Kはどんな所で何んな心持がして、爪繰る手を留めたでせう。……私はよくそれを思ふのです。
最初の夏休みにKは國へ歸りませんでした。駒込のある寺の一間を借りて勉強するのだと云つてゐました。私が歸つて來たのは九月上旬でしたが、彼は果して大觀音の傍の汚ない寺の中に閉ぢ籠つてゐました。彼の座敷は本堂のすぐ傍の狹い室でしたが、彼は其所で自分の思ふ通りに勉強が出來たのを喜こんでゐるらしく見えました。私は其時彼の生活の段々坊さんらしくなつて行くのを認めたやうに思ひます。彼は手頸に珠數を懸けてゐました。私がそれは何のためだと尋ねたら、彼は親指で一つ二つと勘定する眞似をして見せました。彼は斯うして日に何遍も珠數の輪を勘定するらしかつたのです。たゞし其意味は私には解りません。圓い輪になつてゐるものを一粒づゝ數へて行けば、何處迄數へて行つても終局はありません。Kはどんな所で何んな心持がして、爪繰る手を留めたでせう。詰らない事ですが、私はよくそれを思ふのです。(「こゝろ」「下 先生と遺書」より)
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僕は最近、ふとここを獨り朗讀してみるのだが、すると、何だか酷く哀しくなつてゐる僕を見出すのである――