童心とはひどい 尾形亀之助
どうにもこの一文を草さなければならないといふのではない。ほうつて置いてもいゝのではあるが、又こんなことをすることは現代に於ては少々親切すぎるといふ旧式なことでもあるのだらうが、私の注意に何んと彼が答へるか通りがかりの諸君は一瞥をなさるがよい。
詩神十月号に北川冬彦君は拙著詩集「雨になる朝」の批評をしてゐるのであるが、困つたことには彼は私のそれらの作品を或程度否定しなければならない立場にゐるのだ。そして、その否定の方法として彼は私のものを「童心」であるから旧いといふのである。かつては村山君や神原泰君と一緒に「マヴオ」などの仕事をしたところ私は当然北川君などと肩を列らべるほど元気(?) のある新しい(?)仕事をしてゐなければならないのにといふ(或ひはもつと(?)新らしい芸術(?)でなければならぬといふ)意味を述べて、私にもつと元気を出せと彼も亦なかなか親切なのである。
思ふに、現在では、「童心」とは田舎の小学校の先生が童謡などのセイ作の折りに「苦心」するそれを指して言ふべきであるのかも知れない。が、全く、如何なる場合に於てももはや現在のわれわれの間には「童心」といふ言葉がはめた意味では存在しないことは、北川君の「童心」をもつ詩人は旧いと言つてゐることに同じなのであるが、彼の言ふところの 「童心」が詩集「雨になる朝」のどこに発見し得るといふのであらう。私は自分の芸術を新らしいと思つたことは一度もないのであるから、旧いと言はれることに何の反感ももたない。が、それが「童心」の故であるとあつてはいささか反駁をなさゞるを得ない。も一度その「雨になる朝」を読み直してもらひたい。私は、北川君には詩がわからないのだといふやうなあくたれをきゝたくない。「童心」といふものを嫌ふ意味に於ては私も北川君にまけないのであるから、間違つても「童心」などと言つてもらひたくないものだ。「童心」とは一茶良寛さんの頃のものであつて、すくなくとも暮鳥さん以後に於ては「童心」の芸術などあつてはならぬのだ。
この一文が「詩と詩論」に言及することはうるさいのがいやだからいやなのであるが、その頃流行といふことにはならなかつたが(それだけよかつたのであるが)六七年以前に、私は今年の二科会などの超現実主義的と言はれる作品よりもつとさうである仕事をしてきてゐるのだし、「詩」作にも現在の「詩と詩論」の同人諸君の作品のそれに同じいものをもして来てゐる。つまり私はそれらのことをすでに経験して来てゐる。こんなことをわざわざ言ふことはテレ臭いことであるが、私が彼等より新らしいと言ふ意味にではなく、私がもう種痘をしてゐるといふ意味でのみ述べてゐる次第である。たゞ断つて置くが、その頃でさへ楽器と言つてピアノの形などを、ねぎぼう主といつて白い少女といふ活字を列らべる、又は粟が「ぶた」に似ているといふやうないたづらに似たことは発表することを何んとなく恥じたものであつた。
又、北川君は私が足り過ぎる生活にわざわひされてゐると言つてゐる。おそらく物質のことを指すのであるのだらう。が、もう少し頭を働かして欲しい。もつとたしかめてから言つて欲しい。「詩と詩論」の運動が現在のやうな影響を他にあたへてゐることは、かつて短詩型の運動が何時もともなつてゐた「困つたこと」と同じことであることを残念に思つてゐる。そして「詩と詩論」が何時までたつても翻訳的でしかないことを私は残念に思つてゐる。そして、この一文が私の愚かさや学問のないことをさらけだしたことにとゞまるといふことになる方がよいのであつて、更にお互(?)がこれにわをかけた愚かさをばくろするが如き論争になることを私はさけたいのだ。(私はそれを北川君よりも春山君へより多くを希望する。)
(詩神第五巻第十一号 昭和4(1929)年11月発行)
