色ガラスの街 序の一 /(驚くべし! 冒頭から従来のものは致命的に間違っている!)
序の一
りんてん機 と アルコポン
× りんてん機は印刷機械です
● ●
× アルコポンはナルコポン(魔醉藥)の間違ひです
私はこの夏頃から詩集を出版したいと思つてゐました そして 十月の始めには出來上るやうにと思つてゐたので 逢ふ人毎に「秋には詩集を出す」と言つてゐました
十月になつてしまつたと思つてゐるうちに十二月が近くなりました それでも私はまだ 雜誌の形ででもよいと思つてゐるのです
×
そして そんなことを思つて三年も過ぎてしまつたのです
ヽ ヽ ヽ
で 今私はここで小學生の頃 まはれ右 を間違へたときのことを再び思ひ出します
一千九百二十五年 十一月
[やぶちゃん注:ブラウザの関係で位置がずれている場合は、「●」と「ヽ」の傍点は、それぞれ次行の「アルコポン」の「ア」及び「ナルコポン」の「ル」(「ナ」ではない。実は初版では「●」位置が下にずれている)、「まはれ右」の右側に振られていると理解されたい。さて、考えられないことであるが、驚天動地、この序でさえ、違う、のだ。従来、「序の一 りんてん機 と アルコポン」として活字化されているが、表記の通り、「序の一」の下に「りんてん機 と アルコポン」は、ない。改行して「りんてん機 と アルコポン」である(これは実はつまらないことではない。「序の二」では同じ現象によって見たときの全体の感じ方が極端に異なるからである)。一字空けが3箇所で脱落しているほか、不思議なことに全集本文で「逢う」、思潮社版現代詩文庫でわざわざママ表記がある「逢う」は――正しく「逢ふ」となっているのだ! これは一体、どういうことだ? もう一冊の、大正14(1925)年11月に同じ惠風舘から出版された違う詩集『色ガラスの街』があるんだろうか? この愚鈍な僕を開明してくれる識者の御教授を乞いたいもんだ――いや、「逢ふ」は正しいんだからいいさ。僕が重大だと思うのは、一字空けの脱落なんだ! 従来のものは、最後のクレジットを「一千九百二十五年十一月」として年月の間を空けていない他に、
そして そんなことを思つて三年も過ぎてしまつたのです
を
そしてそんなことを思つて三年も過ぎてしまつたのです
とし、更に
ヽ ヽ ヽ
で 今私はここで小學生の頃 まはれ右 を間違へたときのことを再び思ひ出します
を
ヽ ヽ ヽ
で 今私はここで小學生の頃 まはれ右を間違へたときのことを再び思ひ出します
としているのだ!
たかが空欄、ダ? 否、されど空欄、ダ!
僕は傍点附きのこの僕の大好きな大事な大事な「まはれ右」の部分の後の大事な大事な空欄の脱落は、詩集の校訂上、テッテ的にチメイ的だと言いたいノダ!
字空け一つにこだわらん「そんなの関係ねえ」という奴は詩を書く資格も読む資格もないノダ!
尾形の詩にとって字空けは彼の呼吸なノダ!
――僕ハ今 生マレテ初メテ 『色がらすノ街』トイフ新詩集ヲ 讀ンデヰルヤウナ奇妙ナル錯覺ニ 陥リツツアル――]
« 正しい尾形亀之助の『色ガラスの街』所収「散歩」の詩 | トップページ | 『色ガラスの街』の献辞「此の一卷を父と母とに捧ぐ」は冒頭になんかない »