詩集「鶴」を評す(主としてその読者のために) 尾形亀之助
「鶴」は鶴であらう。だが、この「鶴」は××将軍××戦争ガイセンの帰途朝鮮よりもち来りて奉納せしもので、よく田舎の神社の裏庭などにゐる種の鶴の感じがするのである。
福士さんはこれの序に、室生君のこの頃の詩は深さを加へて行つてゐると言つてゐられるが、それは当然さうあるべきことであつて、如何に深さを加へたかゞ問題である。又老成といふことは読んで字の如くである。老して成らざるもあるのであるが、老して老成することはごくありふれたことでしかない。すくなくも珍らしいことでも難有いことでもない。詩集「鶴」に就て、詩壇はこれをよい詩集であると批判した。この批判はこの詩集に就て詩壇が全く無批判であることより数倍よいことであつた。しかし、何故よいのであるかを知らうとは気付かなかつたのだと私は思つてゐる。
私は詩集「鶴」が何故わるいかを、諸君がこの詩集をよいと言つたのと同じ意味で述べなければならない。
しぶ味のある着物を着たゝめに、その人がしぶ味のある人間になるのであつたら、その人は人といふより着物に近いものなのであるだらう。この著者がステツキをついてゐる場合は、そのステツキが彼にはよすぎるためにステツキと一緒に歩いてゐる感じがするのである。そして、この著者は頰の辺にその緊張を表すのであるが、それが見た眼には如何にも焦燥そのもののやうにうけとれる。どうすれば偉くなれるか――といふ焦燥、遅れまいとする焦燥なのであらう。この人が映画の時評などをするのは、その焦燥であるところの認識不足からくるのである。又、この人の焦燥はこの人をして袴にチヨコレート色の靴(黒でないところがハイカラの意)網の靴下といふ姿で街を歩かせることになるのである。
老成などといふことは第二に、この人はもつと勉強しなければいけない。前述の映画時評のことに就ても、多少好きであるのかも知れないが、たいしてわかつてはゐない。書けば金になるから、書いてあるから読む人がある――から書くといふだけのことであらう。(文章以前といふ詩の前半に彼の言つてゐるが如くに――多少はあたつてもゐるのである――)
そして又七十歳八十歳の老人には映画時評が出来ない――つまりは映画時評をやることが新しい仕事で、それをやる人も当然新しいといふことになるからであらう。
又、例へば、彼が自ら作つた庭をこはしたからといつて、その作ることもこはすことも更に価値のあることがらではなく、そのまゝを写生したところがよい作品にはなるまい。子供がツミ木をかさねてくづすのと同じでしかない。彼がもしそれだけですら自身のすることに価値を感じてポウツとするのだつたら、たしかにしよつてゐることになるであらう。
彼は今他の人々へ教へる(文語るべき)何ものをも持つてはゐない。彼は現在の状態では当然職を失くした失業者でなけれはならない。(表面に立つて仕事などをせずに居食をすべきである。)もし彼が、自身よりもなほわるい人達だつて立派にやつてゐる――といふやうなことを思ふのであつたら、もはやわれわれの路を歩いてゐる人ではない。
× ×
我は張り詰めたる氷を愛す。
斯る切なき思ひを愛す。
我はその虹のごとく輝けるを見たり。
斯る花にあらざる花を愛す。
我は氷の奥にあるものに同感す、
その剣のごときものの中にある熱情を感ず。
我はつねに狭小なる人生に住めり、
その人生の荒涼の中に呻吟せり、
さればこそ張り詰めたる氷を愛す、
斯る切なき思ひを愛す。
「切なき思ひぞ知る」――この作品は少しばかりの嘘と彼の言葉とで出来あがつてゐる。そのほかにふくまれてゐるのはこれで詩になると思つた彼の経験とでも言ふべきものである。
「老乙女」――思ひあがつたことである。詩を抛つなどといふことや、我がために最後の詩を与へよなどといふことは思ひあがつたことである。彼自身無言のうちにかう思つたのならば幾分同情せぬでもないが、これをそのまゝに一個の新詩篇として見せられるのであつてはかなはぬ。彼にかうした生活があるのならあるやうに他の作品の中に現るべきであるであらう。