[やぶちゃん注:傍点「ヽ」は下線に代えた。彼の剥き出しの神経に触れた、その焦燥(いらだち)がよく現れた文章である。故に特にその瑣末な歴史的仮名遣の誤りや平仮名表記を指摘しない。本作は尾形亀之助がこの年の5月に刊行した第二詩集『雨になる朝』に対する北川冬彦の評に対する反駁文である(尤も正面切って辛辣であったから北川が選ばれたに過ぎず、恐らくはその他の多くの人々の不評も神経症的に反映されたものである)。それは同じ発表誌に並んでしまった以下のような評であった(引用は秋元潔「評伝尾形亀之助」より孫引き)。
詩集『雨になる朝』にあらはれた尾形龜之助氏は、季節の移り變りや、日ざしの濃淡や、 庭や垣の気配、雨だの、煙草だの、すべて靜かな、細かい生活環境の日常に、魅力を感じてゐる。(中略)しかも、それを樂しんでゐる。『童心』を以て眺めてゐる」「尾形亀之助氏が『雨になる朝』の境地に住むのは、あまりに生活に餘裕がありすぎたからである。生活の餘裕が尾形龜之助氏を、かうも退嬰的な境地へ引き籠らせてゐるのである。もしも尾形龜之助氏が、生活と闘はなけれはならなかつたとしたら、彼はどうなつてゐたらうか。吃度、このやうな境地にはゐないに違ひない」(北川冬彦「雑感一束」:『詩と詩論』昭和4(1929)年12月発行)
「詩集『雨になる朝』にあらはれた尾形龜之助の『童心』は純粋である。それは、まさに北原白秋のそれ以上のものである。(中略)詩術に於ても」(北川冬彦「詩集『雨になる朝』について」:『詩神』第五巻第十一号 昭和4(1929)年11月発行)
先に掲げた「さびしい人生興奮」の中で、尾形は本詩集「雨になる朝」について、
私はこの詩集をいそいで読んでほしくないと思つてゐる。本箱のすみへでもほうり込んで置いて、思ひ出したら見るといふことにしてもらひたい。
と言っている。尾形がこの時期の政治的季節に突入した愚劣な詩壇の趨勢から、自身が指弾されるであろうことを体感はしていたようだ。しかし、まさか自身が芸術家・詩人として終始『戦友』であったはずの北川や草野(秋元氏の同書から引用すると、草野心平は同じ『詩神』第五巻第十一号「尾形亀之助」で、次のように言っている。「尾形は『色ガラスの街』から尾形なりの墜落をしてきた。尾形なりの眼をひらいた。……(略)……これからが彼の正面切つての戰ひである。彼は『色ガラスの街』が暗示するように、日本の非現實的詩人の超弩級であつた。それに後髮をひかれない彼であらうか。吾々はその彼を正しく視そして肯定しそして侮蔑する」)が、見当違いな物謂いをしかけてくるとは思っていなかったのであろう(ということ自体が彼のお目出度い人の良さでもあった。しかし、北川の悪意に満ちた物謂い、草野のその「後髮」や「侮蔑」という狡猾な表現には、正直、私は吐き気を催す。彼等は戦中とは違った意味で『バスに乗り遅れまい』としたのではなかったか)。いや、尾形がここで如何にも苛立ちながら、舌足らずに述べている「翻訳的」という語は、実は詩や詩論が常に政治的・社会的・道徳的に自動翻訳されてしまう、現代へと通底する問題を提起しているように私には思えてならないのである。]
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私は今年に入って、さる人物に「そろそろ尾形亀之助はいいんじゃないか」と言われた。テクスト化している残る評論の13篇程のその内容も、多くが他の詩人の詩評であり、実際、打ち込みが退屈でもあるわけで(実際に私は草野と春山ぐらいしかまとまって読んだことがないわけであり)、暫く手をつけていなかったのであるが――どうも他人から「そろそろ」何どと、僕の目の前に白いチョークで停止線を引かれるのは、如何にも不快なのである。僕にとって尾形亀之助はその程度のものではない。そこで、今日はやおら、こいつを担ぎ出したのである。
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