傷ましき月評 尾形亀之助
私は「詩」を詩と言ひ得ない場合が多い。殊に言葉に言ひ表はす多くの場合は「詩といふもの」と言はなければ十分に言ひ表はせない。言葉を換へて言ふと、いはゆる「詩」とは私にとつて「詩といふもの」なのである。詩がわれわれの知るところの「詩型」によつて発達はしたが、そこから生れたものではないといふことを考へてゐるためであつて、三間も五間も離れて見て活字が判明しなくともその組が「詩型」であることだけで、それを詩であると言はなけれはならないのを遺憾に思ふからである。
「手をたゝくと音がする」それを詩だと思ふ野口氏は、それを詩であると思つたのだらう。それはそれで、全ての人々がさう思はなければならないのではないのだから、自分はさうしたことに抗議しやうとはちつとも思はない。手をたゝくと音がするのを詩だと言つた野口氏よりももつと変つたことを詩だと思つてゐる人があるかも知れない。又、手をたゝくと音がする云云と言つた野口氏は「詩とは何んであるか」と質問する人の鼻の先でポンと手をたゝいてこれが詩だと言つたとすれば、なるほどその時はそれでよいのではないかとも思へるではないか。それをふんがいする方がまけかも知れないではないか。なんだ馬鹿々々しいと笑ふべきであると思ふ。
次に、百田氏の「詩を散文に書け」は氏がさうした傾向の作品を発表してゐるから、百田氏はこのことを言つてゐるのだといふことがわかる。それだけでいゝのであるしそれだけのことでしかないのではなからうか。「詩を散文に書け」は散文に詩を入れろである。又、詩を散文で書けとも解せる。私にはそのどちらでもいゝのだが、「詩を散文では書けない」ことになる人もあらう。そんなことも私にはどうでもいゝことだ。私は詩型で詩はかけないから書かない。
もう一言かさねると、散文にも詩があり得る。小説、戯曲、音楽、建築にも詩はあり得る。そして、いはゆる詩型によつて書かれたものにも詩はあり得る。又、月にも花にも詩があり得る。だから散文にも詩がないこともあり、小説、戯曲、音楽、建築に詩がないこともあつた。そして、詩型によつて書かれたものにも同様である。だが、不幸なことにわれわれは「詩型」によつて書かれてゐるが故にそれを詩と言はなけれはならないことになつてゐる。もつと不幸なことには詩とはいはゆる詩型のことになつてしまつてゐる。
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〔詩神――六月号〕
(詩形に依る感想)南江二郎
これらの感想がなぜ詩形に依つたものか。幸ひに、詩でなくともかうした型があるといふ意味であるのなら、この感想がたとへつまらないものであつたとしても私のために喜びに耐へない。
(野中の欅)岡本潤
彼は野中の欅と話をしてゐる。彼は詩作的の技巧を必要としない。だから、もつとさうであることをよしとする。
(マルクスと人糞)田中清一
私は彼の詩を批評する用意をもたない。だが今月のはいくぶんさうでもなささうに感じた。マルクスを人糞の偉大なる料理人であらう――と言つて間違ひでなければ、この詩は間違ひではないだらう。
(心臓と肛門)こゝの神とは誰のことであるか。
(春)自殺は雑草のごとく繁茂する。桃の花は生殖に多忙である。脳髄は高気圧に狂奔する。――何んのことだかわからない。だが、もつと親切に見る人は見てもいゝだらう。
(思考)彼等(?)
(地上楽園)地上楽園(?)
(Theatre Merveilleux)富士原清一
わからないと言へばそれですむ。何故わからないかといふと、わかるところにわからないところがまじつてゐるからである。何処がわかつて何処がわからないかといふと例へば――更にこの劇場の観客を驚かせたのはこのとき突然に猛獣使ひが見えなくなつたことでありました だがこんなことで驚いたといふのは観客が彼等の無智を暴露した以外の何物でもありませんでした 無論 左様 最初から縞の着物を着て絹帽子を被つてゐた天使が縞の着物を着こんだ猛獣使ひに化けこんでゐたといふありふれた簡単な天使の筋書に過ぎませんよ 天使が鮮明な縞の燕尾服をひろげてこの劇場から飛び去るのを鼻眼鏡をかけた腹の太つた劇場の主人私が見逃しこはありますまいからねえ――は、わかる。だが、勿論これは一節にすぎないが、これはたゞの話に過ぎない。――果して劇場の屋根に天使の絹帽子が伏せてありました。さうして天使の絹帽子の下に天使の液体がありました。勿論天使の小便に違ひありませんでした 謙譲な天使 これは謙譲な天使の感動と天使の謙譲な礼儀を現はしてゐるものでありました――と、つゞいてゐるが、何んのことだらうと思ふ。そして、このわからなさが前の部分を詩化してゐるのではなからうかと想像するのである。
(村の祭)木内打魚
何んとなく困つた。彼はこの他(田園所感)(田家朝)を書いてゐる。むりに批評することをさけて、宮中御歌初めの御進詠を思はせる(田家朝)を引用する。
桔桿(はねつるべ)がぎいぎい
静かな朝に
動いてゐるよ!
