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2009/05/09

片山廣子第二歌集『野に住みて』のテクスト化の間(はざま)に

昨日来、片山廣子第二歌集『野に住みて』のタイプによる打ち込みを開始、ほぼ9割方終了した。中でも、「ひばりの歌」歌群の注に手間取りつつも、不思議に楽しかった。これは「大伴家持の歌をよみかへす折ありて」というモノグラフを持つ。僕は家持が越中守として在任した地で中学高校を過したのだった。その国府跡の勝興寺は、斜に構えた僕と友人の青春時代の道草の定番だったのだ。注を書きながら、あの頃のことが何故か懐かしく思い出されてくる――

なき父のいよよ戀しくしらぬひの筑紫の梅の歌よみかへす

[やぶちゃん注:これは家持の歌ではなく、彼が13歳前後の時に亡くなった、まさに「なき父」大伴旅人(天智4(665)年~天平3(731)年)が筑紫で詠んだ梅の歌、巻第8の1640番歌を指すものと思われる。

   太宰帥大伴卿の梅の歌
わが岳(をか)に盛りに咲ける梅の花殘れる雪をまがへつるかな

「まがへつるかな」は、山の上の少しばかりの残雪があって、それを梅の花と見紛うたよ、という意である。「なき父」を「いよよ戀しく」思っているのは、まず廣子であり、廣子が家持とダブり、そこから廣子の父が投影された旅人が現れるという重層効果をこの歌は持っているのである。]

家まもる都のひとに贈るべく百(もも)の眞珠も欲しとぞ詠みし

[やぶちゃん注:これは、巻第18の4101~4105番歌群を指す。

   京の家に贈らむが爲に、眞珠(あらたま)を願(ほり)せる歌一首并びに短歌

珠洲(すす)の海人(あま)の 沖つ御神に い渡りて 潛(かづ)き採るといふ 鮑玉(あはびたま) 五百箇(いほち)もがも はしきよし 嬬(つま)のみことの 衣手の 別れしときよ 奴婆玉(ぬばたま)の 夜床(よとこ)かたさり 朝寢髮 掻きもけづらず 出て來し 月日よみつつ 嘆くらむ 心なぐさに ほととぎす 來鳴く五月の あやめぐさ 花橘に 貫(ぬ)きまじへ 縵(かづら)にせよと 包みてやらむ(4101)

白玉を包みてやらな菖蒲草(あやめぐさ)花橘に合へも貫くがね(4102)
 
沖つ嶋いゆき渡りて潛くちふ鮑玉もが包みてやらむ(4103)

吾妹児(わぎもこ)が心なぐさにやらむため沖つ嶋なる白玉もがも(4104)

白玉の五百箇(いほつ)集ひを手にむすび遣(おこ)せむ海人はむがしくもあるか 〔一に云はく、「むがしけむはも」〕(4105)

  右は、五月十四日に、大伴宿禰(すくね)家持、興に依りて作れり。

以下、簡単な語注を附す。なお、この真珠は恐らく彼が越中守として統治していた、現在の能登半島舳倉島産のものと思われる。
○(4101)「はしきよし」:愛すべき。
○(4101)「夜床かたさり」:一方に退いて。一人寝の妻は夜の褥も片端に淋しく寝て、の意。以下、「嘆くらむ」までが想像の妻の景である。
○(4101)「包みて」:土産として。
○(4102)「合へも貫くがね」:「がね」は願望を表わす助詞で、「がに」と同じ。貫き合わせて飾り玉にして欲しい、の意。
○(4103)の歌は海人への真珠採りの懇請歌。
○(4104)「ちふ」は「といふ」の省略形。
○14105)「むがしくもあるか」(勇ましいことであろう) 、「むがしけむはも」(勇ましいことであるなあ)で真珠を採ってくれる(くれた)海人への言祝ぎの歌である。]

み越路のましろの鷹をうたに詠みて鄙のむすめは見かへりもせず

[やぶちゃん注:推測であるが、これは巻第19の4154及び4155番歌にインスパイアされたものではなかろうか。

   八日に、白き大鷹を詠める歌一首并びに短歌

あしひきの 山坂超えて ゆき更(かは)る 年の緒(を)ながく しなざかる 越(こし)にし住めば 大君の 敷きます國は 京師(みやこ)をも ここも同(おや)じと 心には 思ふものから 語り放(さ)け 見放(さ)くる人眼(ひとめ) 乏(とも)しみと 思ひし繁し そこゆゑに 心和(な)ぐやと 秋づけば 萩咲きにほふ 石瀨野(いはせの)に 馬だき行きて をちこちに 鳥踏み立て 白塗(しらぬり)の 小鈴(こすず)もゆらに あはせやり ふり放(さ)け見つつ いきどほる 心のうちを 思ひ伸べ うれしびながら 枕づく 妻屋の内に 鳥座(とくら)ゆひ 据ゑてそ吾が飼ふ 眞白斑(ましらふ)の鷹

矢形尾(やかたを)の眞白の鷹を屋戸(やど)に据ゑかき撫で見つつ飼はくしよしも

以下、簡単な語注を附す。因みに、私はこの越中国府跡の地高岡市伏木に、青春時代、6年間住んだ。
○「思ふものから」「ものから」は逆接の接続助詞で、京もこの越中も、帝がお治めになる土地という点で同じとは言うものの、の意。
○「語り放け……」は、この越中の地はあまりに鄙(ひな)で淋しく孤独で、親しく語り合う、見つめ合うことの出来る人が遠く避け離れて、いないことを嘆く。
○「石瀨野」一般の注では当時の新川郡の地名とするが、国府のあった現在の高岡市伏木の外れにある岩瀬ととりたい。私の家はこの近くにあった。
○「馬だき」の「だき」は「たき」で、操る、駆けるの意。
○「鳥踏み立て」は、野中に馬を駆け入れて鳥を追い立てることを言う。
○「白塗」銀鍍金(メッキ)。
○「あはせやり」は、鈴を附けた矢を放って鷹を追う家持が、その矢とその鷹とを互いに争はせるといった意味合いである。
○「枕づく……」以下、次の短歌を含めて、独り身の淋しさを鳥籠の中で白い斑(ふ)を持った優美な鷹を飼うことで癒す、といった描写である。
廣子はこの長歌の最後や短歌のイメージを、斑(ふ)を持った優美な白鷹=粗野ながら魅力的な自然児の鄙の娘への、家持のラヴ・ソングとして換骨奪胎したのではあるまいか。識者の御批評を乞う。]

鳴きとよむ雉子(きぎす)のこゑを聞きながら朝かすむ山を見てゐたりけり

[やぶちゃん注:これは巻第19の4148及び4149番歌を主調とする。

   曉(あかとき)に鳴く雉(きぎし)を聞ける歌二首

杉の野にさ躍る雉いちしろく音にしも哭(な)かむ隠妻(こもりづま)かも

足引の八峯(やつを)の雉 鳴き響(とよ)む 朝明(あさけ)の霞見ればかなしも

最初の歌は、一人寝の作者が悶々として寝られずに朝を向かえ、そこに雄の雉が雌を呼ぶ声を聴いての歌であろうか。人知れず隠しおいた妻であるはずの女を呼ぶお前は、その鳴き声でそれが人に知られてしまっているよ、それほどに、私のごと、妻が恋しいか、という感じであろうか。もっと違ったシチュエーションでセクシャルな意味合いも感じられないではないが、穏当にそう解釈しておきたい。]

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