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2009/08/11

夢野久作「氷の涯」終章

【2015年7月2日追記】夢野久作の「氷の涯」を読みたく思われてこの記事に来られた方へ――僕のこのブログのブログ・カテゴリ「夢野久作」ではもうじき、「氷の涯」(正字正仮名初出形)の全文電子化と注釈が終了します。どうぞ、そちらへ!【2015年7月6日追記】「氷の涯」ブログ版を終わりました。同時に夢野久作「氷の涯」PDF縦書版(2.34MB)――ルビ・オリジナル注・全挿絵五葉附――を公開しましたので、こちらでお読み戴きますように!



……

「お前と一緒に逃げたお陰で、とうとう結末がついちゃったね」
 ニーナはプイッと拗(す)ねたような恰好でペーチカの方に向き直った。そうして思い出したように、梨の喰いさしとナイフを頭の上に高々とさし上げて、
「……あァあ、妾の仕事もおしまいになっちゃったァ。……アンタに惚れたのが運の尽きだったわよ」
 といううちに又もガリガリと梨を嚙り始めるのであった。
 僕はうまい葉巻の煙を天井に吹き上げていた。気のせいか又も二、三発、停車場の方向で銃声を聞いたように思いながら……。
 病気のせいもあったろう。すべてを諦め切っていた僕の神経はこの時、水晶のように静かに澄み切っていた。そうしてこの時ぐらい煙草がうまいと思ったことはなかった。天井から吊した十燭の電燈が、ちょっと暗く……又明るくなった。
 その時にニーナは又も、新しい小さい梨を一つポケットから出して、今度は丁寧に皮を剥いた。そうしてその白い、マン丸い、水分の多い肌合いを暫くの間ジッと眺めまわしていたが、やがてガブリと嚙みつくと、スウスウと汁を畷り上げながら無造作に言った。
「ねえアンタ」
「何だい」
「……妾と一緒に死んでみない……」
 僕はだまっていた。ちょうど考えていたことを言われたので……。
「ねえ。……ドウセ駄目なら銃殺されるよりいいわ。ステキな死に方があるんだから……」
「フーン、どんな死に方だい」と僕は出来るだけ平気で言った。少しばかり胸を躍らせながら……ところが、それから梨を嚙み嚙み説明するニーナの言葉を聞いているうちに僕はスッカリ興奮してしまった。表面は知らん顔をして葉巻の煙を吹き上げ吹き上げしていたが、恐らくこの時ぐらい神経をドキドキさせられた事はなかったであろう……。
 僕はニーナの話を聞いているうちに、今の今までドンナ音楽を聞いても感じ得なかった興奮を感じた。僕の生命の底の底を流れる僕のホントウの生命の流れを発見したのであった。……そうして全然生まれ変ったような僕自身の心臓の鼓動を、ガムボージ色に棚引く煙の下にいきいきと感じたのであった。
 ニーナはその晩から部屋を飛び出して準備を始めた。そうして昨日の午前中に三階に住んでいる中国人崔の手を経て、馬つきの橇を一台手に入れる約束をした。それから宿の払いと買物をした残りのお金で、昨夜から今日一日じゅう、御馳走を食べ続けて無煙炭をドシドシペーチカに投げ込んだ。
 僕は病気も何も忘れてこの遺書を書き始めた。発表していいか悪いかを君の判断に任せるために……もっとも書きかけの西比利亜漂浪記の中から抽き出して書いたのだから、大して骨は折れなかった。
 ニーナはまだ編物を続けている。寄せ糸で編んだハンド・バッグみたようなものが出来上りかけている。
 注文した馬と橇はモウ下の物置の中に、鋸屑を敷いて繋いで在る。張り切っている若馬だから一晩ぐらい走り続けても大丈夫だと、世話をしてくれた崔が保証した。
 僕らは今夜十二時過にこの橇に乗って出かけるのだ。まず上等の朝鮮人参を一本、馬に嚙ませてから、ニーナが編んだハンド・バッグに、やはり上等のウイスキーの角瓶を四、五本詰め込む。それから海岸通りの荷馬車揚場の斜面に来て、そこから凍結した海の上に、辷り出すのだ。ちょうど満月で雲も何もないのだからトテモ素敵な眺めであろう。
 ルスキー島をまわったら一直線に沖の方に向って馬を鞭打つのだ。そうしてウイスキーを飲み飲みどこまでも沖へ出るのだ。
 そうすると、月のいい晩だったら氷がだんだんと真珠のような色から、虹のような色に変化して、眼がチクチクと痛くなって来る。それでも構わずグングン沖へ出て行くと、今度は氷がだんだん真黒く見えて来るが、それから先は、ドウなっているか誰も知らないのだそうだ。
 この話はニーナが哈爾賓にいるうちにドバンチコから聞いていたそうで、そのドバンチコは又、ある老看守から伝え聞いていたものだそうだが、大抵の者は、途中で酔いが醒めて帰って来るそうである。又年寄りの馬はカンがいいから、橇の上の人間が眠ると、すぐに陸の方へ引返して来るそうで、そのために折角苦心して極楽往生を願った脱獄囚が、モトの牢屋のタタキの上で眼を醒ました事があるという。
「……しかしアンタと二人なら大丈夫よ」
 と言って彼女が笑ったから、僕はこのペンを止めて睨みつけた。
「もし氷が日本まで続いていたらドウスル……」
 と言ったら、彼女は編棒をゴジャゴジャにして笑いこけた。

(三一書房1969年刊「夢野久作全集3」より)

夢野久作「氷の涯」のエンディングである。

僕の好きな夢野久作の、その中でも格段に好きな、僕の拘縮した指が凍って痛みもなく切れんとするような慄っとする程美しく素敵なエンディングだ――

*やぶちゃん語注:「ガムボージ色」“Gamboge”:インドシナ半島に植生するオトギリソウ科の雌黄樹から採る透明感のある黄又は黄褐色のガム樹脂。有毒。

それは丁度――

バッハの「平均律クラヴィア曲集第1巻前奏曲第1番ハ長調」とともにが雪原の彼方に消えてゆくグレン・グールド――

「シテール島への船出」のラスト・シーン、桟橋に乗ったまま朝霧の海彼へと流れて去ってゆくスピロとカテリーナの老夫婦――

……僕らは今夜十二時過にこの橇に乗って出かける……

……上等の朝鮮人参を一本、馬に嚙ませてから、ニーナが編んだハンド・バッグに、やはり上等のウイスキーの角瓶を四、五本詰め込んで……

……海岸通りの荷馬車揚場の斜面に来て、そこから凍結した海の上に、辷り出す……

……ちょうど満月で雲も何もない……

……トテモ素敵な眺め……

……ルスキー島をまわって一直線に沖の方に向って馬を鞭打つ……

……そうしてウイスキーを飲み飲みどこまでも沖へ出る……

……月のいい晩……

……氷がだんだんと真珠のような色から、虹のような色に変化して、眼がチクチクと痛くなって来る。それでも構わずグングン沖へ出て行く……

……氷がだんだん真黒く見えて来る……

……それから先は、ドウなっているか……誰も知らない……氷の涯 だ――

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