「何者ぞ」「埃の中」――共に力のない詩篇である。共に半ばな表現である。「何者ぞ」には足がなく「埃の中」は胴だけしかない。
我は彼女を、蹴飛ばせり。
曾て彼女の前にうづくまりし我は
眉を上げて彼女を蹴飛ばせり、
彼女は蹴飛ばされながら微笑ひ
追ひ詰められ
山の上のごときものの上に坐せり、
彼女はなは自らを護りて坐して笑へり、
我はなほ彼女を蹴飛ばさんため、
その山に攀ぢ登らんとす、
我は足を上げて遂に山を蹴飛ばせり。
「彼女」言つてゐることが誠に古い。そしてかうした詩篇には昔ながらに耳くそほどの内容もないのである。かうしたものを「詩」と思ひ込んでゐた人々のゐた時代が昔にあつた。
「文章以前」――文章以前とは如何なる意味であるのか。この詩篇も少しばかりの嘘をもとでににして書いてゐる。前半に就てはこの一文の書き出しに利用した。後半も亦前半に同じいのである。会話として訪ねて行つた人にでも話せばよいのであつて、詩とするまでもないのである。
「彼と我」――これもつまらない。その者は長き髪を垂れ……暗夜とともに没し行けりなどとこけおどかしをしてゐる。こんなことはまねぬがよい。このことばかりではなく、まねることは青年をそのまゝ無能の老年にしてしまふことでゝもある。自分がある以上は自分のものがあるのである。
「星の断章」――夢にでもみたことなのであらうか。それとも星の断章とはかういふのなのだらうか。室生犀星といふサインがあれば如何なる作品でも救はれるであらうか――。
「情熱の射殺」――何んと形容の多いことであらう。そればかりではない。こゝを出発点として詩が書かれるべきなのである。
己は思ふ
冬の山々から走つて出る寒い流れが、
海を指して休む間もなく
我々の住む人家の岸べを洗つて過ぎるのを思ふ。
人家の岸べに沿うて瓦やブリキや紙屑が絶えず流れてゆく。
海はかれらを遙か遠くに搬ぶであらう、
波は知らぬ異境に瓦やブリキを打ちあげて行くだらう、
そこにも人は住んで岸べにむらがり、
瓦やブリキを拾ひ上げ打眺めるであらう。
我々の現世と生活は解かれ記されるであらう。
その波はまた我々の人家に捲き返し煙れる波を上げ
遙かに戻り来るものの新鮮さで
我々を呼びさますであらう。
我々は答へるであらう。
そして彼等の言葉であるところのものを、
朝日の耀く岸辺に佇み読むだらう。
「人家の岸辺」――どうも何のことなのだかまるでわからない。下手な童話を読まされてゐるやうなものである。
「垣なき道」――無難ではあるが、うはずつてゐるつまりおちつきがないのである。著者は佳作とでも思つてゐるのであらう。
「友情的なる」――友情的に見てクセのない作品である。何者かに、――この何者かにを作者はわかるだけわかつてゐない。便所に於けるダツプンの如くこゝに書かれてあるに過ぎない。
「我は」――つまらない。大勢のなかには感心する者もあらう。後その人々とこの作者は仲よく同人雑誌でもやるのであらうか。
「断層」大げさな材料である。言ひ表しが誇張されてゐるのは旧式な詩作術のしからしめるためなのであらう。
「彼女」――これとほとんど同じもので、同じやうなものを二十歳を越したばかりの少年が、三四年ほど以前に書いてゐたのを覚えてゐる、そのやうな意味でゝも、読むに堪えないやうな同人雑誌であると思つても、勉強になるのだからがまんをして読んでみるがよいのだ。言はぬことではない――。
「巨鱗」――巨麟とは何を言はふとしてゐるのか、老幹・城・鉄・大木・群・掻・厳・逆立などの字があるがいつかうに「巨」を感じないのである。これは作者が下手でも絵がかけるのだつたら間違つても詩にしてはならないところであつた。
愛すること少なかりし老も老いたり
老いてなほ愛さんとするものも空しくなりぬ、
我の汝らに問わんことは汝らの知れるところ、
我の再び思ひ惑へるところのものも
汝らの曾ての愛情の中に漂へり、
我の為すべきことは何か、
我の愛さんとするものは何ものか、
我は老いたる汝を突き墜してその記録を滅せんとす、
愛すること少なかりしものの道を展かんとす。