民のかまどの炊烟も
樹間がくれに見へてるよ!
あゝ静かな朝だ!
みはたす限り春の野に
それらしい光が動くよ
おゝそれには梅の一枝だ!
桔桿がぎいぎい
又静かな野に動いてる!
(さみしい情感)大谷忠一郎
多少月並ではあるが、よい感情をもつてゐる。がわるいことに種類の異つた言葉がまじつてゐる。むだもあり細かすぎるくどぐもある。
(大風)の方がいゝかも知れないが。が、どちらも同じ作者である。
(群衆を見た)高橋辰二
彼はかつて「水葬」といふ新鮮な詩集を出してゐる。よい詩であるが、(踊り)の最後の光を見たりと同様に、これの最後の節群衆を見たは突然すぎる。
(百姓は貧乏してゐる)はいゝ。ここの同志よ! はちつとも突然ではない。
(自覚)伊藤花子
はつきりして、くどくならないのをよしとする。
(霜夜)杉山市五郎
オミツ卜する。(竹林)は大袈裟すぎてあまり変。(●)オミツトする。彼は詩とは何んであるかをもう一度考へてみた方がいゝやうだ。こんな詩を三頁ものせてゐるのはどうしたことか。
(椿)井上誠
椿の(二)がいゝ。が、すばらしくではない。だが、作者が男なのか女なのか。
(花をもてる少女)村野四郎
わるくはない詩篇である。だがなんと形容の多いことだ。そして、たえず湧きこばれる……などの類は古い。
(実体を失つた人)(私と私)折戸彫夫
面白くないこともない。かなりしつかりしてゐないこともない。だが、明日もこれだけではなるまい。どつちかといふと、この種のこのていどのものは、バタをつけたパンを左手に右手に鉛筆をもつて書いてゐる遊び位のつもりでゐて欲しいものだ。
(言葉は神なりき)大沢重夫
やゝ月並の感がある。それだけで他に感じるものがないことを残念に思ふ。
(聖者燃ゆ)前にやゝ同じ。
(明日を生むもの)大埜勇次
よい。兎に角よい。たしかでもある。だが何んとなく月並の感じがするのは何故か。
(悪魔の歌)前と同じく、これも十分にたしかさをもつてゐる。そして、大変きちようめんであることは(明日を生むもの)と同じである。はつきりした批評は私には出来ない。あゝ額は裂け――といつた調子でなく、もつと静かなのでかうした詩もみたいと思ふ。
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締切りが過ぎてゐるのに雑誌が出てゐない。不親切な批評ではあるが、こんなのも時にはいゝ筈であらう。又、私はこれを執筆するに不真面目ではなかつた。詩神六月号の詩評は私にはこれだけのことしか出来なかつた。
(詩神第五巻第七号 昭和4(1929)年7月発行)
[やぶちゃん注:「詩神」第五巻第六号を見るに若くはなしと思われるが、私には現在その余裕がない。文学史的に著名な詩人以外は、名前も知らない人物が多い。従ってネット検索に頼らざるを得ず、不確かな注記記載が多いのはお許し頂きたい。合わせて識者の御教授を乞うものである。
・「野口氏」姓だけで詩誌『詩神』の読者が認識出来、『詩神』に寄稿していた詩人、『「手をたゝくと音がする」それを詩だ』という禅味に富む詩論を鮮やかにポンと示せる当時の詩人は、野口米次郎か。尾形亀之助は後掲の「机」(これによって野口米次郎が『詩神』に寄稿していたことが知れる)で『西行や芭蕉やミルトンやブラウニングやに跌坐(あぐら)のかきやうを教へたい』と詩で公言し、『二三行でいゝものを十六行も書いて、その中で言訳けをしたり自分にはそれが出来ることを広告したりしてゐる』『変なところが典型的な老東洋人』として54歳の先輩詩人ヨネ・ノグチをこけおろしているが、『「手をたゝくと音がする」それを詩だ』という人物は正しく『西行や芭蕉やミルトンやブラウニングやに跌坐のかきやうを教へたい』『変なところが典型的な老東洋人』と揶揄するに相応しい人物のように私には感じられるが、如何? 野口米次郎(明治8(1875)年~昭和22(1947)年)。明治26(1893)年18歳で渡米、エドガー・アラン・ポーに傾倒する。明治29(1896)年処女詩集“Seen and Unseen”を刊行、明治37(1904)年に帰国し、明治39(1906)年より慶応大学英文学教授。帰国後は日本の伝統芸術に心酔した。
