フォト

カテゴリー

The Picture of Dorian Gray

  • Sans Souci
    畢竟惨めなる自身の肖像

Alice's Adventures in Wonderland

  • ふぅむ♡
    僕の三女アリスのアルバム

忘れ得ぬ人々:写真版

  • 縄文の母子像 後影
    ブログ・カテゴリの「忘れ得ぬ人々」の写真版

Exlibris Puer Eternus

  • 僕の愛する「にゃん」
    僕が立ち止まって振り向いた君のArt

SCULPTING IN TIME

  • 熊野波速玉大社牛王符
    写真帖とコレクションから

Pierre Bonnard Histoires Naturelles

  • 樹々の一家   Une famille d'arbres
    Jules Renard “Histoires Naturelles”の Pierre Bonnard に拠る全挿絵 岸田国士訳本文は以下 http://yab.o.oo7.jp/haku.html

僕の視線の中のCaspar David Friedrich

  • 海辺の月の出(部分)
    1996年ドイツにて撮影

シリエトク日記写真版

  • 地の涯の岬
    2010年8月1日~5日の知床旅情(2010年8月8日~16日のブログ「シリエトク日記」他全18篇を参照されたい)

氷國絶佳瀧篇

  • Gullfoss
    2008年8月9日~18日のアイスランド瀧紀行(2008年8月19日~21日のブログ「氷國絶佳」全11篇を参照されたい)

Air de Tasmania

  • タスマニアの幸せなコバヤシチヨジ
    2007年12月23~30日 タスマニアにて (2008年1月1日及び2日のブログ「タスマニア紀行」全8篇を参照されたい)

僕の見た三丁目の夕日

  • blog-2007-7-29
    遠き日の僕の絵日記から

サイト増設コンテンツ及びブログ掲載の特異点テクスト等一覧(2008年1月以降)

無料ブログはココログ

« HP鬼火開設4周年 | トップページ | 前田青邨「洞窟の頼朝」 »

2009/06/27

江南游記 二 車中(承前)

       二 車中(承前)

 その中(うち)に汽車は嘉興(かこう)を過ぎた。ふと窓の外を覗いて見ると、水に臨んだ家家の間に、高高と反つた石橋がある。水には兩岸のの白壁も、はつきり映つてゐるらしい。その上南畫に出て來る船も、二三艘水際に繋いである。私は芽を吹いた柳の向うに、こんな景色を眺めた時、急に支那らしい心持になつた。

 「君、橋がある。」

 私は大威張りにかう云つた。橋ならばまさか水牛のやうに、輕蔑されまいと思つたからである。

 「うん、橋がある。ああ云ふ橋は好かもんなあ。」

 村田君もすぐに賛成した。

 しかしその橋が隠れたと思ふと、今度は一面の桑畑の彼方に、廣告だらけの城壁が見えた。古色蒼然たる城壁に、生生しいペンキの廣告をするのは、現代支那の流行である。無敵牌牙粉(むてきはいがふん)、雙嬰孩香姻(さうえいがいかうえん)、――さう云ふ齒磨や煙草の廣告は、沿線到る所の停車場に、殆(ほとんど)見えなかつたと云ふ事はない。支那は抑(そもそも)如何なる國から、かう云ふ廣告術を學んで來たか? その答を與へるものは、此處にも諸方に並び立つた、ライオン齒磨だの仁丹だのの、俗惡を極めた廣告である。日本は實にこの點でも、隣邦(りんぽう)の厚誼を盡したものらしい。