「斯く汝等に語る」――よい詩篇である。立派でもある。もし集中一筋の佳作をも見出し得なかつたら、筆者は自らの頭脳をあやしまなければならなかつたであらう。これで筆者も安心したといふものである。前記十六篇、そしてこの一篇とは、多すぎるは駄作である。本篇終りの一行は駄足なり。
「真実なる思想」――これはいかん。型ばかりで何も言はなかつたからいかんといふのではない。これがどういふわけで詩であるのかを先づ考へてもらひたい。詩作のときに、のぼせたり必要以上に冷静であつたり自身の言葉を神(?)の如く思つたりしてはこまる。
詩よ亡ぶるなかれ、
詩よ生涯の中に漂へ、
我が囈言も亡びることなかれ、
我が英気よ運命を折檻せよ、
行き難きを行け、
詩よ滅ぶるなかれ、
我が死にし後も詩よ生きてあれ。
汝の行ふべきものを行へ。
「行ふべきもの」――これもいけない。詩聖といふやうなものになつてはいけない。このやうなものはがまんをして書かない方がいい。白い髯があごに生えて来たらそるがよい。
「己の中に見ゆ」――百パアセント人生詩篇とでも言ふべきか誠に古めかしい詩篇である。そしてよいところがちつともないのである。
「十人の母親」――佳篇と言つてしまはふや。こんなものを読まされては可哀いさうに筆者はあきてしまつたのだ。
「メイ・マツカアボーイ」――わるい映画ではない。唯、本篇の題が必らずしもメイ・マツカアポーイでなくとも通用する。コーリンムアーでも又はクララ・ボーでもよいのである。松竹辺のでこでこスターを本篇をもつて飾りたい炭屋の小僧もあるであらう。
「凍えた頭」――これはこれだけの詩篇、よしあしはない。つまり第三者にとつてあつてもなくてもよいのである。唯、その頭があまりよくないといふことだけはわかるのです。
×
以上で「文章以前」を終る。この篇は集中最も新しい作品であると著者が言つてゐる。私はこれで筆を置く。詩集の約五分の一である。この他「大山脈の下」「朝日をよめる歌」「雲と雲との間」「鶴」「――」「――」――などの九篇二百頁の大さつである。
(附記)
春山行夫は『「鶴」を評す』の一文を「詩と詩論」は若い人のためになるための雑誌であるから掲載出来ないと言つてよこした。私はそれに感心出来ないと返事を書いた。「詩と詩論」及び春山行夫君の仕事に就て私は私自身の批判をもつてゐる。ニツケのピースでもなめるやうに、小々滑稽なことではあるが、彼に対する侮辱でない意味で私は彼の顔の前で舌を出してもいゝのである。
×
又、大変間のぬけた話であるが、私が「氾濫」の仲間の一人になることをあまり恰好でないといふやぅな意味のことを言つた友人がゐる。それが誰であったのか思ひ出せないのだが困つたことを言ふものだと私は思ふ。「氾濫」だからといつて何も一つ川の水だといふのではなからうに。そして佐藤のやう肥つたのや藤井といふ大きいのや赤松といふ瘠たのや福富など眼鏡をかけたのや神戸といふ色の白いのや鳥山だとかその他誰が同人なのか知らないのだがまだその他の色々なのがてんでに鼻唄を唄ふのだ。その中にまじつて私がやつぱり鼻唄かなんかやつてゐたところで何んでもないではないか。どうせあまり悧口でないのがそろつてゐる国なのだ。勿論、時折休刊したところで、真面目になつてそれに反対するとか、ふんがいするとかといふ人物もまあない筈だ。私が真面目になつて何か例へば自由詩の講座をやり出したところが同人の誰もが何んとも言はないのだからうれしい(何がうれしいのか少し変)のだし、規約があつたとしてもこの人達には役に立たないといふことも少しは面白いではないか。さよなら。
(氾濫再刊号 昭和4(1929)年10月発行)
[やぶちゃん注:本篇は室生犀星(明治22(1889)年~昭和37(1962)年)が昭和3(1928)年に素人社書屋から刊行した詩集『鶴』の詩評である。著作権は存続しているが、本詩集は国文学研究資料館の「近代書誌データベース」の詩集『鶴』の画像(高知市民図書館近森文庫蔵)でその全ページを閲覧出来る(以下の引用はそれを元にした)。本篇は底本とした1999年の増補改訂版「尾形亀之助全集」の増補された補遺に掲載されている。底本では引用詩部分はポイント落ちとなっている。