・「百田氏」詩人・児童文学者であった百田宗治(ももたそうじ、明治26(1893)年~昭和30(1955)年)であろうか。
・「南江二郎」(?~昭和57(1982)年)同姓同名名義で人形劇や仮面についての著作を多数見出せるが、生年は未詳。大日本図書の「日本児童文学大事典」に「南江治郎」なる人物が明治35(1902)年~昭和57(1982)年の生没年で詩人・人形劇研究家として掲載されているが、同一人物と考えてよいか。
・「岡本潤」(明治34(1901)年~昭和53(1978)年)はアナーキズム(後にコミュニズムに転向)詩人・脚本家。本名岡本保太郎。
・「田中清一」(明治33(1900)年~昭和50(1975)年)詩人。後に田中喜四郎と改名。本篇初出誌である詩誌『詩神』の出資者である(『詩神』の編集は福田正夫、実務は草野心平や尾形亀之助も馴染みである詩誌『銅鑼』の同人だった神谷暢が担当した)。
・「(Theatre Merveilleux)富士原清一」“Merveilleux”はフランス語で「不思議なこと」「驚異」「超自然現象」の意。富士原清一(明治41(1908)~昭和19(1944)年)は日本シュールレアリスムの先駆的詩人。上田敏雄・北園克衛らと雑誌『薔薇・魔術・学説』の創刊(昭和2(1927)年)及び編集に加わり、翌昭和3(1928)年には自らが発行人であった『馥郁タル火夫ヨ』と『薔薇・魔術・学説』が統合される形で成った超現実主義雑誌『衣裳の太陽』(全6冊)を発行したが、招集され南方にて戦死した。
・「木内打魚」詩人・翻訳家。生没年未詳。ネット検索ではミルトン「失楽園」・ワーズワース・ブラウニング等の訳者として名が見える。
・「大谷忠一郎」(明治35(1902)年~昭和38(1963)年)詩人。本名大谷忠吉。尾形亀之助も寄稿している昭和2(1927)年9月に発行された東北地方を代表する詩誌『北方詩人』の創刊者の一人で萩原朔太郎門下。
・「高橋辰二」(明治37(1904)年~昭和42(1967)年)『文芸戦線』を代表するプロレタリア詩人の一人。昭和7(1932)年8月の労農文学同盟の分裂後のプロレタリア作家クラブの名簿にその名を見出せる。
・『「水葬」』は昭和2(1927)年に横浜で出版されている。
・「伊藤花子」未詳。同姓同名者はいるが、確認出来ない。
・「杉山市五郎」詩人。生没年未詳。詩集『芋畑の詩』(昭和4(1928)年銅鑼社刊)や『飛魚の子』昭和9(1934)年とびうを社刊)等。
・「井上誠」詩人。生没年未詳。詩集『季節の風』(昭和2(1927)年詩洋社刊)。昭和44(1969)年に自治日報社から詩人井上誠なる人物がコーヒーの文化史「珈琲物語」という本を出しているが、同一人物か。
・「村野四郎」明治34(1901)年~昭和50(1975)年)第2詩集『体操詩集』(昭和14(1939)年アオイ書房刊)で文学史的にも著名な詩人。
・「折戸彫夫」(明治36(1903)年~平成2(1990)年)は詩人。詩集『虚無と白鳥POESIE 1926-1928』(昭3(1928)年ウルトラ編輯所刊)等。
・「大沢重夫」詩人。生没年未詳。詩集に『太陽を慕ひ大地を恋ふる者の歌』(大正15(1926)年刊)等。
・「大埜勇次」詩人。生没年未詳。『詩神』昭和2年1月号に載った萩原朔太郎の「大埜勇次君に」という一文がある。これは朔太郎の詩論に対する大埜勇次の疑問と抗議に対する簡単な答えで、『「詩神」十二月の質問はすべてもつともです。』とし、自分の論の説明不足を認め、近日出版予定の「自由詩の原理」(後の「詩の原理」のことであろう)で『自由詩の徹底的なる問題を證明します。』『ゼヒこの書物をよんでほしいです。』と、結んでいる。少なくともその詩論にあっては朔太郎をしても看過し得ぬ詩眼の持ち主であったように窺われる。詩誌『日本詩人』でも大正12(1923)年頃から活躍している。]
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