わせ、予(あらかじ)め、昨年十二月の同じ五日、仏祖師弟の機縁に関わる縁起の話譚を四十八則、愚案を呈して整え、印刷・刊行に及び、以って今上皇帝陛下の御聖体の御安寧をお祈り申し上げ、その御命が万年、十万年、百万年の先までお続きになりますよう、御言祝ぎ申し上げ奉りまする。皇帝陛下におかれましては、どうかその汲めども尽きぬ神聖なる知性が、日月(じつげつ)の如く、永遠に明晰であられんことを。また、その御寿命が、悠久の天地の如く、永遠に持続されんことを。そうして、全ての衆生が、正しき仏法の道に在られる皇帝陛下を讃えて歌い、この世界中が、皇帝陛下の教化(きょうげ)によって自然のうちに至福に至らんことを、心より祈念申し上げ奉りまする。
慈懿皇后の功德と報恩のために建立されし佑慈(ゆうず)禪寺の前(さき)の住持たる 伝法の臣僧 無門慧開 謹んで申し上げ奉る
[やぶちゃん特別補注:「表文」とは君王及び役所へ奉る文書を言う。本篇の編著者である南宋の禅僧無門慧開(1183~1260)は、臨済宗柳岐(ようぎ)派に属し、最終的には杭州にあった護国仁王寺の住職となった(淳祐6(1246)年)。当時の今上皇帝は理宗(在位1224~1264)で、慧開は彼から仏眼禅師の号を賜っている。最後にある「慈懿皇后」は理宗の生母のこと。西村注によると、この寺の名「佑慈寺」というのは理宗が母親の追善供養のために建てた因縁を名としたもの、とある。]