 汽車の外は不相變、菜畑か桑畑かげんげ野である。どうかすると松柏の間に、古塚(ふるつか)のあるのが見える事もある。

 「君、墓があるぜ。」

 村田君は今度は橋の時程、私の興味に應じなかつた。

 「我我は同文書院にゐた時分、ああ云ふ墓の崩れたやつから、度度頭蓋骨を盗んで來たですよ。」

 「盗んで來て何にするのですか?」

 「おもちやにし居つたですよ。」

 我我は茶を啜りながら、腦味噌の焦げたのは肺病の薬だとか、人肉の味は羊肉のやうだとか、野蠻な事を話し合つた。汽車の外には何時の間にか、莢になつた油菜(あぶらな)の上に、赤赤と西日が流れてゐる。

[やぶちゃん注:

・「嘉興」現在の嘉興市は浙江省東北部に位置し、西を杭州市と、東北を上海市と、北を江蘇省蘇州市と接し、南は銭塘江(せんとうこう)と杭州湾に面する。上海と杭州のほぼ中間点に当たる。古くから陸稲の産地であり、現在も江南最大の米の産地として知られる。南湖菱でも有名。

・「好かもんなあ」村田孜郎は佐賀県出身であるため、会話の中にその方言がしばしば現れる。

・「無敵牌牙粉」歯磨き粉の商標。「無敵印歯磨き粉」。

・「雙嬰孩香姻」「嬰孩」は嬰児・乳児・赤ん坊のことであるから、「ツイン・キューピー煙草」「双天使煙草」といった感じの煙草の銘柄である。

・「同文書院」東亜同文書院のこと。日本の東亜同文会が創建した私立学校。東亜同文会は日清戦争後の明治311898)年に組織された日中文化交流事業団体(実際には中国進出の尖兵組織)で、日中相互の交換留学生事業等を行い、明治331900)年には南京に南京同文書院を設立、1900年の義和団の乱後はそれを上海に移して東亜同文書院と改称した。後の1939年には大学昇格に昇格、新中国の政治経済を中心とした日中の実務家を育成したが、1946年、日本の敗戦とともに消滅した。村田孜郎はこの東亜同文書院出身であった。

・「腦味噌の焦げたのは肺病の薬だ」以下、第二次世界大戦で中国を侵略した日本兵の異常なる蛮行を綴った以下のページ(タイトル「脳を食った話」)

http://www.geocities.jp/yu77799/nicchuusensou/nou.html

に「歩一〇四物語」より以下の記事を引用する(本ページは冒頭左に「非公開」とあるため、リンクを貼らず、トップ・ページやHP及びHP製作者の名も伏せることとする)、

 Aの妹は肺病(結核と思うが)である。Aは両親がなく妹と二人だけであった。不治の病と宣告されていた。妹の病気には脳の黒焼がいいということを聞いていた。彼は敵兵の脳をひそかにとって、おぼろげな話をたよりに黒焼を作って凱旋の日を待った。

HPの製作者の別ページによれば「歩一〇四物語」は昭和441969)年発行。主に歩一〇四物語刊行会事務長門馬桂氏が執筆。当時の愛知揆一外務大臣・山本壮一郎宮城県知事や同連隊の実質的な指揮者であった山田栴二元旅団長らが揮毫や推薦の言葉を寄せている、とある。上記該当ページには他にも詳細な日本兵による中国人の脳の喫食事件が他の証言者の記録から引用されている。但し、相当に凄惨な内容である。お読みになる場合は、相応な覚悟が必要であることを申し添えておく。しかし、このおぞましさも村田が髑髏を弄んだことといささかの径庭もないと、私は感ずるものである。

・「人肉の味は羊肉のやうだ」人肉は古く仏教では鬼子母神説話から柘榴の味が挙げられ、また枇杷の味とも聞いたことがある。一般には豚肉や鶏肉に近い味であるなどと言われるが(最も近年に食した佐川一政は鶏と言っていたように記憶する)、中国語で人肉を「二脚羊」「双脚羊」と言う話はよく聴く。但し、これだけの雑食と合成物質を食している現代人の人肉は、極めて高い確率で、まずい、と思われる。]

« HP鬼火開設4周年 | トップページ | 前田青邨「洞窟の頼朝」 »