無門關 四十六 竿頭進歩
四十六 竿頭進歩
石霜和尚云、百尺竿頭、如何進歩。又古徳云、百尺竿頭坐底人、雖然得入未爲眞。百尺竿頭、須進歩十方世界現全身。
無門曰、進得歩、翻得身、更嫌何處不稱尊。然雖如是、且道、百尺竿頭、如何進歩。嗄。
頌曰
瞎却頂門眼
錯認定盤星
拌身能捨命
一盲引衆盲
*
淵藪野狐禪師書き下し文:
四十六 竿頭(かんとう)、歩を進む
石霜和尚云く、
「百尺の竿頭、如何が歩を進めん。」
と。
又、古徳云く、
「百尺の竿頭、坐して底(てい)する人、入り得て然ると雖ども未だ眞と爲さず。百尺の竿頭、須らく歩を進めて十方(じつぽう)世界に全身を現ずべし。」
と。
無門曰く、
「歩を進み得て、身を翻へし得ば、更に何(いづ)れの處を嫌ひてか尊と稱せざる。是くのごとく然ると雖ども、且らく道(い)へ、百尺の竿頭、如何が歩を進めんか。嗄(さ)。」
頌して曰く、
頂門の眼(まなこ)を瞎却(かつきやく)して
錯(あやま)ちて定盤星(ぢやうばんじやう)を認む
身を拌(す)てて能く命も捨ててぞ
一盲 衆盲を引かん
*
淵藪野狐禪師訳:
四十六 竿頭にて、一歩を踏み出す
石霜楚円和尚が言う。
「百尺の竿の先にお前は居る。さて、どのようにして更に一歩を踏み出すか。」
又、それより前の古德長沙景岑(けいしん)禅師も言う。
「百尺の竿の先、そこの座り込んでいる人は、とりあえず、機縁によってそこまで辿り着くことが出来たとはいえ、未だにそこに辿り着いたことが真理(まこと)であるのではない。百尺の竿の先から更に一歩を踏み出して、あらゆる世界に『在るところの存在の総体』を現出させねばならぬ。」
無門、商量して言う。
「竿の先、そこから一歩を踏み出すことが出来、ありとある、世界すべてにその身をば、現ぜしめたとするならば、――ここは嫌(や)な処(とこ)、尊(たっと)からず、穢(よご)れ汚(けが)れた浮世かな――なんぞとほざく、こともなし。そうであるとは言うものの、さればよ! 己(おのれ)ら! 暫く言うてみよ!――一体、どうやって百尺の竿の先へ一足を踏み出すか! あ、さあさあさあ、サ!……」
次いで囃して歌う。
頭頂に在る第三の眼が光を失うと
澱んだ眼は、ただ天秤の中点の目盛りに釘付けとなるばかり……錯誤して無用のものへと執着するようになるばかりである
さあ、身をも捨て、よく命をも捨ててこそ
一人の盲人(めしい)である汝なれども、群盲を導く人となれるであろう