・「××将軍××戦争ガイセンよりもち来りて奉納せしもので、よく田舎の神社の裏庭などにゐる種の鶴の感じがする」は、「乃木将軍日露戦争凱旋」か。検閲によるものか、或いは筆者又は出版社による自主的伏字かは不明。後半部はまず、装丁者恩地孝四郎描く表紙及び背表紙にかかった如何にも図案化された化鳥(私にはそう見える)みたような鶴を指していよう。更には詩集題名となっている「鶴」の詩の持っている雰囲気――昔からよく出会う夢の中の自分を教えるような位置にいる婦人、梅の香と老木故の嗜好、それが自分の田舎女の母映像と重なるエスキース風の詩の雰囲気を揶揄しているものとも思われる。
・「福士さん」福士幸次郎(明治22(1889)~昭和21(1946)年)詩人。佐藤紅緑(こうろく)門下。大正3(1914)年に口語自由詩の処女詩集『太陽の子』を自費出版。文芸の地方主義・方言詩を提唱した。
・「室生君のこの頃の詩は深さを加へて行つてゐると言つてゐられるが、それは当然さうあるべきことであつて、如何に深さを加へたかゞ問題である。又老成といふことは読んで字の如くである。老して成らざるもあるのであるが、老して老成することはごくありふれたことでしかない。すくなくも珍らしいことでも難有いことでもない。」『鶴』の序文冒頭で福士幸次郎は『室生君のこの頃の詩は深さを加へて行つてゐる』と記し、以下、『けはしい』程、『人間世界の暗さに』貫入している、『あるものは險惡』、『あるものは森巖』、ともかくも『そのどれにせよ一流の行き方をしてゐる。』と結んでいるのを、皮肉に受けている。尾形の叙述はあたかも「老成」という語を福士が序文で用いているような錯覚を思わせる、不用意な書き方である。
・「文章以前といふ詩の前半に彼の言つてゐるが如くに」詩「文章以前」は二連からなる。
その第一連原典は以下の通り。
自分は行き詰つてゐるやうだが、
何時の間にか茫々たる何處かの道に出てゐる。
自分はもう書けないかと惑ひながら
やはり何物かを書いてゐる。
自分は書くごとに何かを發見けて行く
文章なぞ自分には既う要らないことに氣がつく。
「発見」には傍点があり、その傍点は「○」である。「發見けて」は「みつけて」、「既う」は「もう」と読む。
・「例へば、彼が自ら作つた庭をこはしたからといつて、……」これは恐らく室生がこの詩集の巻頭口絵に自分の家の庭の写真を掲載し、それに『過去の庭園』というタイトルを附していることを揶揄したものである。
・『「切なき思ひぞ知る」』尾形は全詩を引用している。文字に誤りはないが、6行目の末は句点ではなく読点である。
× その剣のごときものの中にある熱情を感ず。
○ その剣のごときものの中にある熱情を感ず、
逆に9行目の末は読点ではなく句点である(「剣」は原典では「劍」)。
× さればこそ張り詰めたる氷を愛す、
○ さればこそ張り詰めたる氷を愛す。
苟しくもこれほど完膚無き迄の酷評をするならば、引用はせめて正しくすべきである。それが読解した上での正しき反論の在り方である、と私は思う。その点で尾形亀之助は正しく低劣な礼儀知らずである、と私は思う。
・『「老乙女」』は「をいたるをとめ」と読む。その冒頭で犀星は『我は詩を抛たんとす。』と叫び、枯れ老いた森羅万象に接しながら詩想が湧き上がらないことを焦燥、その最後を
我の唯切に念ふは
我がために最後の詩を與へよ
滅びゆく美を與へよ
いま一度我を呼ぶものに會はしめよ、
寒流を泳がむことを辭せず、
いま一度會はしめよ
老いたる乙女のごとき詩よ立ち還れ。
という詩句で閉じたもの。「老乙女」は老いたる(枯渇した)ミューズの謂い。
・『「彼女」』全詩誤りなく引用している。この彼女もミューズ。
・「後半も亦前半に同じいのである。会話として訪ねて行つた人にでも話せばよいのであつて、詩とするまでもないのである。」全二連の「文章以前」第二連は、先に掲げた第一連のスランプの詩人が冬の道端で、鋭い枝が塀の上に突き出てゐるのを見つけて、
