次期公開テクスト掉尾抜粋
……僕の岩見重太郎を知つたのは本所御竹倉(おたけぐら)の貸本屋である。いや、岩見重太郎ばかりではない。羽賀井一心齋を知つたのも、妲妃(だつき)のお百を知つたのも、國定忠次を知つたのも、祐天上人を知つたのも、八百屋お七を知つたのも、髮結新三を知つたのも、原田甲斐を知つたのも、佐野次郎左衞門を知つたのも、――閭巷(りよこう)無名の天才の造つた傳説的人物を知つたのは悉くこの貸本屋である。僕はかう云ふ間(あひだ)にも、夏の西日のさしこんだ、狹苦しい店を忘れることは出來ぬ。軒先には硝子(がらす)の風鈴が一つ、だらりと短尺をぶら下げてゐる。それから壁には何百とも知れぬ講談の速記本がつまつてゐる。最後に古い葭戸(よしど)のかげには梅干を貼つた婆さんが一人、内職の花簪(はなかんざし)を拵へてゐる。――ああ、僕はあの貸本屋に何と云ふ懷かしさを感じるのであらう。僕に文藝を教へたものは大學でもなければ圖書館でもない。正にあの蕭條たる貸本屋である。僕は其處に並んでゐた本から、恐らくは一生受用しても盡きることを知らぬ教訓を學んだ。超人と稱するアナアキストの尊嚴を學んだのもその一つである。成程超人と言ふ言葉はニイチエの本を讀んだ後、やつと僕の語彙になつたかも知れない。しかし超人そのものは――大いなる岩見重太郎よ、兩手に大刀(だいたう)をふりかぶつたまま、大蛇(おろち)を睨んでゐる君の姿は夙(つと)に幼ない僕の心に、敢然と山から下つて來たツアラトストラの大業(たいげふ)を教へてくれたのである。あの貸本屋はとうの昔に影も形も失つたであらう。が、岩見重太郎は今日(こんにち)もなほ僕の中に潑溂と命を保つてゐる。いつも目深い編笠の下に薄暗い世の中を睨みながら。
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明日か明後日に公開予定のテクストの掉尾。芥川龍之介?……そうだな……でも……知られているものとは、ね……ちょっと違うぜ……勿論、注はバッチリついてる……
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