自分に要るのは此の鋭い枝だけだ、
枝と自分との對陣してゐる時が消えてしまへば、
もう自分の文章も詩も滅びた後だ。
と結んでいる。
・「その者は長き髪を垂れ……暗夜とともに没し行けり」は、間に「……」を挟むために誤解されるが、原詩では分離した詩句ではなく、冒頭の4行を示せば、
我は何者かと我が有てるものを交換せり。
その者は長き髮を垂れ
暗夜とともに没し行けり。
常に星のごとく明滅す。
と、おどおおどろしい何者かと『死のごとく苦しきものを交換』したと終わる。この詩、尾形ならずとも、なんじゃ、こりゃ? と言いたくなる代物である。
・「人家の岸辺」全詩が引用されている。
2行目の末尾には読点はない。
× 冬の山々から走つて出る寒い流れが、
○ 冬の山々から走つて出る寒い流れが
第二連の3行目も末尾に読点はない。
× そこにも人は住んで岸べにむらがり、
○ そこにも人は住んで岸べにむらがり
第二連6行目の「煙」は字が違う。
× その波はまた我々の人家に捲き返し煙れる波を上げ
○ その波はまた我々の人家に捲き返し烟れる波を上げ
・『「彼女」』たった4行の詩である。彼女は『ヤサシキ』建築を持ってい、この世の終末にあっても『そのヤサシサは亡びず』、『彼女は菫のごとく匂へり、』と終る(読点はママ)。
・『「斯く汝等に語る」』1行目の末尾の読点が脱落している。
× 愛すること少なかりし老も老いたり
○ 愛すること少なかりし老も老いたり、
3行目の「問わん」「問ねん」(たづねん)の衍字。
× 我の汝らに問わんことは汝らの知れるところ、
○ 我の汝らに問ねんことは汝らの知れるところ、
終わりから2行目の「て」は衍字。
× 我は老いたる汝を突き墜してその記録を滅せんとす、
○ 我は老いたる汝を突き墜しその記録を滅せんとす、
因みに前掲の「近代書誌データベース」の詩集『鶴』のコンテンツのリンクには不具合がある。該当詩は43コマ目で表示される。更に蛇足するならば、私はこの詩を佳篇とは思わない。
・『「メイ・マツカアボーイ」』はアメリカの女優の名前(映画の題名ではない)。May NcAvoy(1899~1984)。原詩から見て、ここで室生が詠っているのは彼女が出演した1925年公開のオスカー・ワイルド原作エルンスト・ルビッチ監督作品“Lady windermere's Fan”(ウインダミア夫人の扇)と思われる。本映画は“Comedy of Manners”(風俗喜劇)の傑作とされる作品である。
・『以上で「文章以前」を終る。この篇は集中最も新しい作品であると著者が言つてゐる』『鶴』自序に『卷頭の詩から頁を追うて製作の順位を示した。即ち卷頭の諸作品が最も新し』い、とある。
・「春山行夫」(明治35(1902)年~平成6(1994)年)詩人・評論家。本名市橋渉(わたる)。モダニズムからダダ・未来派・シュールレアリスム・フォルマリスムといったあらゆる近代詩の思潮を走り抜けた。『青騎士』『詩と詩論』(昭和3(1928)年創刊)『セルパン』などの著名な詩誌の創刊・編集でも活躍した。
・『「氾濫」』は岡山出身の僧職の詩人赤松月船(生田長江門下)が主宰した同人詩誌『朝』が改題した『氾濫』を指す。木山捷平・サトーハチロー・草野心平らもこの同人であった。
・「佐藤のやう肥つたのや」はママ。「佐藤のやう〔に〕肥つたのや」の脱字であろう。「佐藤」はサトウハチローか。
・「藤井」詩人藤井清士(生没年未詳)か。恐らく翻訳家でもある。
・「福富」詩人福富菁児(生没年未詳)か。大杉栄らとも関係があったアバンギャルド詩人である。
・「神戸」詩人神戸雄一(明治35(1902)年~昭和29(1954)年)であろう。偶然であるが、彼には晩年死を予感して詠んだ「鶴」という絶唱がある。
・「鳥山」不詳。『氾濫』についての識者の御教授を乞う。
・「ふんがい」はママ。]
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